17、投影
しばらく走ると道は山すその北側を右にカーブし、正面には噴煙が見え始める。奥の噴煙は、今も小規模ながら活動を続けている硫黄山から。手前の数本は、温泉の噴出し口から吹き上がるもの。まともに陽が当たっているので、どれも青い空をバックに目に痛いくらいの白さだ。 道の右下の雪に覆われた田圃に、置き忘れられた自転車の赤いサドルが見える。このあたりにしてはおしゃれな、しかし景色に溶け込んでいるコーヒーハウスの前を通りしばらく行くと、三叉路を右折して再び山道を登り始める。道は舗装され、先ほどに比べると広くカーブが緩やかだ。右に左にうねりながら次第に高くなって行く。やがて道は前方で向こう側に見えなくなり、上り坂が終わるのがわかった。平らになった途端、日陰になった道は雪に覆われ、二台の車がノロノロと進んでいる。はっとしたが、あわててブレーキを踏むという事はしなかった。十年近く前この道を逆方向から通ったとき、カーブを曲がった途端凍りついている路面が目に入った。不覚にも、ブレーキを踏んだ。案の定、車は氷のようになった雪面を、気持ちがいいほど滑らかに滑り始めた。左にゆるやかに曲がった道のセンターラインをこえ、ガードレールをあわやという距離でかすめ、右に大きく曲がり始めた道を横断、正面の土手にぶつかって止まった。幸い路肩の雪が緩衝材になりたいした衝撃もなく怪我はしなかったが、車にはかわいそうなことをした。バンパーから両側の前輪にかけて、まるで蛇腹のように波打っている。しかしこの哀れな姿は、友人達にはうけた。遠くからでも誰の車かすぐわかる、と。
今回はアクセルを徐々に戻し、エンジンブレーキをかけながら進む。十分に速度が落ちたところで道は再び登り始め、もう一段高いところで再び平らになった。
目の前には、先ほどは遠くに見えていた山々が白い姿で立っている。空気が澄んでいるお陰で、くっきり浮き上がって見える。最も手前が〝指山〟、奥に見えるのが〝三俣山〟。その右に〝星生山〟、その中腹で噴煙を上げている〝硫黄山〟、さらに奥にはさらに高い頂が連なる、まさに九州の屋根だ。注意深く車を左に寄せ、停める。助手席から感嘆の声が上がり、早々にドアを開けた。
「きゃっ!」
声に振り向くと、足先はシャーベットの中に埋もれれていた。幸い浅かったのと、靴がしっかりしていたため浸水は免れたようだ。路肩はアスファルトを折り立てたように十五センチくらい高く、そこにガードレールが据えられている。彼女は身を乗り出しながら携帯電話を構え、
「どこ撮ろうかな?どこも、『ここどこ?』、って感じだよ。」
などぶつぶつ文句を言いながら、嬉しそうに写真を撮っている。少女のような無邪気な表情に、眺めているこちらまで頬が緩む。見下ろすと、遠くの山々まで緑と白のパッチワークが、胡麻塩でアクセントをつけながら続いている。時折目の前の枯れた木々から、雪が風に吹かれて流れ落ちる。こんな光景にめぐり合えるとは。
「先月のカレンダーの写真にそっくり。」
「確か、野沢だったよね。」
「ええ、そうよ。連れて行ってくれるって約束していたのに、なぜ連絡くれなかったの?」
こちらに視線を向けることなく遠くを見ていたが、やがて大きく息を吸い込み振り向いた。ハーッと両手に息を吹きかけ四、五回こすり合わせると、私の左手を包む。
「冷たいのね。」
彼女の視線を避けるようにして、車に乗り込んだ。連絡しなかったのは、忘れていた訳でも軽く考えていた訳でもない。心の整理がつかなかった、と言うのは綺麗事すぎるか。
少し大きめの音がして、助手席のドアが閉まった。ゆっくりとブレーキをはずし、徐々にアクセルを踏み込む。しかし、うまくタイミングが合わずタイヤが空回りする。もう一度、今度はさらにゆっくりエンジンの回転数を上げる。鈍い音がタイヤから聞こえ、車はゆるゆると進み始めた。今の自分に重なり、思わず苦笑した。お互いのペースを合わせればいいのに、その〝タイミング〟が難しい。いや、怖いから合わせないのか。何とかしなければと思う反面、時折虚無感に襲われる。『これは現実ではなく、自分の欲望から沸き立つ霞ではないか』と。
道が下り始めると、路面の雪はほとんど融けている。山の東面であり、元気になった太陽のおかげだろう。青空と雪山のくっきりとしたコントラストを楽しみながら、やがて九重山への登山口のある長者原に着いた。




