7ー6 延命
鮮美が学校に来なくなった。彼女の性格上、学校が怖くて、という可能性は低いと思う。きっと誰かに登校を止められているのだ。例えば、警察とか学校とか。
「うわあ、派手なことになってるよね」
「そうだな」
午前8時になるかならないか。団と幸佑が連れだって歩いていると、正門前の取材陣を目の当たりにした。
原因は1つ。ある週刊誌が、高校生連続殺人事件の重要参考人として鮮美があがっていることをすっぱぬいたのだ。氏名や学校名こそ出ていないものの、分かる人が読めば伏せられていた情報は容易に推測できることが可能だ。
「連絡メールできた通りにしようね」
どうも学校側には出版社から通達が届いたようで、朝には生徒宛に、取材陣からの質問には答えないように、とのお達しが届いている。
「もちろん」
「ガン飛ばしてもだめだよ」
「わかってるよ」
やや早足で正門へと滑り込む。鞄につけているお守りが大きく揺れる。
鮮美は戻ってこれるだろうか。
二人で登下校した日々が、遠い。
今日は家から出ないでね。
そう言い渡された鮮美は、久世家に厄介となっていた。といっても、久世先生は独身。独り暮らしのところに鮮美が転がり込んだ形で、生活リズムにあまり影響はない。
学校から与えられた課題をこなすと、あとは家事を行うか、布団叩きで素振りの練習をするかくらいだ。
近頃は体調がよくなかったから、満足に稽古もできなかった。得物は違うが、久しぶりに素振りでもしよう。
実際に手にとって、風を切りながら振ったときだった。
なにかが引っかかる。
体が、軽い。
体調不良が直っているだけでなく。むしろ剣速も早くなったような気がする。
いや、手にしているものが軽いせいだろう。
ボコボコボコという音が思考を一時中断させる。沸かしていたお茶が沸騰し、やかんからこぼれている。
「うわわわわ」
慌てて駆け寄ろうとしたら、思いの外早くたどり着けた。
「………………」
米10キロを持ってみる。余裕で行ける。垂直跳び。いつもより、高く飛べる。
間違いなく、身体速度が上がっている。
「…………レナ?」
鮮美の、見据える先には写真たてが、あった。
セーラー服の少女が笑っている。20年前に行方不明になったきりの、久世先生の妹。
「吸血鬼が、牙をたてて直接吸い取るのは、過去の話よ。今では刀で切りつけるだけでいいわ」
セーラー服の少女は、鮮美の自宅でそう説明した。
「刀に血を吸わせるイメージね。自分の刀を一ふり決めて、あとは決まった間隔で斬っていけばいいの」
簡単でしょう?と、彼女はカップラーメンの作り方を説明するように言ったのだ。
「ちなみに、一人前になる儀式としては、一番大切に思っている人を殺すのよ。不老不死として生きるため、大事な存在との決別という意味もあるし、最初は自我がぶっとんじゃうから、本能をコントロールするために最初は全開でやるっていう意味があるのよ。無駄に死人を増やしたら、私たち生きにくくなっちゃうものね?」
暗い影に、微笑が映える。
「じゃあ、得物がなくなったら死んじゃうんだ?」
「そうねえ、若い吸血鬼だったら、そうかもしれない。けれど、逆に言えば、生きる意志がなくても、得物があれば、無理やり生かすことだって可能だわ。かわりに斬りつけたらいいんだもの」
思い出した。出会ったばかりの頃、見た目よりも長いキャリアの吸血鬼が、鮮美に話した吸血方法。
セーラー服の彼女は、いつも持ち歩いている短刀が得物だ。翻って。母親が嗜んでいたことと、鮮美自身が武道を習っていた影響で、鮮美家にはいくつか刀が存在する。そのどれもが業物で、どれを使ってもいい吸血ができると褒めていた。
その中の一本を、家を離れると言ったレナは持ち出した。もしかすると、業をにやした彼女が人殺しを行い、鮮美のかわりに吸血したのではないだろうか。
だから今の体の軽さがあるのでは。
体感温度が下がったところ、ベランダで物音がした。
息を潜め、布団叩きを構えながら近づいていく。
窓ガラス越しに見慣れた鞘とケースが目に入った。
「……レナ?」
返事はないが、刀を渡しにきたに違いない。
鮮美は刀を拾い上げ、あたりを見回した。これは彼女が持っていった刀ではない。遺体に刺さっていた一つ、レナに持っていかれた一つ、そして残りの一つ。残っていた刀が、今鮮美の手中にあった。
「……あたしのかわりに誰か殺すつもり、レナ」
数瞬待っても返答はない。
「勝手な真似はさせない。絶対に止める」
あざ笑うかのように風が吹いた。
鮮美はベランダから身を翻し、外出の準備を始めた。
「おかえり」
帰宅時にかけられる言葉が久しぶりすぎて、団はしばらく硬直してしまった。誰もいない家に帰ることがデフォルトなのに、この夕方から父が在宅。明日天変地異が起きるのか。
「ただ、いま」
やっとのことで挨拶をかえすと、父は今にも出て行きそうな格好だ。
「団、表の自転車、青柳さんに返しておいてくれ。もう大丈夫だから」
「あ。ああ」
「それじゃ」
必要最低限の言葉だけを交わして、父はまた仕事に行こうとしている。
「あの、さ」
団の言葉に、父は足を止めた。
「鮮美、今どこにいる?」
心底知りたいと思った。鮮美の家には規制線。家主が住んでいるとは思えない。学校にもきていない。どこかに泊まっているとしても、父が慌てていないのだから、きっと事情を知っている。
「さあ」
答えは冷たいものだった。市ヶ谷に遠く及ばない、情報の引き出しかた。
「……心配するな。留置場とかじゃない。一人ぼっちにせずに、信頼できる人に頼んでいるから」
背中で語り、刑事は家を出た。残された団は、もらった言葉で、少しだけ安心している自分に気が付いた。