8ー2 かくれんぼ
「久しぶり。元気?」
なんでもないように笑って言うと、暗がりで鮮美は曖昧に微笑んだ。
「そうだ小原、自転車中にいれてくれない?」
望んだ回答はなかったが、他ならぬ鮮美の頼みだ。黙って従い、自転車を闇に引き入れる。引っ込んだ瞬間、黒い車が立て続けに通り過ぎていった。恐らくは覆面の警察車両。
「……あれだけ飛ばしてたら出しててもわからないとは思うけど、用心するに越したことはないもんね」
座り込んでいる彼女の隣に、団も腰をおろす。
「え、なに、おまえ追われるようなことしたの?」
「居候してる久世先生の家からの脱走」
まあ、これくらいは予想の範囲だから驚かない。
「脱走するときにレナに協力してもらって、囮になってもらったんだけど、ついてきた刑事を叩きのめしでもしたかな?」
さらりと言いやがった。確かに唐紅ならやりかねない。確かに昏睡している人間が運び込まれるとしたら、このあたりなら藤和病院1択だ。
「一応逆方向に行ってもらってるんだけどなー」
はは、と笑う彼女は、どこか元気がない。全身真っ黒の鮮美は、どこか消えてしまいそうにみえた。
「……それで、こんな時間に、どうした?」
聞いてしまえばなにかが動くとは思っていた。
「……小原に、会いたかった」
「……え」
膝を抱えている彼女の手のひらは、微塵も震えていなかった。
「小原にちゃんと会って、ありがとうって言いたかった」
はあ、と吐く息は白い。
「私を信じてくれて、ありがとう。今まで守ってくれてありがとう。助けてくれて、本当に、」
「やめろよ、照れ臭い」
そうだ。やめて欲しい。そんなむずむずするような台詞。
まるで会うのが最後、みたいな。
「そういえば鮮美に渡したいものがあってさ」
話をそらすようにバックから箱を取りだし、鮮美の手に握らせる。触れた手は冷たい。
「……受け取れないよ」
「もらってよ」
「だって私は」
「人間じゃないって言うの?」
短い悲鳴が漏れた。改めて突きつけた、鮮美と自分の違い。
待機状態にしていたディスプレイが消えた。
「鮮美は、鮮美でしかないよ」
冷えた手を握る。離せばどこかに行ってしまいそうだ。
「俺は、鮮美にちゃんとここにいてほしい」
「……それが、吸血鬼でも?誰かを殺したくなっても?小原を傷つけるかもしれなくても?」
「うん。俺の、わがままだけど」
本当に弱く手を握り返される。
「私は……」
「そばにいてよ」
ほんの少し身を乗り出して、腕をまわした。
腕の中は冷たいままだった。
「箱、あけてみて。髪飾り。鮮美の好きな花」
「……わた、しは」
どこか泣きそうな声が、続きを言おうとしたときだった。
「みーつけた」
懐中電灯のまぶしい光が見える。
鮮美から離れる前に、彼女自身が臨戦態勢に入っていた。
「……レナ」
「忘れ物だよ、アザミ」
黒く細長いものが、ずいっと2本渡された。
「……」
「置きっぱなしなんて忘れっぽいね」
差し出された刀とおぼしきものを、鮮美は受け取らない。
「仕方ないなー。ほら、マドカくん、はい」
それらを2本とも受け取ると、ずしりという重みを感じた。
「ひとまず事情を聞こうとしてきた警察連中、みんな沈めたから。殺してはないからね?ここ、誉めるところね?」
誉める要素は見当たらないが、突っ込む度胸もない。沈黙は金という格言に従っておく。
「巻いたから捜索範囲広げて、こっちに向かってるっぽいなあ」
黒のモッズコートに身を包んだ唐紅は、くるくると回ろうとして失敗していた。厚底の靴をはいているからかもしれない。
「ひとまず鮮美は逃げてね、いろいろと身辺整理して、またあお?」
鮮美は答えない。遠くでサイレンの音がする。
「私は今からまた囮になって、今度は学校のほうに行くから逆方向にね」
このままでは見つかる。そう思ったから、座り込んだままの鮮美を立ち上がらせた。
よろけたので、慌てて支える。
きっと睨む鮮美に、いつかのような強い光はなかった。
なにか、迷いがあるような。
「そうだ、マドカくん」
コートをはためかせ、歩いていた唐紅は振りかえる。
「マドカくんって、案外残酷なんだね」
見とれるような笑みを浮かべた後、一転、地を蹴り道路へと飛び出した。
様子をうかがうと、ゆるゆると追っていく車が見える。
「……小原、行こうか。それ、持つよ」
刀を2本ひょいと持ち、鮮美はどちらも肩からかけた。
「っていってもここしばらく一本道だし、ここにいたほうがよくないか?」
「や、レナがここに立ち寄ったから。誰かくるかもしれない。小原は事情聞かれる前に、早くここ出たほうがいい。散歩っていってもぎりぎり信じてくれるでしょ」
「じゃあ、鮮美は」
「あたしは、さ」
人間じゃないから。そんな言葉を残して、かき消えた。
「ちゃんと消えた?」
すぐに鮮美は現れる。唐紅がやったのと同じような、透明になったような。
「私はこうやって小原のあとをいく」
「……わかった。じゃ、後ろ乗って。そのほうが早く移動できるし、ちゃんといるって分かるし」
躊躇していたようだが、彼女は頷いた。
「あとごめん、竹刀も一緒に持っててもらっていい?」
「おっけー」
自転車のスタンドをはねあげ、まず団が先に乗る。
「乗って」
「ん」
荷台に重みを感じ、ちゃんと人がいることを実感する。
「落ちるのやだからつかまっといて」
なんてことないように指示して、いざ躊躇いもなく腕をまわされると、脈拍が大きくなったように感じた。
「じゃ、行くから」
答のかわりに、腕の力が強くなった。
相変わらず体温は冷たいまま。
……幸い職務質問を受けることもなく。わずかなトラック以外走らない県道沿いを走る。信号はきちんと働いていて、交通量もゼロではないから赤信号で止まらざるを得ない。
背後を振りかえる。
荷台にはなにも見えない。
「鮮美?」
服に触れられる感触があるから、いるのだろうとは思う。
ただ、姿を見せようとしない彼女は、弱っているんじゃないかと、そんなふうな予感がした。