8ー6 こころの相談窓口
五階から落ちた程度では死なない。これは当たりでもあるし、はずれでもあるらしい。どうも生存率は50パーセントなのだそうだ。7階以上になると生還率は低下し、この世とおさらばできる可能性が高くなるという。
ともかく、まあ、5階から飛び下りたわけだけれども。
死にたい訳じゃなかった。
「…………」
夜空を見上げ、寒さに震える。どうやら生きてはいるようだ。
身体中が痛い。身を起こしてみると、服や髪の毛には緑のものがまとわりついている。
持っていた竹刀の残骸を壁に引っかけて勢いを殺し、真下の植え込みに落下したのだ。いくつかのかすり傷、軽い打ち身で命は拾ったのだから、かなり割りのいい取引だ。
けど二度とやりたくはない。
見上げると、割れた窓から人がうっすらと見える。
身体を叱咤して、団はその場から離れた。
「___また、逃げちゃったねー」
鮮美は声に振り返ることもしない。ただ無言で脚の状況を確認するだけだ。
「けど、飛び下りて命があるのはおっどろき。まあ、アザミが一人前になるためには、生きててもらわないと困るんだけどさ?」
ふくらはぎから出血した血は、黒のタイツに滲んでいる。唐紅は心得たように、荷物からソックスを取りだし、鮮美に放り投げた。
「ね。生きててもらわないと、困る」
「………それは、マドカくんを生かしたいから?」
「……いや?」
丸めた黒タイツを唐紅に寄越し、鮮美は頭の彼岸花を揺らす。
「自殺なんてされたら、面白くないだろ?」
唐紅が口を開こうとしたときにはすでに、鮮美の姿はその場から溶けていた。
24時間稼働している工場の敷地の一角に、団はいた。広大な敷地には隠れるところは多い。
生存本能、ただの生存本能。鮮美の前から逃げ出した理由を、人間の本能で片づけたかった。
本当に、それだけか?
「はっ………」
ぼろぼろの竹刀を見て、そういえばこれを唐紅にもふるったのは半日も経っていないと思いを馳せた。同時に迷いなく、迷いがないと思ってきった啖呵も。
なにが、鮮美にとってプラスになるなら死ぬのもまあアリ、だ。なにが、迎え撃つ、だ。
こんな臆病者、さっさと死ねばいいのに。
そうだ、どうせなら鮮美のために、死んだらいいんだ。
そうと決まったら話は早い。逃げ続ける必要もない。
桜の木の幹に身体を預け、イヤーマフラーを外して、団は携帯電話を取り出した。
「もしもし?」
こんな夜中だけれど、中学以来の友人は出てくれた。
「幸佑、悪い、多分俺死ぬわ」
「こんな時間に新手の嫌がらせ?」
そんなんだったらどんなにいいだろう。無言でもってかえすと、声の調子は変わった。
「もしかして、鮮美さん関連?」
「ん」
「今なにしてんの」
「………殺しあい?」
「アホ!!」
怒鳴られた。
「なんでそうなったかはこの際いいや。それで?今は鮮美さんに最後のお願いをして、この電話をかけてるわけ?」
「いや、今は鮮美から逃げてて、もうすぐしたら追い付かれて殺されそうだから、今のうちにかけてる」
「……小原は鮮美さんのために死ぬとか言うつもり?」
「そうなるかな。あいつ、人殺さないと一人前になれなくて死ぬんだろ?時間ないし、俺が死んで鮮美が生きるなら」
「この、救いようがないアホ!」
鼓膜を無視して、怒鳴られた。幸佑のマンションで、階下から苦情がくるんじゃないかってくらい。
「鮮美さんが、そんなの望むと思うのか!」
「………望んでるから、殺しにきてるんだと思う」
「バカじゃねえの!?鮮美さんは吸血鬼なんだよ、本能が殺せっていってるけど、多分必死に抑えてんだよ!そうじゃなきゃ今頃死んでるとかは考えない?」
耳が痛い。
「大体小原はなんなの?散々鮮美さんのこと信じるとかいって、庇って、助けて!それで相手がどうしようもなく困ってたら逃げるわけ。なんだよ、いい人に見られたいだけかよ!」
キレた幸佑は容赦なく傷を抉ってくる。
「それで、自己嫌悪でもしてた?だから殺されようとか思った?」
もう、いい。もう、わかったから。
「人間として死にたいっていう鮮美さんの願いが、小原を殺したくないからっていうことになんで気づかないんだ!」
耳の奥が、キーンとなった。