第四話
「お前様、何やら考えているようだが普段の三割増しで何も考えていないように見えるぞ。平和そうな思案顔だな」
「褒めているのか貶しているのかどっちだ」
その問いに桜は笑顔を返しただけだった。
「ちなみに意外だったのだが、犯人は誰なのかと聞かないのだな。真っ先に来る質問かと思っていたぞ」
「……驚きが多すぎて忘れてた。今そいつの家に向かっていることも忘れてたくらいだ。で、誰なんだよ。愚かなる犯人様とやらは」
「雨宮慧だ。人を覚えるのが人並み以下に苦手なお前様でも知っている名だろう?」
朏はクラスメイトの顔と名前を一致させるのに未だに苦労するほどだが、確かにその名前には覚えがあった。
雨宮慧。天地学園三年生、桜の前に一年間生徒会長を務めていた男だ。
何故周囲に疎い朏が彼を知っているかというと、あまりにも女子生徒が騒ぐからであった。「顔良し頭良し性格良し」がキャッチコピーになりそうなほどに、女子にとっては完璧で理想的な王子様らしい。
異性に好かれすぎると同性に嫌われそうなものだが、雨宮は男子生徒からも絶大な人気を誇っていた。誰に対しても人格者である彼を、嫉妬はしても憎めないのだろう。
「雨宮慧って、あの雨宮慧だよな?」
まさか自分の知る人間が犯人であり、しかも「学園の王子様」だとは信じられず思わず尋ねる朏。
「天地学園に雨宮慧という名前の人間は一人しかいない」
「いや、でも、まさかの答えだ。人の物を盗みそうな奴には見えないけどな」
「お前様はニュースを見ないのか? マスコミが事件の起きた街へ出向き、住民へインタビューする映像を何度か見たことがあるだろう。住民達は、どんな犯人だったかと聞かれればいつだって二通りの答えしか返さない。『あの人ならいつかやると思っていた』か『そんな人には見えなかった』だ。今回は後者だっただけのことではないか」
桜の言葉は淡々としたものだったが、その表情には悲観的で淋しそうな影が差していた。
「雨宮慧は、既に取り返しの付かない危険な状態にあるかも知れないのだ。だからこそお前様を付き添わせた。何かあれば私を守り、雨宮を取り押さえてくれ」
桜の真剣な声音に、朏の鼓動が少しだけ早くなる。
「え、危険な状態って何だよ。王子様は責められて暴れるタイプの人間じゃないと思うぞ」
「雨宮は恐らく、学園内で一度CUBEを使用している。その形跡を感じたのが切欠となり、CUBEが盗まれていることに気付いたのだ。これはCUBEがきちんと保管されているかどうか確認しなかった私の失態だ。盗まれる事態など想定していなかったからな」
珍しく後悔と反省の色を見せながら桜は続ける。
「CUBEが時空間移動を可能にし、その対価として使用者の精神エネルギーを必要とすることは説明したな?」
「ああ、よく理解できてないけどな」
「今はそれで構わん。精神エネルギーは、精神力、心の力、呼び方は何でもいいから、とりあえずそういうものが対価になると理解しておけ。対価として使用したエネルギーは自身に返ってくることも復活することも無い。文字通り消失するのだ。どんな屈強な精神力を持った者でも、CUBEを使用した分だけ心が削られ消えていく。何となくでもいい。この意味が理解できるか?」
朏は想像する。心が消失していく様を。
心という実体の無いものだが、その言葉とイメージからはとてつもない恐ろしさを感じた。
朏の表情から、ある程度は伝わったのだろうと感じた桜は話を進める。
「私はCUBEの使用者に会うのは今回が初めてだ。勿論、使用者の末路を見たこともない。だが、良い結末にならないであろうことは想像に難くない。良くて人格の崩壊、悪くて完全なる廃人といったところだろう。だから雨宮は危険なのだ。近頃の雨宮の様子を考慮すると、度々CUBEを使用している可能性もある。尋常な精神状態である方が奇跡だろうな」
桜の声には、その奇跡に賭けているような悲痛さが漂っていた。
「雨宮は様子がおかしかったのか? 最近、全く見かけてないから知らないが」
「見かけていないからおかしいのだ。私がCUBEの消失に気付いた翌日から、奴は学園に来ていない。そしてその数日後から三上絵里菜も学園を欠席している。三上が数日欠席しているとの情報を得たのが今日だ。私としたことが、異変に気付いていながら後手に回ってしまった。これも私の失態だな」
桜は、全ては自分の責任だという懺悔と覚悟を瞳に宿していた。
朏は桜の言葉で、住宅街を歩いている理由に今更ながら気付き、一人恥ずかしさを感じる。桜の瞳に宿るものに気付く余裕はなかった。
「ごめん、三上絵里菜……って誰だっけ?」
朏の気の抜けた問いに桜は苦笑する。
「雨宮慧を知っていながら三上絵里菜を知らないのは、恐らく学園でお前様一人だろうな。さすがは噂に、いや、人間そのものに疎いお前様だ。……三上は雨宮の恋人、婚約者だ。幼い頃から家族ぐるみの付き合いがあったらしく、親が勝手に決めた婚約らしいが本人達もそれを喜んで受け入れたそうだ。小さな頃からお互いに気持ちが通じていたのだろう。学園内では有名な話だぞ」
そういえば、と朏は思い出す。
「王子は素敵だけど、姫も素敵だよね」「お似合いで憧れる」などと女子生徒達が話していた記憶が蘇った。
三上絵里菜。天地学園三年生、雨宮の「王子」という愛称に対して「姫」と呼ばれている。
ぱっと人目を引くような美少女というわけではないが、雨宮同様にいつも微笑み、柔和で穏やかな雰囲気が印象的な可愛らしい少女だ。
「ああ、姫のことか。思い出した。それにしても、恐らく異常な精神状態であろう雨宮、同時期に学園を休む姫。何か嫌な予感がするな」
「だから今、雨宮の家に向かっているのだ。雨宮はまだ手遅れではないかも知れない。だが、既に手遅れかも知れない。ある程度のリスクは覚悟しておくがいい。いいか、お前様は奴と何も話さなくていい。危険な場合は私を守ること、雨宮を確保しCUBEの回収が目的であること、これだけを頭に入れておけ」
黙って頷く朏。その手にはいつの間にか緊張の汗が滲んでいた。
桜はふと立ち止まり、朏の瞳を真っ直ぐに捉えて言った。
「着いたぞ。雨宮家だ」