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  作者: 東郷十三
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2、音

「聞こえなくなっちゃった。」

シートの背に右半身を預けた緋乃が目をわずかに開けて呟いたのは、大分道を東へと向かい始めてすぐのことだった。正面へと移動した朝日に照らされ、彼女の顔は黒のセーターと対照的に白く浮き立っている。

「何のこと?」

「ふふっ、なんでもない。」

いつものように少し悪戯げに微笑んで、彼女は目を閉じた。


 車は思いのほか少なく、アクセルの踏み加減に躊躇する。普段ならスピードなど気にせずに走るのだが、今日は彼女が載っている。おとなしく走ろう。別にマナーのいい人だと思われたいわけではないが、同乗者のことを考えない独りよがりな人間だとは思われたくはない。道はほとんどまっすぐで、忘れかけた頃にゆっくりとカーブする。

このカーブは、ドライバーが眠らないようにする目的で意図的に造られたものだと聞いた。スピードメーターの針が動かないように注意しながら走らせていると、海にいるような感覚になる。緩やかな道のうねり、それにつれて起こるゆるやかな揺れ。


「フェリー、か。」

ふと、視線を感じる。

「みたいね。」

眠ったとばかり思っていた緋乃が、いつのまにかこちらを見つめていた。『独り言は、声と耳で自分を納得させるために行う自己完結型の行動』と聞いたことがある。確かに他人に聞かせる必要はないし、聞かされるほうも不気味だろう。日常から開放されホッとし、声が大きかったのだろう。いや、耳をすましていたのか。浅い、しかし少し陽気なため息。

「同じこと考えてたね。そう、海を越えてなんだか遠くへ行ってるような気がする。」

旅の仕事をしている緋乃にとって、日本を離れて海外へ出かけるのは日常茶飯事のことだ。 そんな彼女の口から“遠くへ”という言葉が出るとは意外だった。

「私には似合わないセリフだって顔してない?」

胸に挿しているサングラスに、朝日が反射している。

「いや、あちこち出かけるのは日常茶飯事だろうから、そんなことを改めて言うとは思わなかった。」

「確かに海外にはよく行ってるよ。でも飛行機は乗っている時間こそ長いけど、長い距離を移動している実感はないな。それに、乗っている間もやらなきゃいけないことは山ほどあって、楽しむなんて余裕はとても…。なにより、仕事では邪魔だからセンチメンタルな感情は封印してるし。」


 静かに体を廻しシートに背中を落ち着け、サングラスを掛けた。ヘッドレストが、少しだけ彼女の頭から覗いている。

「だけど船は好き。ゆっくり岸壁を離れて、次第に見送りの人が小さくなっていく。岸を走る車も、家も、自転車で走る人も、手を振ってくれる人も見える。動いているという実感、離れていく寂しさ、だんだん近づいている期待感。これって“旅”の楽しみの本質かも。」

そう言いながら、背中まで伸びた髪を左肩の前へまとめた。

納得できる。自分が動くスピードとあまり違わない乗り物ならば、“自分のほうが動いている”と認識できる。しかしそれよりはるか速くなると“周りが動いている”感覚になる。まして地上から離れるなど…。


 所詮人間は空を飛ぶ動物ではないのだ。




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