第四章第一話
早朝の光を浴びる王冠。玉座の上に静置され、もう誰に頂かれることもないだろう。
誰もいない、静まり返った大広間。ミツクニはその入口から王冠の輝きを見ていた。
ミツクニの退位により王政が終わり、間接民主制に移ったイヴァ=ラキ。ミツクニはもう王でも議員でもない。とはいえ新米議員たちに教え伝えるべきことは山ほどあり、忙しい日々を送っていた。
忙しいはずなのに、なぜだか寂しい日々を送っていた。
ミツクニは一度だけ玉座を振り返り、そっと城を出た。
「ふわ~~あ」
カズマは学園都市セカンド=ツクヴァの晴天に向け、大あくびをする。
「今日も研究がんばりますかー。早く"塔"なんとかしたいからな」
のびをしながら異世界転送装置"塔"を見上げるカズマ。
"塔"は、数日前にエルやジローを射出した反動で崩れたままになっている。
元通りにしても仕方ない。もっと低コストに、もっと安定して、使えるように直さねばならない。
そのためにはまず設計の再検討から必要で。誘発呪文ももっと簡略化して。
うんうん考え込むカズマの隣を、すっと通りすぎる人があった。
「あれ? 王様?」
カズマは目をこするが、その背は確かに元イヴァ=ラキ王、ミツクニだ。普段はミト城で議員たちの手伝いをしているはずなのだが。
ミツクニは瓦礫を踏み超え"塔"の中へと入っていった。内壁を興味深げに見上げている。
「おい王様ー! 何してんだー? 危ないぞー!」
ミツクニは少しだけカズマを振り向いた。
「ああ、エルが忘れ物をしたそうだから探しにな」
「へ?!」
でも"塔"はまだ。カズマが言おうとした矢先。
「……キラバイノラレワ キラ・アヴィ キラ・アヴィ」
低い、荘厳たる声が響き渡った。
「ダノクネマ オ・ウボキ ノスア」
ミツクニの唱える呪文に呼応し、"塔"は薄青の光を発し始める。
「ガビコロヨ ルキイ クルカア!」
――ドン!
世界障壁を突破する音。やはり呪文は正しかったようだ。
だてにイヴァ=ラキの地を平定し、魔導王として治めてきたわけではない。
そんなことを思いながらミツクニは転送魔法に身をゆだねていた。
やがて風が頬を撫でた。
ミツクニはそっと目を開く。
そこは、燃えるように紅い丘だった。風をも染めそうな紅色の低木がびっしりと生えそろう丘。
感嘆のため息を漏らしながら、あたりを見回す。優しく吹き続ける風には、かすかな潮の匂い。
「あのー、そこの人ー、コキア畑には入らないでくださーい。コスプレの撮影ですか?」
振り向くと、男性がこちらに呼びかけていた。服に『国営ひたち海浜公園』と書かれている。
ミツクニは淡く微笑み、逆に問う。
「きみ。今は何年何月かね?」
「へ? 2016年の10月ですけど……」
「なるほど。では、ここはどこかね? 『茨城』かな?」
「え? 茨城県ひたちなか市ですけど……」
「美しい場所だな。美しい」
魔法は無事成功したようだ。
ミツクニが安堵とともにもう一度辺りを見回そうとした。その瞬間。
――どん。
視界が一回転し、破裂音が耳を突いた。遠くから懐かしい曲が聞こえる。
ミツクニが再び目を開くと、ブルーグレーに統一された室内だった。段ボール箱がたくさん積まれている。
ミツクニは呟く。
「……魔法が不安定なようだな。場所が変わってしまった」
「道に迷いましたか?」
振り返ると、スーツ姿の柔和そうな男性が微笑んでいた。ミツクニは目を見開く。
「アズールくん?」
いや、アズールはもっと若いし固い雰囲気をしている。他人の空似だろう。
案の定、男性はやんわりと否定した。
「茨城県統計課の者です。茨城を統計で調べたり、統計の視点からPRする部署ですよ」
男性は傍らの段ボールから、青色の手帳を取り出した。
「記念に一冊いかがですか? 茨城県民手帳です。先月、10月に2017年版が発売されたばかりで」
先月。どうやら場所だけでなく時間まで飛んでしまったようだ。
「色はシルビア・スカイなんですよ」
ミツクニは手帳に手を伸ばす。すると。
――どん。
視界が一回転し、破裂音が耳を突いた。微かに懐かしい曲が聞こえる。
「スタミナとスタミナ冷やし、どちらにしますか?」
気が付くと黒いエプロンの女性に話しかけられていた。
周りを見渡すと、老若男女が丼を抱え込むように麺をすすっている。ラーメン屋、だろうか。
「私が初めて食べたものとは、ずいぶん違うようだが」
「あの……」
「ああ。おススメの方で頼むよ」
甘辛い餡の香りが漂う店内。小麦の香り。野菜を噛むシャキシャキという音。
ミツクニはカウンターに頬杖をつく。
どうやらイヴァ=ラキに馴染みすぎたせいで、魔法が安定しない。かつて茨城から召喚された身とはいえ、あまりにイヴァ=ラキ暮らしが長すぎた。
「……で、その子には猫そっくりの耳が生えていたわけだよ」
ミツクニの耳に嬉しそうな話し声が飛びこんできた。
横目に見ると、白衣の男二人がラーメンを前に話しこんでいる。
「その子が落としていったハサミがこれだ。見てくれ、この不思議な材質……を?」
ひょい。
ミツクニは男の背後からハサミを取り上げた。
「拾ってくれてありがとう。友達のハサミなのでな」
ハサミを懐にしまうミツクニ。
「おい……」
白衣の男が憮然と振り向く。
しかし。
次の瞬間には目を見開き、涙をいっぱいに溜め始めた。
震える唇を、開く。
「……ミツクニ兄さん。おい。兄さんだろ?!」
大きな手がミツクニの腕を掴んだ。今にも零れ落ちそうな涙。
「俺だよ兄さん! 弟の顔もわからないか?!」
ミツクニは息を飲んだ。
確かに。ずいぶん歳をとったが。これは弟の――。
「――頼元」
(担当:千住のり子 Twitter:@senjunoriko)