鮮血色の『イト』
若干グロテスク表現があります。苦手な方はお気を付け下さい。
※『真幸』はハシルケンシロウ様から、『美咲』はさすらい物書き様からいただきました。ありがとうございました。
「私と君はね、やっぱり離れる事なんて出来ないんだよ」
彼女――美咲は胸の前で手を組み、嬉々とした声色でそんなふざけた言葉を口にした。
現状を目の当たりにしておきながら、この惨状を作った分際でありながら、何をほざいているのだろうかこの女――。
「何、ふざ、け、た……、っ事を……」
美咲の言葉を認める訳にはいかない真幸は、必死で声を押し出して反論する。本来なら怒鳴り散らしてやりたい。声が嗄れるまで、喉が潰れるまで、怒鳴って怒鳴って怒鳴って――――命の限り否定したい。
だが最早、真幸にはそれは不可能だった。
真幸は今、冷たい木製の床の上で仰向けに転がされていた。まるで芋虫のように。無様に。ごろりと。動く事は出来なかった。体の自由は封じられ、激痛が全身を支配してるのだから。
手を後ろに回され、固く紐で縛られている。さらに両足の上には重たいコンクリートブッロクが乗っかっており、その下では赤い水溜りが出来上がっていた。
そして――
「そんな事言わないで。だって『コレ』――」
ぐいっ、と美咲が左手を持ち上げた。無造作に、加減無く。
「――――――っ!」
無音の叫びが真幸の喉から飛び出た。耐え難い激痛が全身の神経を駆け巡り、脳を刺し貫く。
真幸の腹部からは、何かが食み出ていた。『ソレ』は細長く、びろびろとして、桃色、加えて鮮血に塗れ真っ赤になっている。更に『ソレ』は、美咲の女性らしい白く細い左手の小指へと繋がり、そこに括り付けられている。
「がっ、ぐぁ……!」
自身の腹部から出ている『ソレ』を見て、真幸は呻く。痛みに加えて嫌悪感が沸々と湧き上がり、吐き気を催す。
畜生、この女――
「ちゃぁんと、私の小指にしっかり繋がってるんだもん」
美咲は愛しげに自らの小指に顔を摺り寄せる。べちゃりと頬に血液が付着した。真幸の腹部から出た『ソレ』が、血と頬で擦れぐちゅぐちゅと気持ち悪い音を立てる。
「二人を繋ぐ、大事な大事な――『赤い糸』が、ね」
にこりと、美咲はいつもと同じ可愛い笑窪を作って、笑う。
――――狂ってる。
***†***
畳の敷かれた一室、二人は隣り合って座っていた。
「俺ら、別れようぜ」 二週間ぶりにアパートに呼んだ自分の恋人、美咲に真幸は告げた。特に前置きはしなかった。躊躇いもしなかった。もう真幸の心は決まっていたからだ。
「えっ……。それって、どういう――――」
「言葉通りの意味だよ、俺と別れてくれ」
戸惑いに満ちた美咲の声を、真幸は容赦なく遮る。もう飽きたのだ、この女には。
「…………っ、どうしてっ……!」
「理由か? ふん。別に無いぜ」
本当は、あると言えばある。美咲は顔は美人に入る部類だったから、それ目当てで引っ掛けてみたらあっさり釣れた。しばらくは楽しかったが、一旦付き合いだすと調子に乗ってべたべたしてきた。まぁはっきり言って鬱陶しくなったのだ。
「なら――――」
どうやら美咲はそうではないようで、何とか繋ぎとめようと必死になる。ああ、こういう所が煩わしい。すっぱりと、いなくなってくれたら良いのに。
仕方ない、嘘でも吐いて、無理やり諦めさせよう。
真幸はポケットから煙草を取り出し、火を点けた。白い煙を吐き出す。ふわりと儚げに広がって、ふわりと消えた。それを目に写し、一度煙草をテーブルの上の灰皿に置く。
「……実はな、他に好きな人が出来たんだよ」
酷く真剣な顔で言ってみる。そして美咲に背を向ける。
背後から、苦しげな息遣いと、悲しみに歪んだ空気が伝わってくる。それを感じ取って、真幸はほくそ笑んだ。
美咲は弱気だから、これで簡単に気圧されると思った。そうすれば最早こっちのもの、全て上手くいく筈――
