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  作者: 東郷十三
23/46

23、翡翠色

 先ほど車を停めた場所から久住山へのルートは、山の斜面に沿ってひたすら上っていくもので、 かなりの急峻な登りが続く。そのルートの近くに、山頂から続く沢がある。頂上付近は雨が降っていない限り涸れているが、山肌を下りながら途中で湧き水を集め次第に水量を増し、まとまった流れになり滝となって現れる。‟雄飛の滝”と呼ばれ、露天風呂のすぐ目の前に見えている。

内湯から扉を開けて外へ出ると、2畳ほどの湯船。湯面と同じ高さの奥の仕切りの先には、わずかに下がってやや青みを帯びた別の湯船がある。先客に挨拶して、手前の湯舟に滑り込む。体を斜めに倒して、かろうじて肩が隠れるくらいの深さ。湯温は内湯より低い。先ほどの泣き声の主は、父親の腕に抱かれて湯に浸かっている丸坊主の男の子。2歳くらいだろうか、まだしゃくりあげている。挨拶をした後、泣いている理由を尋ねてみると、

「一緒に浸かったんですよ。ゆっくりだったんですが、驚いたんでしょうね。」

と言って奥を指差した。左側にある女湯と隔てる衝立は奥の湯船の途中で途切れ、その先にはどちら側からでも入れそうである。残念ながら今は仕切りの途切れたところから、右手の湯船の端にかけてチェーンが渡してある。混浴は楽しめないようだ。 そのチェーンの向こう側の植え込み越しに、音を立てて流れ落ちている滝が見える。植え込みの上と、滝の両側の雑木に載っている雪がまるで水墨画のような趣を醸し出している。噂に違わず、なかなかの景色だ。

 かの父親と話して、彼らが熊本から一家で来たこと、昨日は黒川温泉に泊まったこと、娘もいて今母親と隣で湯に浸かっていることなどがわかった。こうやって初対面の人と気安く話ができるのも、温泉の楽しみのひとつだ。

気が付くと、額に汗をかいていた。

「そろそろチャレンジしてみますか?」

今度は暑くなってぐずり始めた子供を湯船から抱き上げながら、視線で奥の翡翠色の湯を指した。右側に陣取ってこちらの話をニコニコしながら聞いていた老人の前を通り仕切りをまたぎ始めたとき、

「あ、覚悟を決めて。それからゆっくりと。」

注意を促すかのように、少し強い口調で父親が声をかけた。


 しかしそのとき、既に右足は脛まで浸かっていた。



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