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鯉のぼりのない町

作者: 崩梨ひとで

 シェラ・デ・コブレの幽霊という映画を知っているだろうか?

 ジョセフ・ステファノ監督による、1964年に公開予定だったホラー映画だ。

 この49分のモノクロ中編作品は、製作されたはいいもののその映像の恐ろしさからお蔵入りになったとされる作品である。

 制作費回収のためアメリカ国外にフィルムの貸し出しはされていたようで、過去に日本でも洋画劇場という形でテレビ放送はされたという話だが、そのフィルムは世界に二本だけしか存在せず、今現在ビデオ化、DVD化はされていない。

 文字通り、幻の作品だ。


 桜も散り始めた5月の休日に、僕はその話をヨミさんから聞いた。

 5月5日。

 こどもの日に、僕と一つ上の先輩であるヨミさんはいつものカフェテリアにいた。

 閑散とした休日の大学施設。

 当然祝日ということで営業はしていない。

 ゴールデンウィークに予定もなく、家でマンガを読んでいるところをここに呼ばれたわけだ。

「その幻の映画がどうしたんです?近々近所で上映でもされるんですか?」

 自販機で買った味の薄いカフェラテを啜りながら、僕は尋ねた。

 その映画のフィルムは2006年に日本の映画評論家がオークションで競り落とし、各地で上映会を開いているそうだから、ここら辺でもそういうイベントが開催されてもおかしくはない。

 だがヨミさんは「いや、そうじゃない」と否定した。

 「アメリカの短期留学あるだろ」

 「あ、はい。A大学でしたっけ?」

 ウチの大学では毎年夏休みに成積優秀な生徒からアメリカでの短期留学希望者が募られる。

 希望者は一ヶ月、アメリカのA大学に短期留学することができる。もちろんいくらか旅費は負担することになるが、それでも格安でしかもそこそこの知名度を誇るA大学の授業を体験できるとあって、毎年定員超過が起きる人気だとか。

 「それとホラー映画と何の関係があるんですか」

 僕がそう尋ねると、ヨミさんは「付き添いの教員、“教授”なんだよ」と苦笑いで答えた。

 この大学では指導教員のことはみんな“先生”と呼ぶので、教授といったらあの人しかいない。

 教授というのはオカルト好きな心理学の教員のあだ名であり、ヨミさんが占領している研究室の本来の持ち主だ。

 わけの分からないオカルトアイテムを拾ったり買ったりしては僕たちに見せびらかしに来て、長ったらしい講釈を垂れるから“教授”と呼ばれている。

 ヨミさんが言うには、教授が去年短期留学でアメリカに行った時にできた現地の友人から、その映画と同じタイトルラベルが貼られたDVDが送られてきたそうだ。『頼まれていた物が手に入った』というような内容の英語で書かれた手紙と一緒に。

「な?気になるだろ」  

 ヨミさんの目は輝いていた。

 僕も興奮していた。

 怖すぎてお蔵入りになった幻の映画、と煽られてはオカルトマニアを自称する身としては放っておけなかった。

「見たいです、その映画」

 そう僕が口に出すのを待っていたように、彼女は「上映会だ」と笑った。


 話が決まるとカフェテリアを出て、教授の研究室までやって来た。

 教授の名前が掲げられている筈のプレートには『よみ』と書きなぐられたA4の紙が貼り付けられている。

 手慣れた様子で研究室の鍵を開け、つみ重なった書類を床にぶちまけ、ディスプレイを設置する。

 いそいそとプレーヤーを準備するヨミさんを見ていると、ふと疑問が浮かんできた。

「その映画、ソフト化はされてないって話だったじゃないですか。なんでDVDがあるんです?」

「そんなこと私が知るか」

 ディスプレイにコードを繋げながらヨミさんは言う。

「また適当な」

「マジで知らねぇんだよ。教授も教授で用事があるとか言ってどっか消えるしよ」

 その言葉は投げやりだ。

 こんな瑣末な疑問より、幻の映画が見たくて仕方がないのだろう。

 僕も同じ考えだ。

 中身がどうあれ、この何とも言えないワクワクに水をさすのは野暮だと感じた。

だからそれから細かいことを疑問に思うのはやめにした。

「うし、かんぺき」

 汗で額に張り付いた髪をつまみ上げながらヨミさんが言った。

 準備が終わったようだ。

 挿入口にDVDが吸い込まれていく。

 二人してディスプレイを食い入るように見つめる。

 見つめる。

 暗黒。

 何も映らない。吸い込まれそうなくらい真っ暗な空間がただ広がっている。


 部屋に紫煙が立ち込めている。

三本目のタバコに火をつけたヨミさんは、相変わらず暗闇をぼーっと見つめていた。

 あれから30分以上経ったが、画面にはなんの変化もない。

 やはり偽物だったのだ。

 そもそも僕は最初から変だと思っていたんだ。フィルムが世界に二本しかない、DVD化もされていない映画が、そんな簡単に手に入る訳がない。

「ヨミさん、もうやめましょう」

 僕がプレーヤーからディスクを取り出そうと屈むと、ヨミさんが僕の手を掴んだ。

「なんです?」

「これは夜だったのか」

「は?」

「やっとお出ましだ」

 ヨミさんはただじっと画面を見つめている。

 そこに何かがあるように。

 そこに誰かがいるように。

「ヨミ、さん」

 絞り出した僕の声は震えていた。

「何か、いるんですか」

 ヨミさんは答えない。

 ただ画面を見つめている。

 僕はプレーヤーに手をかけたまま、俯いたまま動けない。

 何かが、画面に写っているんだ。

 今顔を上げたら見えてしまう。

「ヨミさん、なにが」

「うっさい黙れ聞こえないだろ」

 急に怒られて僕は混乱してしまった。

 なんで僕が怒られなくちゃならないんだ?

