猫の手 (ぶっちょ)
星新一氏がテーマの読書会に合わせたショートショート。
自分の文才のなさと星新一の偉大さを再確認。
大学生の男がレジュメを持って図書館に寄り、自分を待つレポートの量に辟易し己が身を呪っている最中に、いきなり話しかけられたのがそもそもの始まりであった。
「大変素晴らしい商品だと思いますよ、わたくしは」
その背の高い、真っ黒なスーツを身にまとうセールスマンの有無を言わさぬ口調に、男は大層困惑しながら頭を振った。
「いや、待ってくれ。その様子じゃ何か俺にとてつもない額の商品でも買わせる寸法だろう」
「いえいえ。わたくしども猫の手社は、この『レポート生産機』をたった千円でお売りしたいだけでございます」
口調は変えず、顔の表情をより柔和なものにしてくる。
男は疑わしそうにセールスマンの見せるプリンターのような『生産機』とやらを睨んだ。
「千円とは、良心的だな。でもおかしいじゃないか。レポート生産機? 馬鹿なことを言っちゃいけない」
「いえいえ、馬鹿なことではございません。講義のレジュメをこの生産機に分析させ、レポートのテーマを設定すればすぐにレポートが出来上がります。学生の猫の手となるのが、わたくしどもの商品と言えましょう」
人のまばらな図書館の弱い照明の下、セールスマンのやや縦長の目が妖しく歪む。
「一体全体、どうしてそんなことが言えるんだ」
「学生ともなればサークルや部活・バイト。ゼミ等々お忙しく、猫の手も借りたいほどでございましょう。そんな中で、幾つものレポートを提出しろというのは随分酷ではないかと思うのです」
「酷? これは驚いた。お前は学生の仕事が勉強だということを知らないとういのうかい?」
「十分承知しておりますとも。しかし考えてみてください……高校生よりも自由を、社会人よりも時間を得られる希少な身分こそ学生ではないでしょうか。では早速」
屁理屈ではないか。男が指摘するより前に、セールスマンは半ば強引に男の持つレジュメを受け取り、機械の差込口に突っ込んだ。
所詮機械、機械翻訳レベルの文章しか作れまい。
男はそうたかをくくっていたが、その機械がガタガタ大きな音を立ててから吐き出したレポートは、素人目でも構成や表現・情報量が程良くできていた。
まじまじとレポートを見つめる男を満足げに見つめるセールスマン。
「今のは一般のレポートにお使いいただけます。『ユニーク』は並大抵の文章に満足しない教授相手の際、『高水準』は卒論やそれに準ずるレポートの際にお使いください」
「これはすごい。本当にこれを、千円で売ってくれるのか」
「勿論です。是非、充実した学生生活をお送りなさって下さい。何かあれば、こちらまで」
男は連絡先の書かれた名刺と引き替えに千円を支払い、嬉々として生産機を使い始めた。
膨大なレポートを機械に任せる以上、授業の内容を聞く必要もない。男は自分の好きなように生活しながら、あろうことかツイッターに生産機のことを呟いてしまった。
そうなると知り合いのフォロワーに問いつめられ、連絡先を教えるのに時間はかからなかった。
レポート生産機は飛ぶように売れた。時には教授までも、「論文作成に使いたい」と悪びれる様子もなく申し込み、『高水準』設定で使いはじめたほどだ。
生産機の論文を嫌う教授もいたが、自分で書いてきたレポートと同じ水準かそれ以上のものばかりで見分けがつかなくなり、次第に黙認していった。
ところが、困ったことになった。
生産機がほとんどの大学に広まって数ヶ月後、突然生産機が動かなくなってしまったのだ。
言うまでもなく件の男もほとほと困り果てていた。そこへ、セールスマンが再度姿を現したのである。
「どういうことだ、壊れたのか」
「ははあ、このような場合は、一万円で最新式にお取りかえするアフターサービスパックがございます」
「なに、アフターサービスパックだと。正体みたりだ、やっぱり高額な商品を売りつけるつもりだったな」
「何をおっしゃるのです。高額な商品ではありませんよ、あくまでパックはオプションなのですから」
男はうんうん唸っていたが、渋々なけなしの一万円を差し出した。そして新しい生産機を手に入れ、すごすごと立ち去る。
その後ろ姿を見つめていると、同じような背格好の男がセールスマンに話しかけてきた。
「おい、売れたか」
「もちろんさ。馬鹿な奴らだ、アフターパックが何ヶ月分かも聞かずに帰ったよ……自分で考えることができなくなった人間を扱うのは楽だ、これならほかの連中にも売れそうだ」
「本当にそうだな。まさか猫の手社が化け猫のスパイ集団とは夢にも思うまい。気まぐれで勝手な猫の手を借りるとは、愚かなことよ」
「最初は馬鹿になった人間を殺して侵略しようと思ったが……これなら、ここで馬鹿相手に商売する方が得策と言うものだ。万物の霊長など、お笑い草だ」