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最終話

 一人前の男になった弟の姿がそこにあった。

 頼元よりもとの目尻の皺を涙が伝い落ちる。

「そんなおじいちゃんみたいになっちゃって……。どこ行ってたんだよ、兄さん」

 ミツクニは十八歳のとき、ここ茨城から異世界イヴァ=ラキに召喚され、魔を払い、王となった。

「せっかく大学受かったのにいなくなっちゃって。みんな心配してたんだぞ……」

 ミツクニの腕を掴む頼元の手。歳の離れた弟だった。あんなに小さかった手が、こんなにも立派に。

「俺、生物学者になったんだ。でもいつも統計処理で躓いちゃってさあ。兄さん、統計好きだったろ? 統計学者になるって言ってただろ? なれたのか?」

 ミツクニを見上げる頼元の目。そこに宿る、素直に兄を慕う気持ちは幼い頃のままだ。

「俺と一緒に研究しようよ。いや、研究だけじゃない。一緒に住もう、兄さん。また水戸で。子供のころみたいにさ、おふくろと、おやじと、兄弟もみんなで」

 ミツクニは何も言うことができなかった。

 様々な感情が胸を駆け巡っていた。まだ茨城に居場所があった驚き。家族を忘れていたことへのむずがゆい後悔。懐かしさ。昔のように頼元の頭を撫で、今すぐ生家に連れ帰ってしまいたかった。

 でも、まだイヴァ=ラキの間接民主制は完成していない。自分にはまだ、元イヴァ=ラキ王として伝えるべきことがある。

 頼元がミツクニの腕を離し、何か言おうとした。次の瞬間。

 ――どん。

 破裂音と共に、視界が一回転した。

 かすれて消える。店の景色も、頼元も。

「兄さぁーーーーん!!!」

 すがるような声だけが、残響していた。ミツクニは思わず手を伸ばす。



 気が付いたら、静かなトンネルにいた。伸ばした手がむなしく空を掻く。

 コンクリートの狭いトンネルだった。灯りはあるが、人気はない。寒い。曲がりくねって先が見えない。

「ここはどこだ……」

 うわ言のように呟き、ミツクニはふらふらと歩き出す。

 単調な景色の中を進みながら、昔のことを思い出していた。茨城のことも、イヴァ=ラキのこともだ。

 ミツクニには分からなかった。茨城に居るべきか、イヴァ=ラキに居るべきか。

 頼元たち家族も、イヴァ=ラキの民も、ミツクニを必要としている。代わりはいない。理由こそ違うが、その重さを単純に比べることなどできない。

 迷いながら進むうち、トンネル内が鈍い轟音に満ちてきた。

 やがて小さな看板が現れた。『観瀑台かんばくだい』。その字に導かれるように、右へ折れる。

 そこは、滝だった。

 目の前に雄大なる滝が落ちている。夜空の手前、白い光に照らし出された荘厳そうごんなる姿。水音が切れ目なく続き、かえって静謐せいひつですらある。舞い上がる水しぶきと、降りて来る淡雪。

 ミツクニはしばし圧倒されていた。

 ふと、欄干に頬杖をつく女の子をみつける。

「チヅルくん」

 かつて後継者候補として召喚した茨城県民の一人、チヅルだった。

 チヅルは柔らかな髪をふわりと揺らし、ミツクニを振り向く。

「王様も見に来たんですね。袋田の滝ライトアップ!」

 チヅルに手招かれ、ミツクニは欄干に近づく。

「せっかく2017年になったから、変わったところに初詣したかったんですよ~」

 チヅルの隣に立つ。

 その無垢な笑顔に安心して、ミツクニは思わず尋ねた。

「……チヅルくん。私は、どこに居るべきなのだろう? 茨城か? イヴァ=ラキか?」

 チヅルは一瞬きょとんとした。

 が、満面の笑みで即答した。

「行ったり来たりすればいいと思います!」

 今度きょとんとするのはミツクニの番だった。

 チヅルはふっと真顔になり、滝を見上げる。

「なんとなく忙しい時代ですよね。追い立てられて、たった一か所ここって決めて、立派になろうとしちゃいますけど」

 チヅルの手に淡雪が触れて消える。

「でも茨城もイヴァ=ラキも、美味しい食べ物とキレイな景色がいっぱいあって」

「そのどれひとつ、ここに居なさい、こうありなさいって言わないんです」

「行ったり来たりを、個性と自由を許してくれる、『ただの私であれる場所』」

「それが茨城とイヴァ=ラキなんだなって思うんです」

 チヅルはミツクニを見、にぱっと笑んだ。

「だから王様も、それでいいんじゃないですか?」

 ――どん。



 ぐるぐる回る視界の中、ミツクニは笑ってしまっていた。

「私も頭が固くなったものだな! 王位を退いて正解だった」

 答がこんなにも近く、簡単だったなんて。



 やがてほんのり涼しい空気が触れた。宵闇。人でごったがえしたここは。

「……土浦」

 すぐに気付いた。子供のころ、毎年家族で花火を見に来ていたのだ。

 ――ドン!

 破裂音。夜空に花火が打ちあがった。今まさに花火大会のようだ。

「オウサマ! オウサマ!」

 甲高い声に振り向く。少女の肩でインコのジローが嬉しそうに体を揺らしていた。鳥籠を持った少女が言う。

「ジローちゃん、あの人"も"おともだち?」

 ――ドン!

 花火に照らし出されたのは少女とジロー、そしてルアン、カズマとエル、チヅルとアズールだった。皆が笑顔でミツクニに手を振っている。

 ミツクニが近づくと、カズマは何かを差し出した。

「ちょうどいいところに来たな、王様。これ」

 それは笠間焼かさまやきのアミュレットだった。

「転送魔法、完成したんだ。"塔"の欠片が入ってて、これさえ持っていれば茨城とイヴァ=ラキを行き来できるぜ。つくばエクスプレスで東京に出るくらいのノリでな」

 ひやりと冷たいアミュレットを手に、ミツクニは半ば夢見心地で問う。

「ところで、いま何年の何月かな?」

「2017年の10月。王様、ずいぶん長旅してたな?」

 ――ドン!

 ――ドン!

 次々花火が打ちあがる。茨城の夜を飾り咲く。誰からともなく歓声があがる。

 カズマたちが空を見上げる。

 ミツクニもまた空を仰ぐ。

 やるべきことも立場も忘れ、ただただ花火をみつめていた。

 

 

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