「…………ないよ」
しばらく経った後、美咲がぽつりと言葉を落とした。小さな小さな声で、はっきりと聞き取れなかった。
「は? 今なんて言って――――」
真幸は最後まで言えなかった。
振り返ったその先で、美咲が手を振り上げ
「そんな訳無いって言ったのよぉおおおっ!!」
勢い良く振り下ろしていた。その手にしっかりと灰皿を握って。
空気を叩き壊すような絶叫。そして絶望と怒りと苦痛と、その他よく解らないものに歪んだ初めて見る彼女の形相――
体が硬直。すぐに回復。しかし危ないと思った時にはもう遅かった。
額に激しい衝撃、脳が揺さ振られ、真幸は意識を手放した。
***†***
「ぐ、あっ……」
呻き声を上げながら、真幸の意識は覚醒した。目を開くと、見慣れた自分のアパートの部屋の、天井。
真幸は床の上に、仰向けに寝転がっていた。
額の真ん中辺りに、がんがんと脳を叩くような痛みと、生暖かい感触がある。――殴られた痕、か。
気絶したのか。しかしこの感覚からすると、それ程時間は経っていなさそうだ。痛みと腹立たしさに顔を顰める。
「畜生――」
真幸は美咲を罵倒する言葉を口にしようとしたが、そこでようやく違和感に気付いた。
「なっ!? 何で手が縛られてんだよ!」
背に回された両手が、手首の部分でしっかりと縛られていた。紐か何かで、簡単に切れるようなものではなさそうだった。解けないかどうか、何度か試みるが、びくともしない。
「……無駄だよ。しっかりと括ったもん」
自分の足元の方から、美咲の声がした。真幸がそちらへ目をやると、美咲が両手にコンクリートブロックを抱えて立っていた。
そして何の前触れも無く――
「えいっ」
真幸の両足の上に、ブロックを落とした。――否、『落とした』ではない、叩き付けた。
めしゃっ、という、明らかに致命的な――音。そして一拍置いて、
「ひぎゃああああああああああっ!!」
痛みの奔流が足元から押し寄せてきた。
「よし、これでオッケーね」
満足げに頷く美咲。一仕事終えた後の快感を、彼女は味わっているようだった。
今までに経験した事の無い苦痛が、容赦なく真幸を襲う。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――
イタイ。
「っ、づぅ、あ……。お前、な、何を――」
呻きながら、真幸は声を押し出す。一体、何でこんな――
疑問と憤りと理不尽さに彩られた真幸の口調に、美咲はさも当然だと言うように答える。
「だって足潰しとかないと、真幸君、逃げちゃうでしょ?」
――当たり前だっ!!
その言葉を、すんでのところで飲み込んだ。下手な事を言えば何をされるか解らないと、本能が告げたのだ。
明らかに常軌を逸脱した美咲の行動と表情と声色――――存在。それらがこの場所の空気を作り変え、真幸を包み込んでいた。
真幸は、恐怖に支配されていた。
そんな真幸を見下ろして、くすくすと美咲は微笑する。狂気に染め上げられた、狂人の笑みだった。
真幸は慄然とし、表情を歪める。この女、やっぱり、どこか、オカシイ。
そして美咲は笑窪を作ったまま、再び口を開く。
「あのね、真幸君が私達の絆の事、すっかり忘れちゃってるみたいだから、思い出させてあげようと思って」
「お、思い出させるって――」
どういう事だよ、と真幸は続けようとしたが、美咲がテーブルの上から手に取ったモノを見て、固まってしまった。手に取ったモノ――包丁。
白刃が、煌めいた。
「く、来るなっ……!」 何をされるのか予想がついてしまった。まさかまさかまさかまさか、あの包丁で――
逃れようと身を捩るが、手も足も封じられた状態で逃げられる訳が無い。
「……しっかりと見せてあげるね、私と真幸君を繋ぐ、『赤い糸』――――」
