過去の話
~十年前~
桜が咲き誇る季節のこと。
ママが事故に遭って死んだ。
「ママ・・・!」
私を守るために死んだママ。
何度呼んでも返事は返って来ない。
トラックに引かれそうになった私を突き飛ばし、ママは跳ねられ、即死だった。
何十㍍跳ねられただろうか。
大人たちは救急車を呼んだり、駆け寄って息を確認したりしていた。
私はただ、それを見ていることしか出来なかった。
後悔しか残らない、私の嫌な思い出。
産まれた時から私にはパパがいなかった。
ママはいつもこう言っていた。
『あなたのパパはね、とっても勇気のある挑戦者で、いつもママの為に戦ってくれたのよ。』
そんな強いパパだとは聞いていたが、詳しいことは誰も教えてくれなかった。
まだ幼く物心のついていない私は、ママによく質問した。
『パパは今、どこにいるの?』
ママは答えてはくれなかった。
何か悲しいことを思い出したかの様に、ママはひたすら泣きじゃくっていた。
それから私は、パパの話をしなくなった。
(パパのことは決して聞いてはいけない。)
そう思った幼い私に気付いたのか、ママは一度だけ、パパの話をしてくれた。
聞いたところによると、パパとママは身分の違いで祖父母に結婚を認めてもらえなかったのだそうだ。
出来ちゃった結婚。
そんなことが認めてもらえるはずもなく、二人は離れ離れになった。
それからママは一人で私を産んだ。
産むことに猛反対していた父方の祖父母は、私を産んだママを責めた。
パパに会いたいと胸に抱いても、その願いは許されることなく、儚く消えていった。
私が丁度4歳の時のことだ。
休日にはママとお散歩に出掛け、公園では一緒にボール遊びをしたりもした。
その時だった。
公園の敷地内を出て、ボールは道路側へ。
私はすぐさま取りに向かい、猛スピードで向かって来たトラックに跳ねられる寸前であった。
誰かに突き飛ばされ、私は歩道側へと倒れ込んだ。
すぐさま後ろを振り返ると、ママが猛スピードのトラックに跳ねられるところを見てしまった。
何十㍍と跳ねられ、ママは即死。
私はママに駆け寄ったがその時既に息は無く、私はその場で泣き叫んだ。
泣き叫んでいた最中、複数の救急車とパトカーの音が聞こえた。
ママは救急車で運ばれ、私は警察によって保護された。
泣き止んでも私は、警察の問いに何も答えなかった。
その後私は、身寄りが無いため施設に入れられ、半年をそこで過ごした。
そして半年後。
今のお父さんに引き取られた。
お父さんは結婚もしていて、子供も男の子が一人いた。
男の子の名前は右京。
私よりも9歳年上で、当時うっちゃん(右京お兄ちゃん)は13歳だった。
当時の私は滅多に笑わず、無口で無愛想だった。
だが、明るい家族に包まれながら過ごして行くうちに、段々と打ち解けてきたのだ。
そんな中、両親は離婚。
うっちゃんはお母さんが引き取り、私はお父さんに引き取られた。
しばらくは静かに生活をしていたが、数年後。
お父さんは再婚した。
再婚相手には既に五人の子供がおり、私たちは戸籍上の兄妹となった。
そして現在に至る。