第三章第二話
「セカンド=ツクヴァまで頼む。飛ばしてくれ」
街道で馬車をつかまえると、ルアンは簡潔に行き先を告げる。
鞭のしなる音とともに馬車は走り出し、車窓の景色が流れ始めた。
エルはジローたちが元いた世界、”茨城”へ行くための装置である”塔”に入り込み、誤ってあちら側へ飛ばされてしまったのだという。
無事でこそあるようだが、こちら側からエルを召喚して連れ戻せるようになるまでには少々時間がかかる。
そこでカズマを保護者として迎えにやらせるため、ジローの手を借りる……ということのようだ。
そして今、ジローの保護者として自分がセカンド=ツクヴァまで迎えに行っているこのおかしな現状に、ルアンは小さく苦笑をもらす。
「……まぁ、最後の最後のところで尻拭いをするのがいかにも私らしい役回りかもしれないな」
しかし、そんな冒険ももしかするとこれが最後かもしれない。
エルがうっかり程度で向こうに飛ばされ、そしてまた気軽に迎えをやれるということは、”塔”の研究が進みそれだけ向こう側の世界が近くなったということだ。
そう思うとルアンの胸を寂しさと安堵の入り混じった感情がくすぐる。
チヅルが帰った時には学者魔術師総掛かりでやっと”塔”を起動し、次の便はいつになるか分からなかった。
最初の便をチヅルに譲ったのは家族に元気な顔を見せたがっていた彼女のことを思えばこそだが、それはジローとて同じだったはずだ。
だがいずれは自分の意志で再びこちらを訪れるつもりらしいチヅルと違い、おそらくジローの家族は、ようやく帰ってきたジローを二度と手放しはしないだろう。
だから先に帰るようジローに強く促さなかったのは、ジローとの別れを少しでも引き延ばすためでなかったといえば嘘になる。
しかし――
『……せやけど、うちのアホに付き合わせてえらい遠くまで連れてきてしもたなぁ。
うちの手前おくびにも出さへんけど、きっとナーミも寂しがっとるやろなぁ』
レファの言葉が脳裏に蘇る。
「思えば、長らく引き止めてしまったな」
あの陽気な鳥公はルアンの手前おくびにも出さないが、きっと寂しがっているだろう。
……今回の『手伝い』が終わったら、次はジローを向こうへ帰してもらえるよう、カズマに頼もう。
彼はいずれにせよ、”塔”が完全に完成を見るまでこちらへ居残るつもりであるようだから、きっと異存はないだろう。
そう心に決めてしまうと、寂寥感とともに少し、肩の荷がおりたような気がした。
「手紙……か」
仕事の書簡ばかりで個人的な手紙など長らく書いたことがないが、セカンド=ツクヴァにつくまでの旅路を、ジローの飼い主とやらに宛てた手紙をしたためる時間にあてるのも悪くないだろう。幸いにして御者も無口なようだ。
ルアンは羽ペンと紙を取り出し、窓の桟を机に手紙を書き始める。
『拝啓、サヨ様。
短日の候、王都ミトの梅も蕾を膨らませる頃となりましたが、いかがお過ごしでしょうか――』
「……うーむ」
ルアンは時候の挨拶を書き込んだところで手を止め、考え込む。
そうだ、向こうの世界とこちらの世界の季節が一致しているとは限らないのだった。
ジローがこちらへ飛ばされた時、向こうの季節はいつだったんだ?
向こうにも王都に似たような場所はあるのか?
