第二章第一話
「それじゃあ皆! またね!!」
屈託のない笑顔とともに手を振り、チヅルは”塔”内部へと足を踏み入れた。
セカンド=ツクヴァ学園都市。ここで研究されていたのはチヅルたちの『もとの世界』への転送装置だ。
イヴァ=ラキ中の魔法使いたちが一堂に会し、魔力を注ぎ込んで初めて動作するなんとも燃費の悪いシロモノは、カズマが石版に最後の起動術式を書き込むとその根本に白い輝きを帯びる。
「制御を船内へ切り替え(Guidance is internal)」
カズマのオペレーションにより、魔力庫や航法装置の制御が”塔”内部へと移管される。後は予め刻み込まれた術式によって進行する完全自動のプロセスだ。
カウントダウンを開始する。
「10、9……点火シークエンス開始(Ignition sequence start)」
鼓膜をつんざくような轟音とともに”塔”の輝きはその明度を増し、五臓六腑を揺らすような振動が周囲に伝わる。
石組みの”塔”から石礫がパラパラと砕け落ちるのを、カズマはかたずを呑んで見守っていた。
頼む、あと少し、あと少しでいいから保ってくれ……!!
「6、5、4、3、2、1……全魔導エンジン始動(All sorcery engine running)!!」
塔内部で光が球状に凝集する。
設計通りに動いているのなら、今あの光の中心には魔力に”溶け”、質量を失った状態のチヅルがいるはずだ。
光球は振動とともにゆっくりと塔先端へせり上がり、そして一度爆発的に輝くと――
「発射!!」
打ち上げ花火のような風切り音を残し、セカンド=ツクヴァの空めがけてまっすぐに射出。
世界障壁を突破する際の衝撃波がレンズのように空を歪める。
直後”塔”の石扉が開いて白い煙を吐き出すが、煙が晴れてももちろん中には誰もいない。
魔術師たちはざわめき、やがてどこからともなく拍手が巻き起こる。
「発射成功だ!!」
ともに”塔”の研究を推し進めてきたナスダ博士とイプシロン博士が駆け寄ってきて、カズマと固く握手を交わす。
カズマをはじめ、二人と一匹の旅人がやってきたことが『第一歩』だとするならば、その旅客をこうして送り返せたということは、『茨城』と『イヴァ=ラキ』を結ぶ絆の第二歩と呼ぶことができるだろう。
……それが数日前、チヅルが『茨城』へと帰った日の顛末だった。
そして現在。打ち上げミッションを無事成功に導いたカズマは、再びセカンド=ツクヴァの研究室で研究に勤しんでいた。
「ぶーぶー。カズマさんはまたご本とにらめっこですか?
せっかく遊びに来たのに、そんなのってつまんないですよぅ」
論文の紙が無造作に散らばったテーブルに腰掛け、エルは不満げに両脚を揺らす。
「こないだ試作品の魔導通信機貸したろ?
暇な時にかけてやるからそれで我慢してくれ」
「そう言ってカズマさん、全然かけてくれないじゃないですかー。
暇な時っていつになったら来るんです?
”塔”が完成したんですから、ちょっとくらいお休みしたってバチは当たらないって、エルは思うんですよねー」
エルの愚痴に、カズマは読みかけの本をパタンと閉じる。
「完成? 完成したって? あの”塔”が? どこが? どうして?」
カズマの目に宿るらんらんとした光に、エルが「ああ、しまった」と思った時には時既に遅し。
「『打ち上げ』後のあの”塔”の有様を見ろ。
焼け焦げ、壁面の石は多くが剥がれ落ちて再使用は不可能だ。
そりゃ、同じものをもう一度作ることは可能だろう。
だけど”塔”一基の建設と魔力の充填には、セカンド=ツクヴァ全体の研究予算の50%を費したんだぜ。
今回は”実験”という名目で皆が協力してくれた。帰るのがチヅルだから、というのも大きい。
だけど、”塔”を交通機関として考えたらどうだ?
あんなコストパフォーマンスの悪いシロモノ、完成だなんてまったくもって程遠いよ。
そもそも俺たちや王様が一人分の魔力で気軽に向こうのモノを 持ってこられるのは、俺たちの世界が『イヴァ=ラキ』よりもエネルギー順位的に上位の世界にあるからなんだ。
これは勘違いしないで欲しいんだが、どっちの世界が優れているとかそういう話じゃない。
単に上からモノを落とすのは簡単だし、落としてすぐなら反発で同じ高さまで戻せるけど、一度完全にこっちに着地した同質量を元あった場所に打ち上げるとなると、そこには多大な労力が必要だってそういう――」
「あ、あぁうぅ〜……ストップ、ストップ!
