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一緒に溺れてみようか01

一緒に溺れてみようか


「別れよう、あず。他に好きな子がいるんだ」


以前から予感はあった。恋人である自分が傍にいるというのに上の空だったり、スマホを片時も離さなかったり、嗅いだ事のない香水の匂いを纏わせていた関涼壱せきりょういち。浮気を疑った篠原梓しのはらあずさだが、関を一度も責めなかった。いや、責められなかった。責めて嫌われるのは恐かったし、関の浮気は所詮火遊びの一環であると信じたかったからだ。だって自分達は物心付いた頃からずっと一緒にいた。嬉しい時も悲しい時も梓の傍にはいつだって関がいてくれたのだ。関から告白された事を今でも昨日の様に覚えている。二人の間には誰にも入って来れない絆がある、そう信じていたのに。


「何で? 嫌だよ。絶対に別れない。僕、りょうちゃんの事大好きだもん!」


自分には関だけだ。放任主義の両親はお金を沢山くれたが、愛情はくれなかった。


「……でももう俺は好きじゃないんだ」

「っ!」

「御免、あず」

「やだよ。やだよ、涼ちゃん」

「さようなら」


ーー行かないで!!!!




「ーー……ら! ……のはら! 篠原!」


名前を呼ばれながら身体を揺すぶられた梓はようやく現実へと舞い戻った。どうやら寝入ってしまったらしい。目に違和感を感じたので人差し指で目尻を擦ってみればほんのりと濡れているのが分かった。夢を見ながら泣いてしまったのか。あれから一年以上経つというのに相変わらず未練たらしい事だ。そう自虐しながら梓はベッドから起きあがると木戸真澄きどますみを見た。裸の梓に対し、既にしっかり服を身に付けている木戸は自室に戻りたかったに違いない。けれどお金の事があるから戻るに戻れなかったんだろう。悪い事をしたな。梓はそう思いながら木戸が欲しかったであろう、言葉を掛ける。


「お金なら机の上に置いてあるから持ってって」

「…………」


木戸の鋭い眼差しが梓を射抜いた。木戸は怒っている。悪い事をしたという自覚がある梓は素直に頭を下げた。


「御免。今度から俺が寝入っちゃったら勝手にお金を持ってっていいから」


木戸は机には一瞥もくれず無言のまま梓の部屋から出て行った。バタンッ! と乱暴に閉められた扉の音が木戸の不機嫌さを物語っている。梓は溜め息をついてスマホで時刻を確かめた。夜の11時半。消灯時間はとうに過ぎていた。ここは寮だ。梓に怒るのは良いが、周りの寮生達に迷惑を掛けるのは止めて欲しい。机の上に置いてある手付かずの封筒を見た。封筒には二万円入れてある。明日木戸の下駄箱にでも突っ込んでおこう。梓はそこまで考えるとまたベッドに身を沈めた。身体中ベタベタして気持ち悪いが、上瞼と下瞼が今にもくっつきたがっている。情事後特有の気だるさが梓を夢の世界へと誘う。面倒なので裸のまま眠る事にして、お風呂は朝一番に入ろう。投げ捨てる様にそう思った梓はそのまま瞳を閉じた。


ーー最初に木戸と寝たのはいつだったか。関にこっぴどく振られ逃げる様に全寮制の高校に入ったのは良いものの、梓はいつまで経っても学園に馴染めなかった。そんな梓を煩わしく思ったのかクラスメイト達からいじめられるようになった。元々梓は人付き合いが苦手だった上、関に振られてからと言うもの自分の殻に閉じこもる様になってしまったのだ。馴染む努力すら放棄したのだからクラスメイト達が自分を嫌うのも当然かも知れない。梓はそんな風に割り切っていたし、関に振られた辛さに比べればいじめなど対したものではないと感じていた。無意味だったかも知れない。梓はこの学園に来た意味を見失いそうになる。携帯の番号もメールアドレスも全て変え、関には何も付けずに地元を離れた。全ては関を忘れる為だ。けれど自分は一向に関を忘れられそうにない。自分は一体何をしているのか。放課後、誰もいなくなった教室で鬱々とそんな事を考えているとクラスメイトの木戸が入ってきた。赤色の髪、複数のピアスが光る耳、着崩した制服。端正な顔をしているので似合ってはいるが全て校則違反だ。見るからに柄の悪い木戸だが彼にいじめられた記憶はない。梓はぼんやりと脳裏に木戸の印象を浮かべる。無口で感情を荒立てる事のない木戸。そんな彼を同級生や下級生達は皆、慕っている様だが木戸は誰ともつるまない孤高の一匹狼だった。木戸は梓とは違う意味で浮いていた。そんな木戸がめずらしく感情を露わにしていた。梓の顔を見た途端、あからさまに不機嫌な顔をして舌打ちする。ズカズカと大股歩きで梓の席まで近付くと梓の襟首を掴んだ。