 そんな疑問で頭がいっぱいになって、僕はディスク取り出しのスイッチを押してしまった。

 DVDがプレーヤーから吐き出される。

「ああっ、てめぇ何してんだ!」

「す、すいません!すいません!」

 

 タバコの火の粉を散らしながら、ヨミさんは「あと少しで見えたのに」と呟いたのを、僕は聞いていた。




 それからしばらくして、あの映像はコロラド州アラパホ郡の廃屋で拾われた「シェラ・デ・コブレの幽霊」というラベルが貼られたVHSを、そっくりそのままDVDに焼いたものだと教授から教えてもらった。

その動画は10分ほどの内容で、ただひたすらに夜の公園を撮影したもので幽霊はおろか人っ子ひとり登場しないものらしい。


 僕たちは明らかに10分以上あの“シェラ・デ・コブレの幽霊”を見ていたはずだ。

 


 「あの、ヨミさん」

 あの奇妙な鑑賞会が終わってから、ヨミさんは不機嫌だった。

 あれから何度もあのDVDを再生したが、十分ほどで映像は終わってしまい、ヨミさんが見たという奇妙な何かは二度と現れることはなかった。

 僕がディスクを急に取り出してしまったせいで「見えたはずのモノが見えなくなった」ということらしい。

 訳がわからなかったが、ヨミさんがそう言うならそういうことなんだろうと何故か納得してしまっている自分が居た。

「ヨミさん」

「…鯉のぼり」

「へ?」

 ヨミさんがふと指差した方を見ると、研究室の窓の外、近所にある赤い屋根の保育園から鯉のぼりが上がっていた。

 そうだ、変な映画のせいで忘れていたが今日はこどもの日だったのだ。

「おっきいですね」

「…」

 ヨミさんはまた黙りこくってしまった。

 まだ怒っているのか、それとも鯉のぼりに何か思い入れがあるのか。

 ヨミさんはただぼうっと鯉のぼりを見つめている。

 気怠そうな顔で。

 僕もヨミさんに倣って鯉のぼりを見てみることにした。

 青い鮮やかな鱗を纏った、3メートルほどの大きな鯉のぼりが空を泳ぐ光景は、こどもと言うにはあまりに歳を取りすぎた僕を童心に引き戻すように感じた。

 僕の実家はマンションだったが、小さい頃は小さいながらも立派な鯉のぼりをベランダから泳がせていたな、と幼い頃の思い出を懐かしんでいると、窓の外を見つめたままヨミさんは奇妙な言葉を零した。

「…鯉のぼりのない町」

「なんです、それ」

 ヨミさんに向き直り尋ねる。

 相変わらず放心した様に外を見つめたまま、呟くようにぽつりぽつりと彼女は話し始めた。

「私の生まれた町では鯉のぼりを上げない。何があっても上げないんだ。こどもの日だろうが七五三だろうが、町の人間は絶対に鯉のぼりを上げない」

 窓の外では強風に煽られ、大きく鯉のぼりがたなびく。

「どうしてです」

 僕は尋ねたが、ヨミさんは首を横に振る。

「私も分からなかった」

 タバコを咥え、火をつける。

 紫煙が、ゆったりと揺れる。

「周りの大人は誰も答えてくれなかった。答えられなかったんだよ。彼らも何故鯉のぼりを上げてはいけないのか分からなかった。後から知った話だけど、平家の落人が子供の祝いに鯉のぼりを上げたせいで追っ手に見つかってしまった――なんて伝説があるらしいが、それが関係してるのかは分からない」 

 ふぅ、と吐き出された煙が透明に消えていく。

「そのうちに外から人が引っ越してきた。親子3人の幸せそうな家族だ。地域の祭りにも参加したりして、近所からの評判もいい暖かな家庭だった」

 ふいに外の風が止む。

 鯉のぼりは死んだようにぐったりと動かなくなる。

「こどもの日に、その家族は鯉のぼりを上げてしまった。夫婦の子どもが男の子だったんだ。どこから買ってきたのか大きな、赤い鯉のぼりを物干し竿に、吊るした」

 外から子どもたちの賑やかな声が聞こえた、気がした。

「最初はクワガタの死体だった。灯りにつられたんだろう、と家族は気にしていなかった。次は蛇の死体だった。家族は気味悪がったけど、田舎だからこういうこともあるだろうと納得していた。でも猿の死体が玄関に転がっているのを見てからは違った。嫌がらせだと思ったみたいだった。近所の人を疑っていた。だけど誰も何も知らなかった。そうして首のない鹿が軒先に倒れているのを見つけたとき、その家族は家を捨てた」

 夕暮れの太陽に照らされて、鯉のぼりはもう一度風に揺られる。

 ふらふらと力なく泳いでいた。

「私だけがほんとのことを知っていた。私だけが見ていた。隣に住んでいたから。…友達だったから」

 サイレンが鳴り響く。

 逢魔が時を知らせるその音に紛れて、ヨミさんは言った。


「――あの家は見つかってしまったんだ」


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