美咲は包丁を持ったまま真幸の傍らにしゃがみ、ちょうど腹部の上辺りに凶器を持っていく。
「やめ――――――!!」
理不尽にも、刃は振り下ろされた。
まっすぐ、躊躇無く。
ぶつっ
***†***
振り下ろされた刃は、服を開き、皮膚を切り、肉を裂き、内臓を犯し、激痛を産む。
本来意思を持たない筈の包丁が、意志を持って真幸の内部を遠慮なく蹂躙する。
ぐちゅぐちゅと、掻き混ぜられる。
「あっ、がぁ、あ、ぐ、うっ」
言葉にならない音が勝手に真幸の喉から落ちる。
足の痛みとは比較にならない激痛、いやそんなものではない。
重度の火傷のような熱を帯びた腹部。中で焚き火をされている感覚がある。更に喉を逆流してくる吐き気と叫び。ひゅうひゅうと、掠れた空気が漏れ出す。びくびくと、言う事を聞かない手足が痙攣を起こしたように震える。
ぐしゃぐしゃと、美咲はわざと傷口を広げるように包丁を回す。穴を作るみたいに。
しばらく患部を混ぜた美咲は、ずぴゅっ、と刺した時と同じように無造作に包丁を引き抜く。擦れた肉がまた切り裂かれ、血潮が噴き出す。
「 、 っ、 う、ぅう」
激痛に耐えかね、真幸の目尻から雫が零れた。男の癖に女々しいとか情けないとか、そんな事を言っている場合ではない。
損傷した腹と心が、悲鳴を上げ続けるのだ。痛いと、熱いと。
命の危険を――――告げているのだ。
涙を流す真幸の表情になど一瞥もくれず、美咲は鮮血に塗れた包丁を投げ捨てる。そして次に彼女は――
「な、に……? ――や、止めろおっ!!」
痛みと熱に酔わされていた真幸だが、美咲の意図を理解すればもう黙ってはいられなかった。力を入れた腹部から、また血が溢れて痛みが発生した。
「ふふっ。だーめ。だって、ちゃんと見せてあげなきゃ」
微笑んだ美咲は、右手を力を込めて腹部に出来た穴に突っ込んだ。
ぐしゃっ
「うぁああああああぁぁあぁっ!?」
獣のように叫びながら、真幸は激痛を味わった。
何だコレは痛い熱い苦しい気持ち悪い痛みが熱が呼吸が吐き気が溢れて畜生ふざけんな――――
シンデシマウ
「う、ぐうぅ、あ…………あ、ああああ……」
ぼたぼたと頬流れて床に落ちる涙。滂沱と溢れ出したそれは真幸の絶望を内包していた。
助けて欲しい、死にたくない。そればかりが心の中を埋め尽くす。
だが美咲はそんな事に一切の興味を示さない。自分の行為にひたすら没頭し、熱中し、執着している。
そんな二人の様子は、まるでメスを握る学者と実験台の蛙だ。
一瞬だけ自嘲気味に、真幸は思った。
腹の中に手を突っ込んだ美咲は、何かを掴んだのか手を拳にしたようだ。ぐっと、体内の異物の質量が増す。その感覚にまた真幸は呻く。蛙のような、鳴き声。――泣き声。
「よい、しょっと」
美咲は掛け声を一つ挙げ、『何か』を引き摺り出した。
ずるり、と。
腹部からはみ出た『ソレ』。
桃色と緋色の、びろびろ。
てらてらと、艶かしく光るモノ。
血に濡れた、内臓の一つ。
――――――腸。
***†***
「ほらね、見える? 真幸君。これがそうだよ。――私達の絆の証、『赤い糸』」
美咲は真幸の腸を両手で掴み、真幸の方に、晒す。
普段光に晒される事の無い腸は、蛍光灯の灯りの下、微かにびくびくと蠕動する。まだ命がそこに繋がっている証拠だ。
だがしかし、本当に、微弱な勢いだった。
「もう、止めて、く、れぇ……。びびび病、院にぃ、連れ、て、行っ……!」
途切れ途切れではあるが真幸は必死に訴える。腹部の激痛と高熱に加え、自らの腸を目の当たりにし、精神が限界に近づいていた。
死ぬよりも先に壊れてしまいそうで――――
「うふふ、解ってるわよ、勿論。真幸君が死んだら、私、とても悲しいもの。すぐに手当てをしてあげるわ」
「なぁ、らっ……早、くぅっ……」
