与えられたその幸せは
ようこそおいでくださいました。
この作品では奴隷を普通に扱っております。そのためお読みいただいたとき気分を悪くされる事があるかもしれません。
それでもよろしければ、しばしお付き合い願います。
ぼんやりと視界に入ったその人を、ただただ、死に際に現れた女神だと思った。
見世物小屋で横たわっていた僕が、いつものように出入口から覗く空を眺めていた時、その人はふらりと入って来た。金の御髪に赤い瞳。その人は僕が小さい頃忍び込んだ図書館で読んだ絵本の女神にそっくりだった。
トロリと、陽の光で輝く赤い瞳に少し見惚れる。
普段、見世物小屋に来る客と違って石を投げ込んだり、僕の前で食べ物を踏み潰したりしない。本当にあの女神なら絵本の悪魔を救った時のように僕を助けてくれないだろうか?なんて、柄にもなく思ってしまった。
悪魔と同じ色を持っているんだ。夢を見るくらい、許されるだろう?
がちゃり、と檻の鍵が開けられる。店主が入って来て僕の首輪に鎖をつけ、その先をその人に渡した。僕はその人に買われたらしい。女神のようなその人を俗物的に感じたが、あとはただ死ぬだけしかない。
「じゃあ、行きましょうか」
その人はそう言うと鎖を引いてゆっくり歩き出す。
街の中を這いずってその人の後について行く。動かしていなかった身体が悲鳴を上げる。全身に道の砂利が食い込む。左の手足の切断面の皮膚がーーーー
街の外れまで進むとその人は僕の背に腕をまわし抱え起こす。そしてコツンとおでこ同士をくっつけて、僕の至近距離で満足そうに微笑んだんだ。
「ふふ、よく頑張りました」
金色の光が辺りから溢れ出す。嗚呼、かのお方は本当に女神だったのか。最低な人生だったけれど、最期はこんなにも穏やかなものなのかと、その暖かなゆらぎに身をまかせーーーーーー
ーーーーーーただの転移魔法だった事に落胆と恥ずかしさを感じた。
森の中にぽつんとたたずむその家に着くとその人は僕がどう呼ばれていたか聞いた後サッと僕の左側に視線を向ける。それで僕は自分の左の手足があることに気づくんだ。
そうか、この人は異能持ちなんだとぼんやりと理解する。戦闘奴隷だった頃に失った左の手足が戻るのは純粋に嬉しい。けれど僕はこの人に買われた奴隷で、この人は僕を買った。この人は僕に何を求めるのだろう? 左の手足に見合う程のことなんて僕にはわからない。
僕が不安そうだったのだろう。
この人は笑って答える。
「ふふ、とりあえず私の近くに居てくれればいいよ」
それから汚いからお風呂入ってきてと多分この人が使うのと同じお風呂を使うように言われる。
汚れを落とし元から着けてた腰ミノを巻きつけて戻ると温かい食べ物のいい匂いがして、何も考えずに貪る。ふと気がつくと2つの皿が空になっているのに気がつき血の気がひく。食べ物はこの人の物だった。とにかく謝らないと。
必死に謝っていると頭に手を置かれ、そのまま撫でられる。なんだか許して貰えたみたいで、その暖かさは鮮烈で、
成長しても薄くならない色に落胆する親のこととか、
弟が僕のものだった名前で親に呼ばれていたこととか、
売られた先でも生まれ持った色の所為で戦闘奴隷のなかでも単独任務になる事とか、
任務中の事故で失った左の手足と冷えていく身体と這って逃げ戻って殴られ奴隷商に回収され鞭で打たれ見世物小屋に売られ客の蔑んだ視線とか目の前で踏み潰される食べ物とか投げ込まれる石とか、
全部駆け巡って僕ののどを熱く焼いたようにしてからしゅわりと溶けて消えた。
「2人で食事しようと思ったんだけどね。しょうがないから許してあげる」
「へ?…あ、申し訳ありません」
お風呂の事といい、食事の事といい、この人はどれだけ無頓着なのだろう?
「久しぶりに誰かと食事したかっただけよ」
「それより! 貴方の呼び方なんだけどノエルにしようと思うの」
「はい。あ…あの、ご主人様のお名前は?」
「クローディアよ。片付けしておいてね」
それからお風呂から戻ったご主人様に添い寝を命じられたときに夜伽と勘違いした僕に頰を染めながらシーツを巻きつけてくるご主人様を可愛いと思ってしまったりいろいろとあったけれど最終的に僕の腕の中でご主人様はスヤスヤと眠っている。
ウトウトしつつ僕に擦り寄ってきたご主人様は思いの外小さかった。「ふふ、暖かい」僕の耳を掠めて過ぎて行った声を幸せそうだと思ってしまうのは僕の願望も混じっているのだろう。
擦り寄ってくるご主人様に頰が緩む。
僕に与えられた幸せは、可愛くて、強くて、それでいて少し、寂しがり屋みたいだ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。