そんな一気にお話されたら頭ぐるぐるしちゃいますよぅ……」
エルは頭を抱えるが、かといってカズマの言っている内容が分からなかったわけではない。
”塔”の研究の間、分からないなりにもカズマの傍で話を聞いてきたかいあって、現状はそれなりに理解しているつもりだった。
それでもエルが不満を言うのは、王の後継者としての役目を終えた今、少しは「友人」として自分にかまって欲しい、そんな想いからだった。
「つまるところ、カズマさんは誰もが簡単に”塔”を使えるようになるまで、こっちに居てくれるんですか?」
「ん、ああ……あんまり考えたことなかったな。
だけど……うん。多分、そうすると思う」
その答えを聞いて、甘えられる時間はまだまだありそうだ、と頬を緩ませるエルとは反対に、カズマの表情にはわずかに影が落ちる。
本当のことをいえば、”塔”の安定低コスト化なんてナスダとイプシロンの二博士がいれば事足りる。
たかだか19年の人生で手にした知識のほとんどは、既にあらかた伝え終えた。さすがは学者、セカンド=ツクヴァの人々は乾いたスポンジのようにカズマが与える知識を吸収し、そして吸収し終えてしまえば、ここで研究の中心にいるのが必ずしもカズマである必要はない。
分かってるよ。だからこうして、『こっち』の論文も読み漁ってるんだ。
だが、”塔”が完成して、それから先は?
「あのねカズマさん。そんなに慌てなくても、カズマさんが望むならず〜〜〜っと、こっちに居てもいいんですよ?」
エルは屈託なくそんなことを言ってくる。
「エルはカズマさんのこと、ほんとのお兄さんみたく思ってますから。できることならずっとずっと、お側にいさせてほしいです。
ううー……でも、そんなのご迷惑ですよね? カズマさんの故郷は向こうですし、おうちに帰りたいですよね……?」
「それは、当然……」
……そう、なのか? 本当に?
カズマはエルの問いに即答できないでいる自分自身に気がつき、愕然とする。
そうだ。イヴァ=ラキにいる限り、元・王の後継者候補で救世の英雄で、エルを始め皆から慕われる大魔法使いだ。
だけど元の世界に帰ってしまえば、ちょっと頭が回るだけのしがない大学一年生に過ぎない。友達だってそう多い方じゃない。
カズマにとってどちらが『居心地がいい』かだなんて、考えるまでもないことだった。
違う……。俺はただ、イヴァ=ラキの皆のために……
その時、急いたような足音とともに研究室のドアが開かれる。
「カズマさん!!」
肩で息をする青年は確か、ナスダ博士のところの研究生だ。
「どうしたんだ?」
「先日の打ち上げを分析していたら、実に興味深いことが判明したんです!」
曰く、打ち上げのために注入された魔力のほとんどが、光と”塔”そのものの破壊のために使われており、打ち上げ自体はほとんど、チヅル本人が持つエネルギーによって成功したのだという。
では、チヅルが持っていたというそのエネルギーはどこから来たのか。
ナスダ博士が立てた仮説は、「召喚されたものは、反発によって元の世界に帰ることができるが、イヴァ=ラキに留まったからといって反発のエネルギーが失われるわけではない。ただ、取り出しにくくなるだけだ」、というものだった。
”塔”に注入された魔力によってチヅルが持っていたエネルギーが刺激され、解き放たれた結果が”塔”の破壊と打ち上げの成功だ。
「……つまり、今まで俺たちは召喚をスーパーボールのようなものだと思っていた。勢い良く叩きつければ元の場所に戻り、一度地面に固定してしまえば弾まない、と。
だけど、実際はバンジージャンプだったってわけだ。降りてきたものを地上のフックに引っ掛けても、ゴムの張力が失われるわけじゃない」
「これは朗報ですよ、カズマさん!」
研究生は目を輝かせる。
「一度でも向こうの世界へ行ったことのある者なら、単独で”塔”を起動することができます。
その上、その場合は”塔”の破壊も起きず――現状の”塔”を簡単に補修した程度の耐久力で、十分に機能する可能性が高いです!」
「そ、そっか……。それは……僥倖だな。
ナスダ博士のところへ行こう」
平静をとりつくろいながらも、カズマは内心の動揺を隠すことができなかった。
この世界が自分を必要としてくれる時間は、思ったより短いかもしれない。
「……そういうことだからエル、今日は帰ってくれ。
ゴメンな、わざわざ来てくれたのに」
「ううん、仕方ないですね。お仕事ですもん!