「金でもくれるか? ないならとっととここから、」

「いいよ」

「はっ?」

「お金が欲しいならあげる。だから一つだけ条件がある」

「条件? お前が俺に条件? いいぜ、言って見ろよ。訳の分からない条件だったらぶっ飛ばしてやる」

「俺を抱いて欲しい」


木戸の乱暴な発言に怯まず梓は言った。木戸が息を飲むのが分かった。切れ長の瞳がこれ以上ないくらい見開かれている。相当驚いているのだろう。無理もない。普段クラスメイト達からいじめられている根暗な梓のイメージからはあまりにもかけ離れた発言である。それは唐突で大胆過ぎる誘いだ。梓は関と付き合っていたがキス止まりで一度も抱かれた事はなかった。いつか関の逞しい腕の中で愛されたいと夢見ていたが、それはもう叶わぬ夢だ。別れてから半年。ひとときでいい。ひとときでいいから関を忘れたい。関の事ばかり考えてしまう自分を少しでも解放したい。梓は半ば自棄になっていた。ゆらり、と木戸の美しい顔が近付いてくるのが分かる。木戸の香水なのか、仄かなシトラスの匂いが梓の鼻を擽った。シトラスの香りに包まれながら梓はこの日初めて男に抱かれた。痛みで快楽どころではなかったが、セックスしている時は関以外の事を考えられた。自分はどんな顔で木戸に抱かれているんだろう。きっと情けない顔をしているに違いない。梓に覆い被さっている木戸を見上げる。彼は泣きそうな顔をしていた。梓はぼんやりと思う。木戸も叶わぬ恋をしているのではないかと。それから週に一度、決まって木曜日に木戸と寝るようになった。場所は空き教室、体育倉庫、トイレの個室など様々なところでしたが、最終的には梓の部屋に落ち着いた。梓は抱かれる度に木戸にお金を渡した。渋面を作って拒む木戸に「貰ってくれた方が楽なんだ」と伝えたら何かを察してくれたのか受け取ってくれた。梓はほっとする。両親の様にお金で割り切った方が色々と楽だ。木戸と寝る様になって二ヶ月。木戸は時々泣く事があった。ただ黙って何かを堪えるように涙を流す木戸の泣き方はどこか痛々しい。だから梓は木戸の涙を人差し指で拭ってやる。言葉は掛けない。慰めるなんてそんな大それた事、梓には出来なかった。木戸の涙の訳を知ったのはそれから一週間後。担任である川崎かわさきが結婚の報告をした時だ。川崎は若く、男なのに線の細い美人で生徒達から人気のある先生だ。そんな川崎のお目出度い話にクラスメイトの反応は様々だった。祝福する者、茶化す者、嘆く者。教室のあちらこちらからそれぞれの想いを乗せた声が飛び交う。クラス中がわいている中、梓が木戸を見たのはたまたまだ。けれど梓は気付いてしまった。


(木戸は川崎先生が好きだったんだ)


その日の放課後、久し振りに教室で抱かれた。忙しない手付きで本能のままに木戸に貪られていく梓。梓の事を少しも考慮していない自分本位なセックスだったが梓は少しも抵抗しなかった。木戸の傷付いた心が少しでも紛れるならそれで良いと思ったのだ。梓はシトラスの香りに酔いながら木戸の好きにさせた。そのうちに木戸の瞳からは涙が溢れ出す。梓はいつもの様に黙ってそれを拭ってやった後、一言だけ付け加えた。


「木戸。いつか時間が解決してくれるって願うしかないよ」


噛み締める様に呟く。祈る様に捧げた木戸への言葉は梓自身にも当てはまっていた。





「……だるい」


目覚めて、まず始めに感じたのが身体の不調だった。全身が鉛の様に重い。梓は滅多に熱を出さないが、睡魔に負けて裸のまま寝たのが悪かったらしい。見事に熱が出た。電話で欠席の連絡を川崎に伝えた梓はさっとシャワーを浴びた後、今度はしっかりとパジャマを着てベッドに潜る。健康が取り柄なので薬を飲んで大人しく寝ていれば一日で治るはずだ。そう思った梓は薬を服用して目を閉じた。それからどれくらい経っただろう。人の気配に気付いた梓は朦朧とする頭で気配の正体を探った。輪郭はハッキリしないが、長身の男がこちらを見下ろしているのが分かった。


「りょう、ちゃん?」


熱の所為で上手く声を絞り出せないが、望みを込めて愛しい人の名を呼んでみる。全てが曖昧でこれが現実なのか夢なのかさえも分からない。夢ならいいな。梓は思った。もし夢ならば関にうんと甘えられる。別れた事なんて全部嘘に出来る。


「涼ちゃん。また手、ぎゅっとして?」


布団から手をひらひらさせて関を誘う。関は梓の手を優しく握り締めてくれた。


「有り難う。大好きだよ、涼ちゃん」


言いながら、関の男らしく骨ばった手のリアル過ぎる感触に梓は涙を流した。昔から梓が熱を出す度にこうして手を握ってくれた事を思い出す。これが夢じゃなければいいのに。先程思った事とは間逆の事を願いながら、はらはらと涙を流す梓の目尻を関の人差し指が撫でる。その時、不意にシトラスの香りがした。熱の影響で頭が上手く働いてくれないが、この香りは関のものではない事に気付く。では誰の香りだろう。この香りはーー……。この香りは確かーーーー。





「うん?」


まどろみの中、目を覚ました梓は身体が大分楽になっている事に気付いた。ベッドの上で思い切り伸びをする。身体が軽くなったおかげか心まで晴れ晴れとしていた。


(久し振りに良い夢を見た気がする)


内容は忘れてしまったが、夢の中で感じた幸せを梓は噛み締めた。

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