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隣の芝が青い。
リリナカーナの心情は複雑だった。
親友の幸せを心から喜ぶ気持ちは確かにある。
だがそれと同じくらい、身勝手にも恨めしく思うリリナカーナが存在するのだ。
リリナカーナは自分の現在が、スヴェンが手紙に綴ったような幸せと対極にある気がしていた。
それをずっと夢見ていたのに、望んでいたのに、リリナカーナの手から零れていったものが、今までそれに見向きもしなかったスヴェンの手の中にある。
羨ましかった。
リリナカーナには夢があった。
それは幼い頃からの夢で、絶対に叶えたいものだった。
リリナカーナの夢は、結婚だ。
それも、リリナカーナの父と母のような幸せな結婚。
政略で結ばれてもお互いを大切に愛し合える間柄になるような結婚。
それがカルロとなら実現出来ると思っていた。
でも、それが出来なければ……。
「マリには休めって言われたけど、決断は早いほうがいいに決まってるわ……時間は有限なんだから」
マリはきっと親友からの手紙を見てリリナカーナが落ち着くと考えたのだろう。
それは全くの逆効果だったが、リリナカーナにとっては最早どちらでもよかった。
リリナカーナにとって結婚は夢だ。
夢自体でもあるし、夢を叶える為になさねばならない絶対の条件だ。
リリナカーナは知らず知らずのうちに固く握りしめていた手をほどいた。
手の中にあった手紙には、すっかりしわがよってしまっている。
それを丁寧に伸ばして、リリナカーナは決意を新たにした。
リリナカーナは夢を叶える。
幸せな結婚を、絶対にする。
それが原動力だった。
その為に、かつて自分が父にお願いをして得た地位を捨てなければならない。
カルロ・ロクサーヌの婚約者のままでは、リリナカーナの夢は叶えられない。
ならばリリナカーナにとって進む道は一つだった。
カルロとの婚約を白紙に戻して、リリナカーナの夢を共に叶えてくれる男性を探しださねばならない。
それが簡単なことでないことはわかりきっていた。
それでも、リリナカーナは幼い頃からの自分の夢を、諦めるつもりはないのだ。
まずは父に伝えなければならない。
――きっと怒られるわ……。
家格が上の、父の友人の息子との婚約を、娘が望んでいるからと叶えてくれたのに、その娘が心変わりをして婚約を白紙に戻したいなどとは父はなかなか受け入れてくれないに違いない。
リリナカーナの父は、娘に大変甘い父であったけれど、それ以前に、領地を預かる貴族なのだ。
貴族にとって体裁とは時に何より重いものになりうる。
万が一婚約を何事も無く白紙に戻せたとしても、人々は詮索してあることないこと尾ひれをつけて噂するだろう。
そしてそれがその後のリリナカーナの婚約者探しを更に難航させることは明らかだ。
それでも、リリナカーナは意見を変えるつもりはないのだけれど。
それにリリナカーナにとって、心変わりしたのはリリナカーナではないのだ。
カルロが薔薇姫を想っていたのなら、最初からリリナカーナへの愛情などなかったのだ。
いくら特別な情を持っていても、それが少しも返ってこないのなら虚しいだけだ。
そんなものは、冷めてしまう。
誰にどう思われようとも、リリナカーナはけしてカルロを裏切ったことはなかった。
リリナカーナにとって、カルロこそが、リリナカーナの気持ちを裏切ったのだから。
このまま疑心を募らせて、関係を冷えさせるより、いっそすっぱりと切り捨てて離れた方がいい。
それがリリナカーナの猜疑心からなる独りよがりである可能性には目を向けずに、リリナカーナは決意を固めたのだった。