第一章第二話
深夜、宿屋の簡素なベッドの上でアズールは一人思い悩む。
課題としていた地域の困窮。その原因はニシ村ヒガシ村の対立関係にあった。
二村は村境の林地を巡って争っているが、件の林地自体はさほど重要ではない。
争いの根本にあるのは、二村分裂の頃から数十年続く対立の関係そのもの。親から子へと受け継がれてしまった、互いの村への悪感情であった。
そして、村民たちの心にくすぶっていた嫌悪は十年前の合併案にあたって爆発。
現在は「村の対立の原因は林の取り合いにある」と話をすり替え、村長同士が矢面に立つ事で、最悪の事態を一応は回避している。
しかし一度爆発してしまった感情は抑え難い。
言い争いだけならまだしも、争いにより村民は日々の生計を支える農作業にまで支障をきたしている。貧困は互いへの嫌悪をかきたて、争いは激化する。
負のスパイラルが成り立ってしまっていた。
では、どうするか。
煩悶とするアズールの胸中で、一点だけ、明確に確信を持って言えることがあった。
「二つの村は、一つに戻るべきだ」
暗闇に一人つぶやく。
調査によればこの地域では近年異常気象や虫害の報告はない。ならば、村民が争い合うこともなく、穏やかに生活できるようになれば徐々に暮らしぶりは回復していくはずだ。
言葉にするだけならば簡単だ。問題はその方法である。
プラン1。国の施策として無理やり村を合併させる。
却下。暴動が起きかねない。
プラン2。とりあえず争いのタネになっている林を国の所有にする。
却下。村民の嫌悪が国に向いてしまうだけで根本的な解決にならない。
プラン3。二村で心いくまでスモウでもとらせ力で白黒つけさせる。パワーイズパワー。
却下。だんだん思考が単純化してきていないか。
プラン4。チヅルを召喚する。
チヅルは魔法の使い方こそ豪快だが、人々の心にごく自然に寄り添える人間だった。先の国土調査においても、チヅルが国民たちと結んだ絆無くしては完遂できなかった。それどころか、アズール自身今こうして無事でいられはしなかっただろう。
どこまで行っても騎士様、議員様と民に一枚壁を置かれる自分とは違う。いつでも民衆の間に溶け込んでいた彼女がいれば、この問題も案外あっさり解決できてしまうかもしれない。
チヅルさえいれば――。
「大丈夫。アズっちなら絶対なんとかなるよ!」
ふいに、別れ際の言葉が脳裏によみがえった。
寝台の脇に目をやれば、サイドテーブルの上で鼈甲色の髪飾りが月明かりを受けて静かに光る。
「何を考えているんだ、私は」
急に自分が馬鹿らしくなった。
いったい何を弱気になっていたのだろう。チヅルはイヴァ=ラキ王国をアズールに任せて帰って行ったのだ。自分の国で夢を叶えるために。
彼女が信じてくれた騎士は、己の夢にも民にも向き合えない弱い男ではなかったはずだ。
髪飾りを握りしめ、アズールは寝台から身を起こす。
夜明けにはまだ少し早いが、寝直す気分にはなれない。
「騎士が民になさけない姿を見せるわけにはいかないな」
まずは村の姿を自分の目でもう一度見直さなければならない。今までは村民のいさかいばかりに気を取られていた。
彼らが何を着てどんな生活をしているのか。田畑では何をどのくらい育てているのか。家畜の数は十分か。彼らは何を喜びとし、何を苦しみと思うのか。
アズール自身が見て確かめて、実態を知らなければならない。
「大丈夫だ。私は村を救える。絶対にできるはずだ」
出立の支度を整えながら、アズールは己を鼓舞する。
絶対にできる。いや、やらねばならない。
他ならぬ国民たちがそう信じてくれたからこそ、己は議員たり得たのだから。
半年後。
異世界との通信装置によって再びイヴァ=ラキを訪れたチヅルを、アズールは例の村に案内していた。
結論から言えば、ニシ村とヒガシ村はいまだ合併に至っていない。
村は二つにわかたれたまま、決定的に変わった点といえば、境界にある林地が国有化されたことくらいだ。
林は大きく切り開かれ、いまや林というより広場といったほうがふさわしい状態になっている。林地もとい広場にはそこかしこに出店が立ち並び、市場が出来上がっていた。
林地を国有化すると決めた時、当然ニシ村からもヒガシ村からも反対意見が吹き上がった。
曰く、林を国に取り上げられては余計に生活が苦しくなる、村の貴重な財産を奪うつもりか、などなど。
しかし、それらの意見を聞いた上で、なおアズールは林地を召し上げると決定したのだ。
