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「私と踊っていただけますか?」
彼はリリナカーナの前に歩み出てそう言った。
夜会では大きな集団になる薔薇姫の取り巻きの男性たちが、聞えよがしにリリナカーナと薔薇姫を比べて謗るので、その頃にはリリナカーナは最初から壁の花になって婚約者と踊った友人たちがやってくるのを待つだけになっていた。
友人がやってくれば、新しいお茶やお菓子、流行の化粧品やドレスなどの情報を交換したり、こっそりと愚痴を言い合ったりして時間を潰していた。
稀にダンスに誘ってくれる人が現れても、リリナカーナは絶対に誘いを受けなかった。
そんな態度が相手の癪に障るのか、リリナカーナを謗る声は増えたが、リリナカーナの大嫌いな薔薇姫に焦がれているかもしれない男性に、すぐに手の平を返すと知っている男性には近づくことすら恐ろしかった。
見覚えのない男性を前に、リリナカーナは警戒した。
比べられ、最初は甘い顔で近づいてきてもすぐに手の平を返す。
リリナカーナは結婚を夢見ていたが、薔薇姫の踏み台のように扱われたことから男性不信になりつつあった。
何も言わず、警戒を露わにしてじっと見つめるリリナカーナに、彼は改まって名乗った。
「失礼しました、私はカルロ・ロクサーヌと申します。 是非一曲、踊っていただけますか?」
その名前には覚えがあった。
リリナカーナの父の士官学校時代からの友人で、今も付き合いのあるロクサーヌ公爵の息子の名だ。
公爵家の次男であり家督を継ぐことはないが、剣術に秀でており、騎士団での将来有望株として知られている。
嫡子である兄との仲も良好で、温和で誠実な人柄、王子殿下や国の重臣の子息たちと交友があり、結婚相手として非常に良い条件を揃えた人物だ。
ただ友人として接している者たちが総じて華やかで見目麗しいのに対して、やや見劣りするとも言われていた。
王子殿下や国の重臣たちの友人、ということはリリナカーナの嫌う薔薇姫に近しい者である。
リリナカーナが普段心のなかで薔薇姫(誘蛾灯)に群がる男(蛾)と罵倒している側の人間だった。
常ならば素っ気なく断る所だったが、父の友人の子ということもあり、リリナカーナは誘いを受けることにした。
差し出された肉刺のある無骨な固い手の平に、リリナカーナは自分の手の平を重ねた。
カルロはその無骨な手の平とは裏腹に、洗練された優雅な動きでリリナカーナを優しくリードした。
「貴女のような美しい方と踊ることが出来て私は幸せです」
曲が終わって、別れ際に彼はリリナカーナに囁いた。
よくある世辞だったが、リリナカーナには新鮮に聞こえた。
彼はリリナカーナをダンスに誘ってから別れるまで、一度も薔薇姫のことを話題にしないどころか、普段通り見目麗しい男性たちに囲まれて一際目を引く集団の中心にいる薔薇姫に視線をやることすらなかったのだ。
そしてリリナカーナを薔薇姫と比べる様子のない、謗ることもない彼に、リリナカーナは恋に落ちた。
単純な女だと思われるかもしれない。
ただリリナカーナにとって、彼はそれだけ特別な存在だったのだ。
リリナカーナの結婚相手の条件を全て満たしていた。
ロクサーヌ公爵家は当然フェディントン伯爵家より家格が上だ。
嫡子ではないのでカルロと結婚しても公爵夫人にはなれないが、嫡子でないからこそ婿としてフェディントン伯爵家に迎える事も出来る。
何よりカルロは騎士団の有望株で、王子殿下とも親交がある。
彼との結婚は必ずフェディントン伯爵家に多大な利益をもたらしてくれるはずだ。
そしてリリナカーナが見る限り、彼は薔薇姫に夢中ではないようだった。
これまでリリナカーナが見てきたような、リリナカーナの前であからさまに別の女性に懸想していることを隠そうともしない態度の男性と彼は違った。
あからさまな態度でないならば、目を瞑る事も出来る。
リリナカーナはその日の内に、父親にカルロとの婚約を願いでた。
リリナカーナの考えていた結婚相手の条件、その全てを満たした男性は彼しかいない。
――カルロ様の妻になりたいのです。
リリナカーナの自尊心が折れた後も変わらずリリナカーナを甘やかしてくれた父は、ロクサーヌ公爵が士官学校において苦楽を共にした友人だったこともあり、すぐにリリナカーナとカルロの婚約を取り付けてくれた。
リリナカーナは勿論乗り気であったし、カルロも何も言わなかった。
彼は彼の父に婚約の話を伝えられて、ただ了承したのだと聞いた。
カルロが婚約者となった日、リリナカーナは幼い子供のように喜んだ。
リリナカーナの喜びを家族も、使用人たちも共に喜んでくれた。
あの日はリリナカーナのこれまでの生の中で最も喜ばしい日だった。