37、残陽だまり
「あそこで食べよう。」
蕎麦屋の前を通り過ぎた先、歩道との境目に丸太を縦に切っただけのベンチがある。夕陽に向かって左側に座ると腕をからめ、さっそくソルベにスプーンを立てた。
「う~~ん、濃厚なブルーベリーの味。」
そう言うと、大げさに手を震わせた。
「やっぱりデザートは別腹。特に冷たいものだと、すっきりしていくらでも入りそう。」
「そのセリフさっき僕が言ったやつ。それにしてもまったくどんな胃袋してんだか。」
「あら、いたってごくフツーと思うけど。」
「いやいや、フツーはそんなに食べれないって。」
「あなたの胃袋が貧弱なだけじゃない?」
あっけにとられて眺めているこちらの視線をよそに、ソルベへの攻撃を続けている。
「どうでもいいけど融けるわよ。」
背中は冷たいが、正面からは西陽が当っている。促されるままソフトクリームに大きくかぶりつき、口の中に収めた。
「おっ!?」
「え、なに?」
なかなか融けずに塊のままなので、思うように舌が動かせない。しばらく融けるのを待ち、4,5五回噛んでようやく飲み込んだ。口の中が冷たくなって、話しづらい。
「いや、普通アイスクリームは口の中で融けていくと思うけど、こいつは噛まなきゃ飲み込めないほど塊のままだ。味も濃厚な牛乳、いや生クリームみたいだし。」
「えっ、食べる食べる!」
差し出すと軽く噛みとり、口の中で転がした。
「ほんと!昔、田舎で飲んだ取れたて牛乳の味。こんなの食べちゃうともうだめね。」
確かに他のアイスクリームは、脱脂粉乳の塊のように思える。おっと、この意味は彼女に分かるまい。もはや‟歴史的遺物表現‟とでも呼ぶ部類に入ってしまおう。
「これ、あの店のデザートにどうだろ?」
「いいわ!きっとみんな驚いて、大喜びするよ。あ、いえ、だめ。あまり人に知られすぎると、楽しくない。隠れた名品だからこそ、価値がある。」
「お説、ごもっとも。」
「なに?とげのある言い方。」
「いや、あのイタリアンの店のこともそうやってたな、と思って。」
「そうよ。だって、この味は自分しか知らないんだっていう優越感を味わいたくない?」
「店的にはどうかな?客がたくさん来てくれたほうが売り上げ上がっていいんじゃないかな。」
「あーあ、それって空しくない?売り上げでしかお店の価値を測れないなんて。」
「空しいなんて思わないね。第一、入ってくる金がなきゃ店はやっていけないだろ?いいものを出す店だってことになれば、口コミで広がるから広告しなくても客が来る。そのうちテレビが取材に来たりして、全国的にも有名になるかもしれないし。」
「有名になることがそんなに大事?たくさんお客さんが来るということは、お店の予約が取りづらくなる。つまり、なかなかお店で食べられなくなるってことだよ。」
「希望日が空いてなかったら、他の日にすればいい。そうやってまんべんなく客が来るようになれば、売り上げが上がり店的にはハッピーだ。」
「何でも‟営業の眼”でしか見られないなんて、悲しい人。」
「分析力と言ってほしいな。」
「どっちでもおんなじでしょ。あなたにとっては、こじんまりした店とかアットホームな店なんか負け組に思えるんでしょう?」
「おっと、待った。さっきのはあくまで一般論。僕にだって、馴染みの店の1軒や2軒はあるよ。」
「へー。よっぽど物好きな店なんだね。」
「そんなことはない、努力して馴染みの店に育て上げたんだよ。」
「何の努力がいるっての。」
「知りたい、企業秘密?」
「何よ勿体ぶっちゃって、何様のつもり?」
「聞きたくないわけ?」
最後のソルベを口に放り込むと、しぶしぶ答えた。
「仕方ない。聞いてあげる。」
腕をほどき体をこちらに向け、ふくれっ面をしてみせた。




