4 ゴブリン村編 プロローグ
眠りと覚醒の間をふわふわと漂う感覚。二度寝や昼寝の際にはずっと味わっていたい感覚なのだが、今は目覚めなければいけないような気がする。独特の浮遊感に名残惜しさを感じながらも、意識を強引に覚醒へともっていく。
目が覚めると、……いや覚めたと思ったがまだ、夢の中だった。
中学生の頃から高校卒業まで過ごした、実家の自室。そこにいた。
年頃になり自分のへやが欲しいと駄々をこね、物置だった屋根裏部屋を改造して作った自分の城。築年数不明の田舎の日本家屋の屋根裏部屋。部屋の真ん中に炬燵を置いて、おんぼろの折り畳み式の簡易ベットに万年床。部屋のすみには、少し画面焼けした貰い物の液晶テレビと、今となっては3世代くらい前のゲーム機、壁一面の本棚にあるお気に入りの本たち。主に漫画本。夏は暑くて冬は寒い。
大学を卒業して以来一年以上帰っていないが、学生時代もなるべく正月は実家に帰るようにしていたので、そう月日が経っているというわけでもない。だが、少し懐かしい感覚と、これは夢であるという感覚が同時に這い上がってくる。
夢の中なのに、寝起きの感覚はリアルで、まだ少しボンヤリしながら、部屋の中を見回す。なんてことは無い、昔の自分の部屋だ。ただ一点をのぞけば。
部屋の真ん中の炬燵、俺の向かい正面に見知らぬ少女が座っている。炬燵に入り胸から上しか見えないので年齢は分かりづらいが、どうやら大人ではないようだ。
高校生? もしかしたら中学生か?
炬燵の上には何冊かの漫画本が置かれ、どうやら少女はその本を読んでいるようだ。
部屋に唯一ある換気用の窓を背にして座っているので、逆光で見えづらいが、顔に見覚えはない。しいて言えば高校生時代にちょっと好きだった娘に似ているような気がする。住んでいる地区もはなれていたし、接点もとくになかったので碌に会話もしたこともない。当然この部屋に来たこともない。好きだった、というより憧れていた、が正しいだろうか。
しかし、夢とはいえ面識のない人物、しかも異性になんと声を掛ければいいのだろう? と、逡巡していると少女のほうから声をかけられた。
「これ、続きは?」
手には何年か前に流行った漫画本がにぎられている。
あー、その漫画、続き買ってないや。
「しかし、このテニスってスポーツ? はすごいな。ニホンの子供はみんなこんなことをしているのか?」
「あ、いや、その漫画のテニスはテニスじゃないっていうか? いや、最初の方は普通にテニスしてるけど途中からどんどんおかしくなるっていうかね、あ、この場合のおかしいってのはファニーじゃなくてストレンジのほうっていうか、いやファニーであってるのか……」
何言ってんだ俺は、そうじゃない。
「……えーと、ところで、あなたはどちら様ですか?」
名前を聞かれた少女はきょとんとした顔でこちらを見つめている。大きな黒目がちの目で少したれ目だろうか、整った顔立ちだが、鼻筋が通っていて少々バタ臭い感じする。ハーフかクウォーターと言われても納得してしまうだろう。肩より上で切りそろえれた髪で前髪ぱっつんなのもあか抜けない感じがする。眉が太めなのもそれに拍車をかけているかもしれない。しかし美少女といっても過言ではない。十人中十人が、将来は美人になるだろう、と言うだろうな。
「……どちら様、とは?」
少女は不思議そうな顔で尋ね返してくる。なんで、何言ってるのコイツ? みたいな感じなんだよ。
「あー、じゃ、名前は?」
「ふむ、名前か……」
名前を尋ねると俯きそのまま沈黙した。
……
………
…………
え? なに? 言いたくない系? ノリ突っ込み系のギャグで返そうとしてるとかか? もしそうだったら、あんたもうタイムオーバーだからな? もうすでに気まずい沈黙だからなこれ。
「…………シュ」
沈黙に耐えかねた俺が、とりあえず何か言葉を発しようと考えた瞬間に少女は何事かを呟いた。
「え?」
「タムィアワァ、ミヤゥフシュ、と呼ばれていたと思う」
「……名前だよね? ごめん、もっかい」
「……タムィァワ、ミヤゥァフシャ」
うん、わからん。一回目と二回目も微妙にちがうし。この子やっぱハーフかな? つかこの名前、日本人には発音不可能なんじゃね?
「タムィァ……えーと、……タマムシさん、でいいかな? 愛称はたまちゃんとか?」
少女は驚いたような表情でこちらを見ている。これは怒られるパターンか。さすがにニックネームは悪ノリだな。夢とはいえ一応初対面の相手な訳だし。
「あー、まずかったかな? でも発音が難しくてさ、えーと、もっかい教えてくれる?」
「タマムシ、たまちゃん……タマムシ……」
少女はブツブツと繰り返している呟いている。やがてゆっくりと顔を上げ、ニッコリと微笑みながら言った。
「いや、タマムシ、でいい。タマちゃんと呼んでもかまわんぞ」
「あ、はい」
俺は、思いがけない小女の微笑みに見とれながら、ぼんやりと返事を返した。
「さて、少し説明しておこう。ここは、お前、……イチローの記憶を基に作り出したイメージの世界だ。この部屋はお前の深層心理の上で一番に落ち着く、リラックス出来る場所だと感じている場所だ。私の姿もお前が好感を抱きやすいよう構築した。どうだ?」
「はぁ」
どうだと言われても、なんとも答えようがない。言っている意味も良くわからないし。とりあえず適当に返事をする。
「一種の思考誘導だな。アンフェアと言われてもしかたがないが、こちらも必死でな。あまりにも魔素が薄いので、ほとんど機能不全なのだ。古代大ムカデの卵殻とは考えたものだ。生かさず殺さず、まさしく仮死状態だ。あの魔女め。……というわけで、もうしばらくやっかいになる。新しい肉体としては、受肉した悪魔や、ハイエルフなどが望ましいが、そう贅沢も言えまい。まぁ、回復しながら機を伺うこととする。それにこの“部屋”はしばらく退屈はせんようだしな」
本棚の方を見ながら、にやりと笑う。
「……えーと、夢だよね?」
妙に現実感があるような無いような……。
「ふむ、夢のような形態をとっているが、夢とは少し違う。その違いを説明するのはめんどう……時間がかかる。しかし、今はその時間がないようだな。現実の世界に帰るがいい。いや、お前にとっては現実とは認めがたいかもしれん。それに、帰るというのも違うか。まぁ、目覚めねばまずいことになるかもしれん、早く行け」
「いま、めんどうって」
「いいから行け。言葉は心配するな。使いそうな奴はだいたい刷り込んでおいた」
「いや、あの……」
「死ぬなよ、面倒だから」
また面倒って言った! と言いたかったが声にはならず、一気に覚醒する。
……えっと、なんだっけ?
なにか面倒ごとに巻き込まれたような覚えはあるのだが、それが何かは思い出せない。目が覚めればそれがわかるのか。でも、そんな大したことじゃなかったような気もする。
しかし、眠りから目が覚めた俺が巻き込まれていた案件は、結構な大した事だった。