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  作者: 東郷十三
18/46

18、名残

今は穏やかに噴煙を上げている目の前の硫黄山が、突然約250年ぶりに噴火した。噴火といっても爆発を伴うものではなく、新たにいくつか噴気孔ができガスの噴出量が増えたというものであったが、降灰は遠く熊本でも見られた。約2年間、半径1キロメートルは入山規制が敷かれ、この間は訪れる客もなくさびしい限りであったが、規制が緩和されるとその反動のようにハイカー、特に中高年者が多くなったように思える。

〝九州の屋根〟九重山には、中岳(1,791メートル)を最高峰に、次峰久住山、大船山、三俣山などの1,700メートルを越す山が七座ある。ちなみに〝九重くじゅう山〟とは大分県直入郡久住町・直入町、玖珠郡九重町くすぐんここのえまち一帯に広がる山群の総称で、その主峰を久住くじゅう山と呼んでいる。

九重山には〝~越〟と呼ばれる場所がある。いわば〝~峠〟といった意味なのだが、登山ルートとして使われる場合が多い。その一つに、ここ長者原から南へ向かい、星生山の北東の裾を登って硫黄山の下を通り、久住山・法華院温泉に向かうルート〝すがもり越え〟がある。かつては峠に有人の山小屋があり、簡単な食べ物・飲み物も購入できた。初めてこのルートで久住に上った中学の時、目の前をコカコーラのファミリーサイズ(当時販売されていた500ミリリットル入りの瓶)24本入りのケースを2ケース背負って小屋まで運んでいる人を、驚嘆の思いで眺めた記憶がある。

 小屋は、噴火に伴う入山規制で閉鎖された。その翌年に主が急逝し以降の運営が難しくなったこと、管理自治体・借地権などの問題もとりざたされ、噴火から2年後の1997年10月10日、多くの登山家に惜しまれつつ解体となった。


 しかし強い復元の声に押され、現在は避難所として堅牢な石積みのみが再建されている。


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