そもそもルアンはジローのいう「サヨチャン」を勝手に「サヨ」という女性への愛称だと思いこんでいたが、たとえば「サヨチャン=ハーパー」のような変わった名前のおじさんであることもありうるわけだ。
だめだ、分からないことばかりでこんな有様ではとても手紙なんて書けない。
「まったくあの鳥公。
いつもくだらないことばかりさえずって、肝心なことは全然言わないんだから」
『あなたのインコは私の頭を都合のいい止まり木かなにかだと思っている様子で、
いつも勝手にずっしりと座り込んでは私の言動をいちいち混ぜっ返し――』
そこまで愚痴を書き散らしてから、ルアンははた、と気づく。
今までジローに問うてこなかったのは、他ならぬ自分の方ではないか。
確かにジローの言葉は気ままで野放図だが、だからといって意思疎通ができていないと思ったことは一度もなかった。
きっと、聞けば教えてくれたのだ。
めちゃくちゃで、要領を得ない返事だったかもしれないが、それでも必ずジローは答えてくれたはずだ。
そして自分が努力さえすれば、そこからいくらでもあのインコについて知ることができたはずなのに。
ルアンはペンを置くと、書きかけの手紙をくしゃくしゃと丸める。
違う。こんなことが書きたかったんじゃない。
「……やっぱり、話し足りないな」
聞きたかったことがまだたくさんある。
まだまだ、一緒にいたい。
サーカスの団員やカズマ、そしてジローの前で口にすれば必ず茶化されるであろうそんな甘えを、ルアンはひっそりとつぶやく。
「ご友人のお見送りですかい」
それまでだんまりを決め込んでいた御者が、御者台から振り返らずに声をかける。
「ああ。遠い外国から来た友人が、じき帰ることになってね。
もしかしたらこちらへはもう戻らないかもしれないんだ」
「なるほど。それでお手紙を……ね」
「友人の家族に、そいつの世話になった礼を言いたいのもあるが――何しろそいつ自身がひどい鳥頭でね。
手紙をつけてやれば、時々は私のことも思い出してくれるんじゃないかと思ったんだ」
そう口に出して初めて、ルアンはペンを取った自分の思いに気がつく。
「だけど書き始めてみたら気恥ずかしくて、ついつい毒ばかり吐いてしまう。
それでは意味がないと分かってはいるんだが、かといって改まって礼を書き綴るのも私たちの間柄らしからぬというか」
「なるほど。でしたら素直に事実だけを書くのがいいんじゃねぇですかい。
お二人が過ごした間の出来事を」
「なるほど。それは良い考えかもしれない。
ありがとう御者殿」
「なぁに、長くこの仕事をしているといろんな人を乗せましてね。
長旅に手紙を書きなさる人もまぁ、いなくはない。
ほら、その桟のところにインクのしみが見えるでしょう」
ルアンが紙を持ち上げると、たしかに窓の桟にはインクのしみや、うっすらと裏写りした文字のようなものが見えた。
どれもルアンがつけたものではない。
「恋文、金の無心、郷里の親への手紙。
手を止めてあっしなんざに助言を求めてくるのは、大概が心にもないことを書こうとしている御仁ばかり。
中身がなんであれ、ペンを止めることなく書けるのは、いつだって事実だけを書いた手紙だと決まっておりまさぁ」
ルアンは改めて礼を言うと、再びペンを取る。
その後道の凹凸に時折ペンを跳ねさせながらも、ルアンはひたすらに書き綴った。
王城での意外な出会い。統計調査、それからサーカスに巡り合ったこと。だが、
「着きましたぜ」
セカンド=ツクヴァの”塔”の下で、御者は馬車を止める。
紙の上のルアンとジローの旅は、まだ道程の半分にも満たなかったが、既に時も紙の余白も尽き果てていた。
ルアンはため息をつくと書きかけの手紙を巻き、運賃を支払うとカズマのもとへ向かった。
つかの間の休息はひとまずおしまい。
馬車を降りたなら、今はエル救出の助けとなることだけを考えよう。
そう勇んでいると、
「ルアンさーーーーん!! お久しぶりですーーーー!!!!」
聞き覚えのある黄色い声とともに、その小さい顔より大きなインコを載っけたエルが駆けてくる。
どうやら救出はルアンが思った以上に首尾よく成し遂げられたらしい。
ジローも伊達に救国の英雄の端くれではないということである。
「るぱん! ヒサシブリ!! オマエチョットフケタカ?」
「老けてない! そもそもお前とはほんの半日ぶりだろう!!」
ジローはエルの頭からルアンの頭へと「もすっ」と飛び移り、我安住の地を得たりという顔で居眠りを始める。
セカンド=ツクヴァまでひとっ飛びした矢先に魔法を使い、さすがに疲れたらしい。
「ふふふ、ありがとうございました。ジローさん。
ゆっくり休んでくださいね」
「エルは元気そうだな。無事で何よりだ」
ほっと安堵の息をつくルアンに、カズマは、
「ジローじゃないけどルアンお前、なんか疲れてるな。
向こうの世界に飛ばされて帰ってきたエルよりやつれてるぜ。
自分で馬を駆って来たってわけでもないんだろ?」
「ああ、そのことなのだが……」
ルアンはジローが寝入っていることを確かめると、手紙を書こうとした経緯について手短に説明する。
するとカズマは、にやっといたずらっけのある笑みを浮かべた。
「なら、ちょうどいいもんがある。
顔洗ってジロー起こしてこいよ。
ジローの飼い主が、必ずジローをこっちに遊びにこさせたくなる”おまじない”だ」
◆◆◆
もうじき年の瀬を迎えようかというとある日、一人の少女が霞ヶ浦の見える窓を開けてじっと空を見つめていた。
「小夜〜? 暖房の空気が逃げるから、いい加減窓、閉めなさい?