腸を携える美咲は、笑顔で請け負う。苦痛から逃れたくて堪らない真幸は、最早それに縋るほかなかった。プライドも何かも投げ捨てて、無様に手を伸ばした。
「うーん、やりたい事があるから、もう少ーし待ってくれる? ――持ち堪えてね、それまで」
「…………っ!!」
だが美咲はあっさりとそれを振り払い、次の行動に移る。
出した腸を血塗れの手でゆっくりと左手の小指に巻き、結び付けていったのだ。
くるくる、ぐちゃぐちゃ、ぐるぐる、べちゃべちゃ。
嫌悪感を催すノイズが、部屋中に響き渡る。
そしてぎゅっと、一度強く引っ張られた。衝撃に、真幸はくぐもった声を漏らす。
「ごめんね。痛い?」
心配そうな美咲の口調にも、もう何も感じなかった。ただ解放だけを望んでいた。
「でももう大丈夫だからね! 安心して。完成したから」
美咲は左手の小指を真幸に向ける。そこにしっかりと括り付けられた、腸――
「う、えっ……」
口から溢れ出そうになったモノを、必死で真幸は嚥下する。吐き出しても良かったかもしれないが、何故か飲み下さなければならない気がした。最後の、砦のような、プライド。
最期が近いからだと、自覚した。
『赤い糸』と化した腸に、美咲は愛しげに頬を寄せる。ぐちぐちと聞くに堪えない音がする。
朦朧とする意識。何も考えられない。混濁する、感情と感覚。
ゆっくりと、真幸は美咲に目を向ける。
「痛い思いさせて、本当にゴメンね? でも私たちが互いから離れない為には、コレしかなかったの。私の『赤い糸』も取り出して、一緒に繋いでも良かったんだけど。でも私のは、汚いから。真幸君みたいに、綺麗な色や形じゃないから。それ、意識が遠くなるし。まだやらなきゃいけない事、あるからね」
笑う美咲はとても可愛く見えて。
「私は貴方から、貴方は私から。もう二度と、離れない。私たちは私たち以外の誰とも『赤い糸』を結ばない、結べない、結ぶ必要なんてない。そう決まってたの、運命だから。『赤い糸』がこんな風に結べたのはその証拠」
愛と運命を語る美咲はとても美しくて。
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふっ、これで私達――――」
狂う美咲はとても愚かで――――
「ずぅっと一緒だよ」
ぶつりと、真幸の命の糸は途切れた。
***†***
***†***
それから数日後。
部屋から出てこなくなった青年を心配して、アパートの住人が警察に通報する。
ドアをぶち破り部屋に侵入した警察官達は、その惨状に目を覆った。
二人の人間が、死んでいた。一人は青年、もう一人は女性。女性を上にして、抱き合った姿勢で床に倒れていた。
青年は失血によるショック死、女性は舌を噛み千切り窒息死。
二人の遺体は腐敗が始まり、硫黄よりも酷い異臭を放っていた。
青年の腹部からは、でろりと腸がはみ出し、それは女性の左手の小指へと繋がっている。これだけでも充分異質な事件だが、更に警官達を驚かせたのは――
青年と女性を繋ぐ、無数の赤い糸だった。
二人の右手と左手、右足と左足、胴と胴、右耳と左耳、鼻と鼻――
それ以外にもあらゆる部分が、赤い糸で結び付けられていたのだ。固く、決して離れる事無く。糸は刺繍糸等ではなく、頑丈なテグスであり、透明なものをわざわざ赤色に染めたのではないかと言う事だった。
恐らくは青年が先に死に、その後女性が体を結んで自分は自殺したのだろう。これが警察が出した結論だった。
心中。
警察はそう断定した。
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二人を繋ぐ、赤い糸。
彼女の、本当の意図。
決して離れる事が無いように。
ずっと、一緒。
読んで下さりありがとうございます。
私の中ではホラーってのは恐怖なんですが……これはただの暴力で、気持ち悪いだけな気がします。どうでしょうか。




