16、湯治場
それから約15分、道が南向きの斜面に差し掛かると雪の量が減った。轍からアスファルトが顔を覗かせ、一部融けきれずに残っているもののタイヤが路面を捕まえているのがわかる。依然慎重に、しかし徐々にスピードを上げた。やや広い県道621号線との三叉路では、左右どちらにも温泉があることが示され、その下にはそれぞれにある宿泊施設までの距離が書かれた横長の木板が、縦に7,8枚打ち付けられている。右折し、随分昔に来たことがある筋湯温泉街方面に進路を取る。
小学校の高学年になるまで、毎年家族3人で一泊二日の旅行をしていた。夏だったり、冬だったり時期は定まっていなかったが、共稼ぎだった両親と一緒にいられるのがうれしく、毎年楽しみにしていた。ある年、予約するのが遅かったため、予定していた温泉の宿が取れなかった。仕方なくあちこちに電話をし、この温泉街に一軒だけ見つけた。 値段も安かったらしい。 電話口で宿泊日・人数を伝え、食事について質問すると、
「野菜はこっちのほうが新鮮だから、買ってこなくていいですよ。」
と言う。意味が飲み込めず詳しく聞くと、
「うちは自炊民宿ですから、台所の付いた部屋だけしかありません。」
とのこと。やっと空いていた1軒だっただけに、今更断るわけにも行かず宿泊予約した。今でこそ旅館・民宿あわせて30件ほどが建ち並ぶ温泉街だが、当時はまだ湯治場的な雰囲気があり、旅館、民宿などをあわせても10軒もなかった。高速道路などまだない時分で、国道を外れると、砂利道、泥道をくねくねと抜けていく。福岡から途中何度か休みを取りながら筋湯についたのは、午後も遅い時間だった。民宿へは、高台の共同駐車場から階段を何箇所かで乗り換えて降りて行く。下には澄んだ水の流れる川があり、そのすぐほとりに宿はあった。2階建てのそれぞれの階に4部屋あり、中は小さな台所のついた 四畳半一間だったと思う。 温泉に入るには、駐車場までの階段を途中まで昇り、しばらく歩かねばならなかった。薄暗く天井の高いゆったりとした建物の中に、広々とした湯殿が広がっていた。子どもの特権を生かし端から端まで泳ごうとしたが、途中で息切れし溺れかけておやじに助けられたことを記憶している。
時は移ったが、風情あるものは残っていてほしいものだ。




