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第一章第一話

挿絵(By みてみん)


 秋晴れの空の下、一台の馬車が街道を走る。

 一頭立ての車体は小さく慎ましやかだが粗末ではない。施された家紋と華やかな装飾から持ち主がそれなりの地位にある人物だとわかる。

 ごとごとと小刻みに揺れる車内で、金髪碧眼へきがんの青年――元・王女直属従騎士アズール=ザザは小さくため息をついた。

 今のアズールは、かつての甲冑姿ではない。

 銀糸で刺繍ししゅうがほどこされた濃紺のジュストコール(すその長い上着)、そろいのすっきりとしたスラックス、純白のクラバット。

 戦うための装備とは違い、王宮内での社交や書類仕事に向いた格好だ。

 手元の資料に注いでいた目をそらし、アズールは窓外に視線を向ける。

 夏も過ぎて日差しはゆるく、風は涼やかに軽い。街道の両脇をおおう森はわずか色づき始めたばかりだが、あと半月もすれば美しい紅葉こうようが目を楽しませることだろう。

 先の反乱事件から数ヶ月。イヴァ=ラキ王国は秋を迎えようとしていた。



 王位簒奪さんだつ企図きとした大臣たちが起こした反乱の結果、イヴァ=ラキ王国は議会による間接民主制への移行を決定した。

 その記念すべき第一回議員選挙において、アズールは議員の一人として見事当選を果たした。

 王国の危機に立ち上がった王女とその従騎士。大分噂に脚色された騎士道物語が国民の歓心を買ったらしい。アズールは正式に騎士の叙勲じょくんを受けた上で、議員として働くことになった。

 本当ならば、とアズールは心中でひとりごちる。

 本当ならば、議員となるのは自分ではなく王女であるべきだったのだ。

 一年前、異世界からイヴァ=ラキ王国へと召喚されてきた少女、チヅル。

 彼女は王女としてアズールと共に国土調査に奔走した。その中で国民の信頼を得、豪商の悪事を暴き、果ては反乱の鎮圧においても功を立てた。

 彼女ならば必ずや議員に選ばれるだろうとアズールは確信していた。

 彼女に引っ張られる形で立候補したものの、当選するのは彼女だけに違いない。自分はその隣で、事業を補佐していくことになるだろう。今までと同じように――。

 ところが、議員として当選したのはアズールだった。

 同時に選ばれた数十名の議員名簿のどこにも、チヅル=ミヤノの名は無かったのだ。

 聞くところによれば、チヅルもかなりの票数を稼いでいたそうだ。しかし、当選できなければそれも意味はない。

 チヅルは大いにアズールを祝福したあと、一晩だけ落ち込んでいた。

 しかし翌朝にはあっけらかんとした笑顔でアズールの補佐官として名乗りを上げたのだった。

 そして――彼女はもうこの世界のどこにもいない。

 セカンド=ツクヴァの科学者が完成させた異世界間転送装置に乗って、彼女の世界に帰ってしまったのだ。


「大丈夫。アズっちなら絶対なんとかなるよ!」


 と、晴れ渡る空のような、あの笑顔だけを残して。



 ミツクニ王との謁見を前にチヅルから与えられた勲章は、今もアズールの襟元にある。

 その飴色の飾りに手をあてて、アズールはもう一度、小さく息をついた。

 ため息ではない。胸のわだかまりを吐き出すための息だ。

 いつまでも思い悩んではいられない。チヅルはアズールを信じて国へ帰っていったのだから。


「それに、転送装置を使えばいつでも会いに行けるしな!」


 己をはげますように、力強くつぶやく。

 今抱えている仕事が終わったら、休暇をとってチヅルに会いに行こう。

 そのためにも、今は頑張らなくては。

 アズールは手元の資料に目を落とす。

 そこには、先の国土調査によって明らかになった、国民の世帯別年収の分布が記されていた。

 一目して、都市の周辺は年収が高く、離れるにつれて低くなっている。それでも『一家族が一年間安定して衣食を得られる金額』として定めた基準値より、目立って少ない地域はごくわずかだ。


