7ー3 ぶつけられる感情を直視しようか
「――というのが、今日起きた出来事です」
「そっか、ありがとう。情報も、その後始末も」
「いえいえ、こっちも大事なパトロンさんですし」
「よく言うよ、こっちの写真や情報売り渡してるくせに」
鮮美は牛乳を飲みながら、壁に寄りかかって固定電話で話していた。
相手は報道同好会会長の市ヶ谷。1年生ながらやり手で食えない。相手をたてて口を滑らせやすくする。かつ、情報を提供しながら収集する天性のセンス。
「やだなあ。写真はともかく、基本的に情報は誰にも渡してませんよ?そもそも渡せるだけの情報、鮮美さん落としてくれないじゃないですか」
「こっちが言わなくても周囲の人に聞きまくるとかして、情報集めてる認識だけど」
「え、鮮美さんの秘密とか知ってる友達、誰かいましたっけ」
「おまえ今なにげに失礼なこと言ったよね?資金援助打ち切ろうか」
「いやそれはマジでやめてくださいこちらがわるうございました」
ゴホゴホ咳き込みながら、市ヶ谷の反応を面白く聞かせてもらう。こういうやりとりは、大体いつものことだった。
活動費が学校から支給されない同好会は、所属会員から集める部費が財源となる。しかし、報道同好会が発行するペーパーの印刷代や紙代はどう考えても大きな負担だ。
そこで鮮美は、資金を提供することにした。単純に、自分の情報を調べられて拡散されたくないから、牽制として。
「それで、小原の様子はどんな感じ?」
「特に変わりは。相変わらず鮮美さんに対しては過保護というか、態度が違うと思いますけど」
「そう」
「鮮美さんこそどうなんですか?さっきから体調悪そうですし」
「そんなことは、ゲホ、ないよ」
「今咳き込んだし、あと保健室に毎日のようにいるっていうの、掴んでますよ」
ああやっぱり、資金提供をしていてよかったと思う。こいつらにガチで詮索された日には、きっと丸裸になってしまう。
裏取りまでされたのなら、隠しておく意味はない。
「あー、まあ、よくはないよね」
「お大事にしてくださいね?」
「うん」
新しい牛乳パックを出そうとしたときだった。
「そういえば、頼まれてた情報、手に入りましたよ」
「どうだった?」
「……聞くんですか」
少しだけ沈んでいた言葉は、あまり芳しくない結果であることが予想できた。
「聞くために頼んだんだから当然」
ため息が電話口から伝わってきた。
「……鮮美さんが、他校でどんな扱いされてるかって話でしたよね。ぶっちゃけすっごくよろしくないです。特に、殺された人がいる高校では、容疑者扱いされてますね。あと、電話番号も流出してます」
ため息をつきたいのはこちらだ。電話番号を教えているのは、部活とクラスの連絡網関係くらい。だったら流出元は限られる。
「お節介ですけど、固定電話はそのままで、携帯電話こっそり持ったほうがいいと思います。家電にイタズラ電話とか多そうですよね」
本当に、お節介な1年だ。しかも、始末に負えないのは、彼の推測が当たっているということ。
「アドバイスありがとう。やってみるよ。……あと、確認したいんだけど」
「なんですか?」
「小原に、あたしのことを何か聞かれた?」
電話越しの相手は、珍しく黙りこんだ。
それだけで、わかった。
「もし頼まれたなら、あいつを心配させるような情報は伝えないで。なにも頼まれてないんなら、さっきのことは忘れて。……ごめんね、変なこと言って」
「いえ」
「それじゃ」
「はい、お大事に」
電話は数秒の余韻を残して切れた。
受話器を置いた瞬間、けたたましくベルが鳴る。
「人殺し!」
ガチャギリをしてやった。
またもベルが鳴り響く。面倒なので電話線を引っこ抜いた。
家の中は静かになる。
気を取り直して予習復習だ。明日には英語の小テストがある。
単語帳を鞄から取り出してページをめくると、ふらつきを覚える。
赤シートで隠れる単語の文字が、乱視よろしく何重にもなる。
「やっば……」
こらえきれずにばたんと閉じて、冷蔵庫と牛乳の白に目を向ける。
白地に赤がちらついた。
「――――――」
電話。
あと一本だけ、必要な電話をしよう。
「………もしもし?」
電話を受けての第一声のあとは、やや空白期間があった。
用がないときは電話しない同級生の女の子。一体どんな用件だろう。
「ごめん、明日の英単語の範囲教えて」
「いいけど、どした?」
まさか鮮美に限って、単語帳を学校に忘れたなんてポカはしないはずだ。それに鮮美の立場が微妙になってから、彼女は置き勉を一切しないようにしている。
「……赤い色みたら吐くから、範囲のページ写メで送ってほしい」
「いいけど……ってメール使えたっけ?」
「今日だけ開設する。あとは閉じる」
まあ、変にイタズラメールがきても困るだろうし、それに異論はない。
「わかった。じゃあアドレス教えて。一旦切って、写真モノクロに加工して送るわ」
「ありがと」
「…………あのさ」
赤色恐怖症が悪化している。しかも、悟らせないようにしているが、彼女の体調は芳しくない。
だが、なにを言えばいいのだろう。
悟らせないということは、心配をかけたくないということではないのか。
「…………なに?」
鮮美の声に、団は弾かれたように物思いを棄てる。
「いや、あれだ。赤い色きつかったら、コピーとかで協力できると思うから、いつでも言って」
「ん、ありがと」
「おー」
適当に暈して、団は電話を切った。
ーー泣いてしまうかと思った。声を聴いて、安堵のあまり泣いてしまうかと思った。
事実今だって、頬を温かい粒が流れている。
多分、赤い色をちらつかせたからだろうけど。
声が聞きたかっただけだ。
時間が迫っているから、少しでも多く聞いて、焼き付かせていたい。
ぴろりんと、開設したばかりのアドレスにメールが届く。
添付ファイルあり、本文なし。小原らしいと思いながらも、タイトルは無題ではなかった。
「無理すんなよ」
そして画像には下手くそなイラストがかかれている。
憎めないそいつは、作者みたいだと思った。
アイコラ画像がなんだ。誹謗中傷がなんだ。それによく似たことに、今まで何度も直面してきた。そのたびに涼しい顔をしてかわしてきた。
事実、なんでもなかった。感情の塊なんて、自分自身の感情が希薄であれば痛くない。
なのに、どうして今は直視するのが辛い。
いつから鮮美深紅は、こんなに弱くなったのだ。