8-1 逢い引き
家に帰り着いたときに携帯電話が鳴った。発信は公衆電話からだ。
相手はカラクさんだろうか。ポリシーを無視し3コール見送っても、音は鳴りやまない。
ポチッとボタンを押し、無言で応答する。
「…………もしもし」
電話から聞きなれた声に息を飲む。
「鮮、美」
「小原」
電話口の彼女は、どこまでも冷静だ。
「おまえ、今どこに」
「そんなことより」
静かに拒否され、団は黙り込むしかない。
「今日、外出てこれる?」
「…………今日?」
すでに夕食も終わりというような時間だ。暗さは増すばかり。少なくとも高校生同士が会うために、今から家を出る時間ではない。
「…………行けないことはないけど」
曖昧に答えると、それでいいとでもいうように笑う息づかいが聞こえる。
「じゃあ、今日の12時、コミュニティーセンター近くの公園で」
一方的に言われきられたので、返事もなにもあったものじゃない。これは信頼か、それとも舐められているのか。少なくとも団が迷わず一人でくることを前提にしている。
そして前提が崩れることはない。
「……ったく」
いつも優等生で本音は煙に巻いて。まともに主張したと思えば拒絶で、今度はかなりのわがままだ。
「仕方ないな」
団は息をついて、準備を整え始めた。
「戻りましたー」
努めて軽く言うと、久世先生はすぐに玄関へとやってきた。
「遅いじゃない」
いつも穏やかだが、こればかりはご立腹モード。そりゃあ、連続殺人事件の重要参考人が監督下からはずれ、ふらふら出歩いていたら注意したくもなる。
「外は冷えたでしょう。お風呂沸いてるから、入っちゃいなさい」
「いえ、先生から先にどうぞ。私、今アレなので」
女同士わかるアレを持ち出すと、先生はしぶしぶながらも納得する。
「なら、先にご飯食べちゃってて。簡単なものだけど」
「わかりました。ありがとうございます」
これはごはんのあとにお説教ルートかと容易に予想ができた。
先生がバスルームに入る気配を確認し、鮮美は自身の荷物をまとめた。手始めに2本の刀。学用品に最低限の衣類。
自宅から持ち出してきた荷物に、生きるために必要なものはそれほどないと思い知る。
ちらりと見る時計。長湯をしない先生は、きっともうすぐ上がってくる。
鮮美はホットミルクを用意した。
ほかほかと暖まっている先生にすすめると、なんの疑いもなく飲んで、倒れた。
唐紅から渡された、速効性のある睡眠薬。
空になったフレッシュの容器をくしゃりと丸めて、テーブルに放り投げる。
感傷に浸るのはここまでだ。
「マル対、外出する模様」
鮮美深紅を張り込む刑事から、一報が入ったのは夜も10時をまわったころだ。素行不良でない高校生なら、塾や予備校から帰ってくる時間でもある。
「このままショクシツかけて任意で引っ張れ。西藤井での件もある」
小原丈は対策室でのやりとりを聞きながら、ため息をついた。
ふと視線を感じてみやると、上司があごをしゃくっている。
コーヒーを片手に部屋を出ると、遅れて上司もやってきた。
「……こういう形になってしまったな」
鮮美深紅が容疑者として扱われることだろう。上司は怪異説を支持してくれていた。
「……仕方ないですよ。吸血鬼なんて怪異、今の世界ではナンセンスです。世間に認められるわけがない」
「20年前もそうだったようにな。だが、残念ながら、今回は容疑者として浮上してしまった」
捜査線上に鮮美深紅が浮かばなければ。彼女は早死にするとしても、普通の高校生として生きていたことだろう。
「……これで事件は終わります。世間も納得する」
「……そうだな」
人外が起こす事象を尻拭いしてきた人間たちは、お互いに乾いた笑いを浮かべた。
出掛ける用意をして、課題をしていたときだ。電話が鳴った。
090から始まる、知らない携帯電話のナンバー。
「……もしもし」
「あ、小原」
少し上下した声は、運動をした後なのだろうか。鮮美のものだった。
「ごめん、ちょっと早く出てこれる?」
「行けるけど、いつ?」
「今から」
なんだって、今日の鮮美は、いつもよりわがままだ。
「……いいよ」
「助かる」
「待ち合わせ場所今から行くから」
「おっけ」
電話は切れた。
よく考えたら、こんな時間から会うなんてどうかしている。そもそも、彼女は今一人で出歩けるのだろうか。
たぶん、監視の目を盗むなりして、やらかしたんだろう。
難しく考えるのはやめた。
青柳の家に行ったときよりも厚い防寒具を羽織り、用意していた荷物も持って家を出た。
夜は冷える。なんとなく、人通りの少ない方の道を通って、待ち合わせ場所へ向かった。
コミュニティーセンターは藤和高校の近くに位置する。高校自体、ため池や田んぼ以外なにもないところに建ち、最近やっとその風景も変わってきた。
どんなに盛っても住宅地とはいえないため、下校のピークを過ぎると極端に人通りは少なくなる。
白い蛍光灯がまぶしく、たまに通る自動車だけが音をたてていた。
そのなかでも、真っ暗な公園。
自転車で敷地のなかに入り、気配をうかがう。
時刻は夜の11時前。携帯を開いてディスプレイであたりを照らす。
「……鮮美?」
小さく呟いても、反応はない。
はたと気づいて、着信履歴の一番上を確認し、リダイヤルする。
いつの間にか購入したらしい、鮮美の携帯電話。
着信音は鳴らなかった。けれど、ある一点がぼおっと光った。
電話が取られる。
相手は無言。
「きたよ」
端的に告げると電話が切れる。
「ありがとう」
誰もいなかったはずの空間に、団を呼びつけた人物が現れた。
「久しぶり」
携帯頼みの明かりだったけれど、鮮美は笑っていたのだと思う。