頑張ってくださいね、カズマさん!」
少しだけ、引き止めてほしかった。
そんなことを思いながら、カズマは自分の居室を後にした。
◆◆◆
魔導研究所を出たエルは、傷ついた”塔”を見上げてため息をついた。
これが修理されれば、カズマは今度こそ、向こうの世界へ帰ってしまうかもしれない。
それこそがカズマにとっての幸せだとエルは信じるが、自分にだって少しは幸せを望む権利があるのではないだろうか。
少しくらい、カズマが向こうへ帰る日取りが伸びたって、それはカズマの幸せを損なうことにはならないのではないだろうか。
例えばこの”塔”にいたずらをして、修理にもっと時間がかかるようにしたら――
エルはいつの間にか”塔”の中に足を踏み入れている自分に気づき、慌ててかぶりを振る。
「ダメ、ダメです! エルは悪い子じゃないです!!」
王様は、「エルは最近少し大人っぽくなったな」などと言うけれど、こんな悩みが増えるだけなら、大人になんてなりたくない、とエルは思う。
「帰り、ましょっか……」
おとなしく”塔”から出ようとした時、
「へぅっ!?」
転がっていた瓦礫に足をとられる。
よろめいたエルはそのまま”塔”の内壁にぶつかり――
地鳴りとともに、視界を土煙が覆う。
「けほっ、こほっ。ななな、なんですかぁ……?」
「おいエル!! 大丈夫か!?」
カズマの声だ。騒音を聞きつけて駆けつけてくれたのだろう。
声のする方へ手探りで進むと、すぐに瓦礫の山にぶち当たってしまう。
そんな……。さっきまで出口は確かにここに……!?
「入り口が崩れたんだ。待ってろ、今助ける!!」
「あっ、待ってくださいカズマさん!!
”塔”にはまだ注入された魔力が残ってます!!
あなたが触れたら――」
触れたら。
”塔”に最も近い人間の『ゴムの張力』は”塔”に刻まれた術式へと流れ込み、内部にいるものをカズマの世界へと”射出”する。
つまりこの場合、
「えっ、えっ、ええええええええ!?」
光に包まれてパニックに陥る、エルを。
心の準備を整えるためのカウントダウンもへったくれもない。
自分の重さが消える感覚とともにエルは浮き上がり、そして――
つい先日聞いたばかりの風切り音とともに、天空へと撃ち出されていった。
◆◆◆
「今年いっぱいで運用を終えるこのVLBIアンテナですが、今もこうして空を見上げ、日々宇宙からのメッセージを……」
「あああああああああああああ」
「せんせ、せんせー!! 何かおちてくるよ!!」
「めっちゃ叫んでるよ!!」
社会科見学の一行に指さされ、エルは国土地理院パラボラアンテナめがけまっすぐに落ちてゆく。
「はうっ。へぶっ!?」
パラボラ面でワンバウンド。そして焦点にある受信装置にぶつかって、停止。放物面と正反射の法則を身をもって理解して、エルは受信装置を支える鉄骨にへばりついた。
霞む目をこすって周囲を見回せば、どこか見たことのある風景に見たこともない建物。
舗装された道路を自動車が行き交っている。
……状況の理解が追いつかない。
と、ポケットの中のペンダントが振動していることに気がつく。
カズマに渡された魔導通信機だ。
「無事か! エル!!」
ペンダントから聴こえるカズマの声に、なんとか人心地つく。
「は、はい……ここが天国じゃないならなんとかぁ……」
「今どこにいる? 何が見える?」
「え、えと……あのですね、
な、なんか白くてでっかい傘みたいなとこに居ます!!
下に居る人たちが『こくど』……なんとかって言ってました」
ペンダントの向こうからたっぷり5秒分くらいのため息が聴こえる。
「いいかエル、落ち着いてよく聞け。お前がいるのは『茨城』の『つくば市』」
「えっ、つまりそれって――」
「そう、俺の元いた世界だ」
(担当:伊織ク外)