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翌日、目覚めたリリナカーナは鏡の前でうろたえた。
泣いている内に眠ってしまったためか下着のまま寝入ったことも合わさってか、鏡の中には顔色の悪い、瞼が腫れ上がって、充血した白目が痛々しい女が一人。
唯でさえ落ち込んでいた気分が、更に悪化するようだった。
取り敢えず部屋着を着こみ、メイドを呼んで湯を持ってきてもらう。
布を湯につけて固く絞り、瞼にそっと押し当てる。
目元を温めると、温もりが浸透すると同時に気持ちが少し軽くなった気がした。
暫く横になって暖を取る。
身体が軽くなったと感じる頃に、見計らったかのように入室の許可を求める声が聞こえた。
それに許可の返事をすると、姉妹のように育ったメイドのマリが、青い封筒を持って部屋に入ってきた。
「お嬢様、スヴェン様からお手紙が」
ベッドの上で上半身だけ起こした状態のリリナカーナに、マリは何も言わない。
ベッド脇のテーブルの上に手紙を置いて、マリはソファーにかけたままだったショールを取って、リリナカーナの肩にかけた。
「ありがとう、マリ」
マリはベッド脇に椅子を持ってきて座り、リリナカーナに視線を合わせた。
「幼子ではないのですから、下着のままで寝てしまうなんてやめてくださいね」
「昨日は……ちょっと語るには長すぎる理由があったのよ」
「どんな理由があったとしても、身体を壊してしまってはいけませんよ」
本当に幼子に言い聞かせるように、マリは言った。
姉妹のように育ったマリにとって、リリナカーナはいつまでも小さな妹なのかもしれない。
「ごめんなさい、気をつけるわ」
一人っ子のリリナカーナにとって、マリはいつまでも頼りになる姉のような存在なのだ。
それが幼子に言い聞かせるようなものでも、彼女の言葉ならリリナカーナは素直に受け入れられる。
「シェフにスープを頼んでいますから、それを食べて、今日はゆっくりお休みください」
「ええ、そうする」
リリナカーナが素直に頷けば、マリは満足気な笑みを見せた。
そして一言断りを入れて、マリは退室していった。
次に来るのは、きっとシェフ自慢の美味しいスープを持ってのことだろう。
リリナカーナはスープを楽しみにしつつ、ベッド脇のテーブルに置かれた手紙を手にとった。
封筒には宛名がない。
しかし青い封筒に百合の印章が押されていることが、この手紙がリリナカーナ宛であることを証明していた。
リリナカーナの友人、スヴェン・マクレーバルとは幼い頃からの付き合いで、互いに親友と言って憚らない間柄だ。
スヴェンはマクレーバル伯爵家の七人兄妹の末娘で、リリナカーナより一つ年上なのだが上の六人の兄と両親に甘やかされて現在も引きこもりの変わり者だ。
社交界デビューしたっきりでその後全く姿を見せず、家にこもりきりの変わり者。
それがスヴェンの対外的な評価だった。
実際スヴェンは家にもこってばかりだし、貴族令嬢でありながら社交界に一切現れない変人だ。
だがその容姿は大変愛らしく、滅多に見られないことから妖精姫などとも呼ばれていた。
それも薔薇姫の登場でとんと聞かなくなったが。
マクレーバル伯爵家の印章は百合だ。
そして封筒の色はスヴェンの瞳の色。
リリナカーナはペーパーナイフで丁寧に封を切った。
スヴェンとはもう何年も直接会っていない。
しかしずっと手紙のやり取りは続いており、それに寂しさを感じたことはなかった。
カルロとは、三日と会えないだけで随分と気を揉んだというのに。
――親愛なるリリナカーナへ
手紙はいつもこの一文から。
――親愛なるリリナカーナへ
春の兆しが見えても、まだまだ肌寒い日が続いています今日此の頃、如何お過ごしですか?
って形式にのっとって書いてみたけど、書きにくいだけね。
元気? 私は元気よ。
相変わらずお母様には「日光を浴びろ!」って怒られてるけど、やっぱり太陽って眩しすぎると思うの。
太陽にも紗をかけるべきね。
婚約者殿とはどう? まあ私の心配なんて必要ないんでしょうけど。
今日の手紙はね、ビッグニュースよ! なんと、私結婚が決まったの!
相手は貴族じゃないんだけど、お父様の贔屓にしている商人の息子よ。
彼、私より貴族っぽいの。
それから私が本が沢山必要で太陽光に晒されたくないって言ったら「君の思うようにしてくれていいよ」って言ってくれたのよ。
驚きでしょ?
それにそれに彼、私が好きなんですって! 私ったら家族以外にそんなこと言われたことがないから本当にびっくりしちゃって。
一番に貴女に伝えたかったのよ、リリナカーナ。
次の手紙では結婚式の招待状を同封するわ。 貴女の素敵な婚約者殿と一緒に絶対出席してね?
スヴェン・マクレーバル――
「スヴェン、結婚するの……?」
紙面に何度も目を通して、リリナカーナは呆然とした。
あのスヴェンが結婚する。
手紙からはスヴェンの幸せそうな様子が伺えた。
彼女は自分の気に入らないものは絶対に受け入れない頑固者だ。
その彼女が承諾してリリナカーナに報告してくるのだから、彼女もその相手が好きなのだろう。
紙面に綴られた文字を指先で繰り返し撫でながら、リリナカーナは呆然としていた。