「流石は我らがミツクニ陛下。あの御方の素晴らしき治世の賜物たまものだな!」


 アズールは満足げにうなずく。

 しかし、それでも。ごくわずかながらも、生活に貧する地域は確かにあるのだ。

 馬車が目指しているのは、そうした地域のひとつだった。




「だーかーらー!」


 青い、青い、空の下。アズールは今日何度目になるかわからない大声を張り上げる。


「ヒガシ村! 相手の話をさえぎるな! ニシ村はすぐ声を荒らげない! 弁論は冷静に順序立てて! 反論がある時は挙手をしてから!」


 隣接する二つの村の境界地。広い林地の中央に設けられた空き地で、二つの集団がにらみ合っていた。

 その集団に挟まれて、アズールは頭を抱える。

 馬車で半日かけてたどりついた土地では、二つの村が激しく対立していた。

 曰く、村の境界に広がる林地の所有権を巡ってここ十年近くずっと争っているのだという。

 二つの村の対立は年々激化し、しまいには野良仕事にも支障をきたすようになってしまったとか。

 彼らの困窮の原因は、この土地争いにある。そう確信したアズールは早速両村の代表を呼び集め、話し合いの席を設けたのだが――


「この林地はわしらのもんじゃー! わしの婆様のいとこの姉の……あー……その婆様の時代からずっとそう決まっとるんじゃ! それをいまさら!」


 そうニシ村村長の老婆ろうばが声を荒らげれば


「なんじゃとこのババアめが! デタラメを言うな! そもそもはうちのひい爺様が……えー……その親父様から受け継いだ土地じゃー! 多分!」


 ヒガシ村村長の老爺ろうやも拳を振り上げ応戦する。


「多分とはなんじゃ! 適当なことを言いおって!」


「そういうお前も言いよどんでおったじゃろうが!」


 二人の村長が言い争ううち、どこからか話を聞きつけたギャラリーが集まり、場の熱気は否が応にも高まっていく。

 しまいにはアズールを挟んで両陣営がシュプレヒコールをあげだす始末。


「はいはいはい! わかった! わかったから!」


 両手を掲げてアズールは叫ぶ。


「貴殿ら全員、一旦解散!!」




「と、言うのが現在の状況でだな」


 場所を移して、領主の館。

 アズールは両村を領土に持つ地方領主の元へ談判に訪れていた。

 首都から遠く離れた地域では正規の裁判所を持たないことが少なくない。そうした地域では住民同士で解決できない争い事が起こった際、領主が裁定を務める決まりになっている。

 そのため、アズールも領主の裁定をおうと館へ訪れたのだが


「いやぁ、無理ですなぁ」


 おっとりした丸顔の男はそう困ったように笑い、頭をかいた。


「無理、とは?」


「その二村の争いにはわたしとしても手を焼いておりまして、何度か裁定のために村長を呼び出したのですが、まぁ、ザザ殿もご覧になった通りでして。ずっと昔から自分たちの土地だと両者譲らず……」


「そこを裁定するのが領主の役割ではないか!」


 思わずアズールは声を荒げる。

 当人たちが言いぶんを曲げないからこちらも判断できません、では領主の意味がない。

 しかし、領主は人の良さそうな太い眉根を下げて言う。


「生計をたてるためのなりわいすら犠牲にするほど、彼らにとって大事な土地なんですよ。それを上から勝手にあちらのもの、こちらのものと決めてしまうことは、どうしてもできなくて」


 力なくうなだれる領主に、アズールはそれ以上言いつのることができなかった。



 村のためには争いを解決しなければならない。しかし、二つの村はそれぞれの主張をがんとして曲げない。頼みの領主は人が良すぎて決断できない。

 いったいどうすればよいのか。

 重い足取りでアズールは領主の館を出る。

 と、門を出てすぐ、馬車へ手を振る人影があった。

 車から降りて、アズールは驚く。

 人影は、先ほど激しく言い争っていた二人の村長だったのだ。


「議員様、領主様はなんと?」


 恐る恐る尋ねるヒガシ村の村長に、アズールは首を振って応える。


「そうでしたか。やはり……」


 村長たちは肩を落とす。その声音は落胆しているようでもあり、どこかほっとしたようでもあった。

 その姿は、村民の先頭に立って弁をふるっていたのと同一人物とは思えないほどしぼんでいる。


「貴殿らは、なぜそこまであの土地に固執こしつするのだ」


 林が村での生活に必要なのはわかる。危険な獣の住み着いていないとわかっている林でなら薪を得るにもおびえないで済む。野鳥がいれば狩りもできるし、実がなれば秋冬の蓄えになる。

 しかし、それは日々の生計に支障をきたしてまでこだわるべきことだろうか。

 村長たちは明言しなかったが、資料に示される収入額から予測すれば、村民たちは互いの田畑へ手を出している可能性が高い。

 そこまでして、なぜ。

 アズールの問いに、両村長は顔を見合わせる。そして、意を決したように口を開いた。


「争いが、長引きすぎたのですじゃ」


 ヒガシ村とニシ村は、元々ひとつの村だった。

 しかし、何代も前に村長の後継者争いのために二つにわかれ、以来、小さないさかいを繰り返しながら今日まで続いてきたという。

 「なんとなく相手が気に食わない」という程度の、ほんの少しばかりの軽い対立。

 少なくとも、村長たちはそう思っていた。

 だから十年前、村民たちに提案したのだ。

「林を隔てているからいつまでもいがみあいが終わらないのだ。いっそ、林を拓いてひとつの村に戻ろう」と。


「それがいけなかったのですじゃ」


 老婆は悲痛な息をつく。

 代々親から子へと受け継がれてきた対抗心は簡単には消えない。

 そのささくれから、村民たちは反発した。

 「なんでいまさら」と、二、三の反対意見がどちらの村からも出た。

 当然出てくるはずの意見。しかしそう強い反対ではない。建前上のもののはずだった。

 だが、相手方も不満をもらしているのを知って、その反発は一気に膨れ上がる。


「こちらを嫌っている相手と仲良くなどできない」


 その声が、さらに他方に伝わり――。

 村同士の溝が修復不可能なまでに深まるのはあっという間だったという。


「ですが、これ以上村の者が苦しむのを放っておくわけにはいきませぬ」


 老爺のしわだらけの両手が、力強くアズールの手を掴む。


「議員様、ザザ様! かつて国を救ったその御力で、何卒なにとぞ、わしらの村をお救いくだされ!」


「国を救ったなど……それは私ではなく王女の……!」


 思わず視線をさまよわせるアズール。その両目を、老婆が眼光鋭く見つめた。


「もはや、貴方様だけが頼りなのですじゃ!」


 言えない。

 「国を救ったのは王子、王女の力であって、自分はただの騎士に過ぎない」などと、「だからあきらめてくれ」などと言えるわけがない。


 チヅル、俺はどうすれば――。


 夕闇が迫り来る。

 救うべき民に手を握られながら、騎士は一人、瞑目めいもくした。



(担当:紫藤夜半)

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― 新着の感想 ―
[一言] まさか、茨城県の統計課が小説を書いていたなんて! こういうのができる茨城県ってすごい好きです!!
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