風邪引いてもお母さん知らないわよ〜」
「だって!! ジローちゃんが帰ってくるかもしれないもん!!
窓が閉まってたら、ジローちゃんがおうちに入って来れないもん!!」
小夜と呼ばれた小さな少女は、階下で家事をする母親に向かって叫び返す。
子供部屋には空っぽになった大きな鳥かごがあった。
「まったく……いなくなってからどれだけ経つと思ってるの」
手を拭きながら階段を登ってきた母親は、抵抗する小夜の頭をぽんぽん、と撫でると窓を閉める。
「きっと今ごろ自然に帰って自由に暮らしているか、誰か親切な人にもらわれてるわ。
ペットならまた買ってあげるから。ね?」
「なんでそんなこと言うの!?
わたし、ジローちゃんじゃなきゃやだもん!!
ママのいじわる!!」
母親のエプロンを力ない拳で叩きながら泣きじゃくる小夜。
もう幾度となく繰り返されたこのやり取りに母親が途方にくれていると、
コッコッ。
……何か硬いものがガラスを叩くような音がして、小夜はとっさに顔を上げる。
「ジローちゃん……?」
「えっ、そんなまさか……」
小夜は母親の手を振りほどくと、カーテンと窓を開け放った。
すると黄色の固まりが小夜の胸めがけて突進し、ベッドの上に押し倒す。
「ジローチャンカワイッ? ジローチャンカワイッ?」
小夜のお腹の上でジャンプするその姿は紛れもなく――
「ジローちゃん!! ジローちゃんだ!!
ママ、ママ、ジローちゃんが帰ってきたよ!!」
「まぁ、本当だわ。こんなことってあるのね…….」
「ねぇジローちゃん。あなた今までどこ行ってたの?
わたし、心配したんだからね」
小夜の問いかけに、ジローはきょとんと首をかしげる。
「あら? ねぇ小夜、この子、足首に何かつけてるわよ」
それは小さく丸められた紙片だった。
小夜が広げたそれは、一枚のモノクロ写真。
男の子が二人と、女の子が一人。
それから真ん中にジローが写っている。
「るぱん。かずま。える。るぱん!!
ジローチャン、トモダチ!!」
ジローは写真の中の人物を順番にくちばしでつつく。
「ジローちゃんこの人たちのところに居たの?
この、るぱん……? って人、なんだか不思議な格好してるね。
日本の人じゃないみたい。
ねぇ、ジローちゃん。あなたはいったいどんな冒険をしてきたのかしら」
するとジローはぺらりと写真を裏返し、得意げに胸を張る。
そこには日本語によく似た、けれどどこか細部が異なる不思議な文字で、
『サヨ様。
今、私とジローの冒険をひとつの物語にしたためています。
もしこの手紙にご返信いただけましたら、ジローの脚に結んで放してやってください。完成した物語を持たせて、きっとお返しします。
ジロー=イチマンマルの友、ルアン=ハーパーより』
と記されていた。
小夜は目を輝かせ、ジローはうなずく。
「ママ、手伝って!!
わたし、ルアンさんにお返事書く!!」
母親は便箋を取りに行き、小夜は写真を鼻に近づけて深く匂いをかいだ。
ジローが旅したであろう、遠い異世界の残り香を求めて――
(担当:伊織ク外)