7ー11 輪を抜けたバロック
白く光ったまあるいたまは、重ね合わせると軽やかな音をたてた。
見つかったときには、確か母親に怒られた。
真円の、一級品の真珠の首飾り。そして、イヤリング。
背中に重みを感じながら、暗い町をゆらゆらと歩く。風の冷たさが頭を冷やしてくれることを願い、鮮美は家路についていた。
マナーモードにしている機器が、ポケットの奥底で鳴る。
歩みを止めないまま、真新しい携帯電話を開き、電話をとった。
「もしもし」
「もしもし、鮮美さん?」
声の主は久世先生だ。きっと帰宅しても姿が見えなかったから、新しく契約した電話にかけてきたに違いない。
「すみません、少し外の空気が吸いたくて、散歩してました。もうすぐ戻ります」
聞こえたため息は、呆れだろうか。それとも安堵だろうか。我ながら自意識過剰かもしれないけれど。
「……危ないから、早く帰ってきなさい。なんならタクシーを使ってもいいから」
「はい、ありがとうございます」
心からの善意に、ほだされてしまいそうになる。
心配をかけても、裏切る形になろうとも。
どうしても、貫きたい思いがある。
電話を切って、見慣れたシルエットをみやった。
「電話してるところ人に聞かれるの、あまり好きじゃないんだけど」
「あら、私だって盗み聞きされるの好きじゃないわ」
涼しい顔で切り返してくる唐紅は、こ憎たらしい。
「さっきの、マドカくんと話してたこと、全部聞いてたわよね?」
質問というよりも確認。嘘をついても本当のことを言っても、先は1つだ。
面倒だからなにも言わない。相手も返答を期待しているわけではないらしい。
「はい、返す」
言うが早いか、彼女は刀を投げて寄越した。
腕にのしかかる重み。血を吸った真剣。
「もうわかってるでしょ」
わかっている。
「なにもしなければ、あんたが小原を殺すんでしょう」
「そうね。あと何人かもついでに、ね」
薄い微笑みは空気を震わせた。
「ね、吸血鬼と人間が戦ったら、どっちが勝つんだろうね?」
その解も決まりきっている。唐紅が手を出せば、人間はなす術もなく殺されるくらい。
「それをあんたが聞くの?」
「一応ね、確認」
刺されたものは釘だ。
駅にたどり着いた。
「それじゃ、さよなら」
彼女は闇に溶けて消えた。
鮮美は増えた刀を抱え直して、改札を抜けた。
明々としているホームの電工掲示板。待ち時間はきっかり20分だ。
ーー最初にみたときには、なんの冗談かと思った。なにせ、自分を振り回す居候の写真が、自身の居候先にあるのだ。
「ああ、妹なの。行方不明の」
さらりといってのける久世先生は、ここまでくるまでに多くの気持ちを乗り越えてきたのだと思う。
ーーまだ父母が生きていた頃。これでもかというほど武道を習わされた。そして引っ越しを重ねた。幼少期からなんとなく感じていた違和感。
普通とは違うのだと分かるなにか。
ーー独り暮らしになって招かれた小原邸。ご飯に招かれたのだった。
不在がちだけれと普通の家庭。平凡な、幸せのかたまり。もう2度とない、子供の時間。
ーー「皮肉なものね、あなたのお母さんが私を吸血鬼にして、私があなたを一人前にする」
同居人が増えたその日、食卓で彼女がいった。
恨んでいるかと問うてみれば、さあどうかしらと明言を避けた。
ーー「いつまで我慢できるかしら?」
赤い匂いをまとって帰る、少女が晴れやかに笑う。
連続殺人が当たり前の街で、自分の居場所が包囲される。
そして人外へ一歩ずつ。
ーー「あなたも混ざる?」
夜に出歩いた町の外れで、殺人現場を見たときの、どうしようもなくさめた感想と、抗いがたかった衝動。
遺体のかたわら、セーラー服。
はじめて目の当たりにした、人の姿を持つ人ならざるもの。
あのときから変わったのか。いいや。
父母の殺人現場を最初に目の当たりにしたときか。
いいや。
本当は違うのに、正規品のふりをしていたバロックだ。バロックにはバロックのよさがある?
自分は白にはなれない。正規品にはなれない。
丸い真珠のかたまりに、バロックの真珠が混ざれるものか。同じ首飾りにおさまれるものか。
バロックはバロックとしておさまるしかないのだ。同じようにはおさまれない。
ポケットに突っ込んだ指先が、携帯電話をとらえる。
次に、コーヒーフレッシュ。
携帯電話だけを引き抜いて、鮮美は覚えている番号をなめらかに押した。