「土地は国が買い上げる。代金は各戸構成人数を調査の上、ニシ村ヒガシ村両村民に均等に配分する。通行、採集は自由。土地の利用権については国の代理としてアズール=ザザが采配するが、機を見て領主に代理を委任することとする。以上! 反対は認めん!」
そうばっさり言い切ったアズールは、一斉に向けられる敵意の視線にも怯むことなく、こう続けた。
「不満があるのなら、国から買い戻せ。ただし、次回国土調査の結果、この地域の経済状況が基準値まで回復したと認められなければ、売買交渉には一切応じぬ。一ヵ村の収入ではとうてい買えぬというなら、二村で協力するがいい」
そうして、買い上げた林を切り開きアズールが建設したのが、広場兼国有市場であった。
市場への出店は届け出をきちんとすれば誰でも自由。村で取れた農作物のほか、工芸品や軽食のたぐいも販売している。
得た利益は出店者個人の総取りとあって、噂が広まったか最近は村外の行商人からも出店希望が出るようになった。
「農業は立て直しに時間がかかるからな。外から人を呼んで経済を潤わせてもらう必要があるだろう。ルアン殿に頼んで時折サーカスにも来てもらっているんだ」
村がたどった経緯を聞き、チヅルは得心したというようにうなずいた。
「なるほどー。だから村の人たち、ちょっとアズっちによそよそしいんだね!」
「ぐっ!」
痛いところを突かれアズールはうめく。だが実際その通りであった。
あまりにも強引にことを決めてしまった結果、アズールは村民たちに距離を置かれるようになっていた。
だが、仕方がない。こうなることも覚悟して、あえて悪役に徹したのだ。
要は最初の目的――地域を困窮から救うことこそ成功していれば、それでいいのだ。
肝心の村民たちの仲はといえば、さほど仲良しこよしというわけでもない。
「うちの屋台の方が人気だ」「いやうちの方が」と売上競争に形を変えて、争いあいは続いている。だが、以前のように暴力的な手段での衝突は皆無となった。大きな進歩である。
このまま徐々に協力しあえるようになってくれればいい。それまでは、役人たちが双方の緩衝材になっていくしかないだろう。あの気弱な領主にも監督者として仕事をしてもらわねばならない。
「まだ成功しているとは言いがたいが、これで少しでも村民たちが救われてくれれば」
アズールは不安げにつぶく。
その横顔を見上げつつ、チヅルはおまんじゅうを頬張った。
ニシ村の村長が売り出した新商品、オオミーカまんじゅうは市場でも特に評判がよい。
もっとバリエーションを増やして、いずれはキャラクター商品化を狙っていきたい、と老婆は野望を語っているとかいないとか。なんとも商魂たくましいことである。
「ねえ、アズっち。この村が上手く行ったら、次はどうするの? ミトでのお仕事もあるんでしょ?」
「実は、まだ所得が低すぎる村がいくつかあってな。片端から……いや、その前にもう一度国土調査の結果を洗い直す必要があるな。緊急性を調べて、すぐに支援が必要そうな村から順にあたっていく予定だ」
チヅルの問いに、アズールは眉間のしわを濃くする。
チヅルは新たなおまんじゅうに手を伸ばしつつ、アズールと出会った時のことを思い出していた。
二人が国土調査を始めた村でのこと。あの頃のアズールは国を大事に思う余り、小さな村に住む国民ひとりひとりのことを思いやる余裕を無くしていた。
今度は逆に、目の前の問題に必死になりすぎている気もするが……だが、こうしてひとつずつ国民の苦難を解消していけば、いずれイヴァ=ラキ全体が救われていくことだろう。
チヅルは一人うなずく。
「よーし、じゃあわたしもお手伝いしよう! 大学はもうすぐ秋休みに入るから、そしたらまたよろしくね!」
そう言って、元・王女はいたずらっぽく、にっこりと笑った。
「いや、ここでチヅルに甘えるわけには!」
とアズールは慌てて首を横に振る。が、しかし手帳を開いて楽しげに予定を立てるチヅルには聞こえていないらしい。この調子だと、何度断ったところで勝手にやってくるだろう。そして、アズールにはそれを頑として追い返すことなどできやしないのだ。
「これではいつまでたっても半人前の従騎士から変わらないではないか」
うなだれるアズール。その姿をこっそり盗み見て、チヅルはほほ笑む。
アズールは自身のことをいつまでも半人前だと卑下する。だが、チヅルにとっては、彼はすでに立派な騎士だった。手作りの勲章を贈ったあの時から、ずっと。
いつかアズールは、イヴァ=ラキ王国の人々からも、真の騎士と呼ばれる日が来るに違いない。
チヅルはそう信じている。
(担当:紫藤夜半)