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それは、カルロが近衛騎士に選ばれた後の、とある夜会の席でのことだった。
婚約者であるカルロにエスコートしてもらい、ダンスを踊った後、友人に呼ばれたカルロと別れてリリナカーナもまた夜会などを通じて出来た友人たちと談笑していた。
そこには既に婚約者のいる者もいれば、未だ良縁を求める者もいた。
その中の一人が、エルーサ・シュベール伯爵令嬢だった。
彼女は親の決めた婚約者がいたが、その婚約者が薔薇姫に夢中で夜会では殆ど同性の友人と一緒に行動していた。
彼女の婚約者はなんとか薔薇姫と言葉を交わそうと彼女の取り巻きの中にいたからだ。
本来なら非難されるような行動だったが、薔薇姫は常に婚約者である王子殿下とその側近となるだろう者たちと共にあったので、複数の男性がたった一人の女性の取り巻きとなっているのではなく、王子殿下とその取り巻きの中に、たった一人女性がいるという認識になっているらしい。
面白くないのは未だ婚約者のいない女性と、婚約者がそばに居てくれない女性ばかりで、表立って非難をしようものなら逆に非難した側の器が知れると言われる程だった。
ただそこにあるだけで多くの人を虜にする薔薇姫に価値を見出している大人たちは、不満を持つ娘達を抑えつけるのだ。
実際婚約者を溺愛する王子殿下に、その女性を悪く言う言葉を聞かれて王子殿下の心象を悪くしたくないという保身も多く働いていた。
だから娘達は男性の全くいないコミュニティでのみ、彼女に対する私怨を吐き出すことが出来たのだ。
婚約者があからさまに薔薇姫に傾倒しているエルーサは、リリナカーナの友人の中でも最も薔薇姫に反感を抱いていた。
「リリナカーナ様も大変ね」
そんな彼女が突然リリナカーナに同情のような視線を投げかけてきたのだから、リリナカーナは困惑すると共に心がざわついていた。
それは予感だった。
「突然なんのことかしら?」
平静を装いながらも、心の中は荒れ狂いつつあった。
絶対に当たって欲しくない予感を、確信に近づけたくはなかったのに。
「カルロ様のことですわ、私、聞きましたのよ? カルロ様、それはもう熱心に薔薇姫様に尽くしてらっしゃるって、彼が近衛騎士となったのはいずれ妃となる薔薇姫様を傍でお守りしたいとのことではありませんか。 それも士官学校時代から随分と有名なことだったそうですわ」
エルーサはリリナカーナの心情を察してはくれなかった。
絶対に当たって欲しくない予感を、確信に変えてしまった。
婚約者であるリリナカーナが、そんなことを知らないはずがなかった。
彼が何も言わずとも、彼にエスコートされて、彼の友人たちと話をすれば、自然とそういった噂も耳に届いた。
そうして知ったのは、彼が薔薇姫に特別な情を抱いているらしいという現実だった。
それでもリリナカーナは、リリナカーナの前でそんな素振りを一切見せなかったカルロを信じたかったし、噂だと笑い飛ばしてしまいたかった。
自分が目をつぶる事で、なかったことにできると考えたのだ。
リリナカーナは何も知らない。
そしていずれ結婚して、子をなして、いつかは愛される存在になれる筈だと、薔薇姫への特別な情などただの噂に過ぎなかったのだと笑える日がくると希望を抱いていたのだ。
そんな希望も、脆く崩れ去ってしまった。
人前で指摘されてしまっては、もう知らないふりも出来ない。
「まあ、では薔薇姫様の為に近衛騎士に?」
「近衛騎士には相当な努力が必要だったでしょうに」
「それが薔薇姫様の為だなんて……」
皆が口々に言う。
それをどこか遠くから聞いている心地で、リリナカーナは広い会場でもすぐに目につく集団に視線を向けた。
王子殿下と薔薇姫を囲む集団だ。
その中に、自分の婚約者の姿もあった。
心ここにあらずといった風のリリナカーナを、皆が慰めるように言葉を紡ぐが、それらはリリナカーナの心に全く響かなかった。
「リリナカーナ様……」
「顔色が良くないわ」
「大丈夫ですの?」
「ごめんなさい、少し疲れてしまったみたい」
リリナカーナはなんとかそれだけ言って友人の輪から抜けだした。
友人たちが心配そうに見ていたが、リリナカーナは足早に立ち去った。
婚約者という同伴者がいるので、リリナカーナは勝手に帰ることが出来ない。
体調不良でも、同伴者に一言告げる必要があった。
しかしリリナカーナの婚約者は友人たちと共にいる。
彼は王子殿下の友人の一人だ。
王子殿下の友人たちからなる輪の中には、殿下の婚約者である薔薇姫がいる。
彼女の顔を見たくないリリナカーナは、人目を避けるように会場から夜の庭に出た。
見事な庭も、奥に進むにつれて会場の照明も届かず暗くなっている。
木陰に隠れたベンチに腰をおろして、リリナカーナは深く息を吐き出した。
目頭がカッと熱くなり、鼻がむずむずした。
結局彼も、自分の理想の婚約者ではなかった。
彼はリリナカーナの前でけして薔薇姫の名を出さなかったが、リリナカーナを褒めることもなかった。
わかりやすいお世辞は何度か口にしていたが、それは彼の両親やリリナカーナの両親がいる場合に限られた。
彼は真面目で、勤勉で、誠実だ。
嘘をつかない人だった。
嘘をつかない代わりに、真実も口にしていなかったのだ。
何を舞い上がっていたのだろう。
わかっていたことだったのに、ぎゅっと閉じた目から涙がこぼれた。
恋はリリナカーナの目を曇らせた。