5ー9 彼女はだあれ
「朝っぱらから夜勤明けを出迎えるとはご苦労なことで」
「夜討ち朝駆けは人待ちの基本だとその筋の人間から教わったもので」
県道沿いにひっそりと佇んでいる神社で、大人の男が二人邂逅していた。
小原丈、姫島幸信、ともにくたびれた格好をしている。仕事人間として、人間らしい生活を送っていない当然の帰結だった。
つやのない髪の毛をくしゃくしゃとかきむしり、呼び出されたほうは缶コーヒーをすする。
「で、霊視してほしいのはそれですか」
姫島は丈が押しているオレンジの自転車をあごでさした。
「いかにも」
姫島はため息をつき、自分のところへと自転車を持ってくるように促した。
「言っておきますけど、俺は先代に比べるとへぼみたいな霊視しかできないってことを、お忘れなく」
激しい感情を隠そうとしないいい大人は、霊的なるものへの憎悪を体現していた。
「充分だ、頼む」
すでに大まかな依頼は話してある。おたくの子どもが何らかの不確かな存在にあてられたようだ。自分の子供も仲がいいぶん心配だ。霊視してほしい。
藤和市の連続殺人事件の手掛かりが掴めるかもしれないという下心もある。隠してはいるが、この男は看破しているはずだ。
姫島は自転車を囲むように足を引きずって円を描くと、一歩足を踏み入れた。手をかざし、サドル、ハンドル、ペダルとかざす場所を変えていく。
「この自転車の本来の持ち主は、藤和の女子高生ですね……学年は、一年か。竹刀を持ってて、大人しそうな子」
刑事は能力者の力に舌を巻く。通学許可シールから学校と学年は割れるものの、あとは完全に知らないはずの情報だ。本人が弱いと言っても、力を持たない一般人からみたら驚異的である。
「直近に乗ったのは……幸佑?」
眉間にしわをつくりながら、能力者は霊視を続けていく。
「ああ、そういうことですか、小原さん。いろいろあって、幸佑が霊的なものに当てられたんですね」
姫島は手をかざすのをやめると、小原に向き直った。
「幸佑がなにかに当てられたかはわかりました。これで大丈夫ですか?」
「いや、ある特定の日に、霊的なるものがこの自転車を使ったかが知りたい」
姫島は怪訝な顔を崩さない。
「うちのこどもとなにか関係が?」
「もしかしたら、ある事件の犯人と接触があるかもしれない」
長い長い息を、姫島ははいていた。
そして再度霊視を始める。
「どのような人間か、わかるか?」
「幸佑の原因は、本人に直接霊視しないと、……自転車の霊視ですよね?
期間がちょっと空いてますね、霊視料金がっぽりいただきますよ…………」
何度も往復し、丁寧に手をかざしていったとき、幸信の胸元が光った。
ばちっという音が発せられ、かざしていた手は自転車から飛び退くように離れる。
「姫島!」
幸信は胸元に手をいれ、お守りを取り出した。
それは黒く焼け焦げている。
「セーラー服、女の子、二つくくり、中学生くらい、セーラーの襟には藤の刺繍…………すみません、霊視できたのはこれだけです」
かすれ声で要点を告げた姫島は小原の前で、携帯電話を取り出した。慣れた手つきでスクロールし、関係のない項目をネットサーフィンしはじめた。
霊的なものに触れてしまうと、ひどいときには触れたものに影響が及ぶらしい。その影響を防ぐためには、すぐに対象から離れ、霊とは無関係なものを見聞きすることがいいのだそうだ。
今回は。かなりひどいものだったのだろうか。
「小原さん、すみません、これ以上の霊視は無理です、あんなの反則だ」
携帯電話から目を離さないことが、幸信の技術的な問題ではないことを意味していた。
「あんな残りの気でここまで反応する。下手をしたらこっちが感づかれる……」
のろのろと、能力者は刑事を見上げた。
「悪いことは言わない。今追ってる事件からは引くべきだ。人間のかなう相手じゃない」
「なら、おまえのような能力者がいれば」
「それでも太刀打ちできない‼おまえは霊視してないからそういうことが言える!」
しんとしている神社の空気が、より重苦しくなったようだった。
「ただの霊か、悪質な呪いか何かだと踏んでた。そんな甘いものじゃなかった。……幸佑にはしばらく祓いの訓練をさせる。あんなのと接触したら気にあてられて当たり前だ」
小原はおずおずと、しかししっかりと、正体を聞いた。
「二重人格、リストカット、それから赤色恐怖症ねえ」
小原が信じるなら僕も鮮美さんを信じる。そんな幸佑は、鮮美の豹変が何らかの原因を持っているのではという意見を展開していた。ストレスの他には、精神的な疾患では、というのが憶測である。
団は鮮美を蝕む疾患仮説を友人から聞いていた。全てあてはまるな、という言葉は、飲み込んだ。
「苦しんでるなら病院をすすめてみたら?もしくは保健の先生とか」
それで治るのか。答えは否だ。
しかし、苦しみは少しだけ軽くなるのかもしれない。
それに鮮美に対して恐怖心を抱いていた幸佑も、ただ避けるのではなくて、またもとに戻れるようにという思いから考えてくれている。
それが他の奴らとの決定的な違いで、何事にも代えがたいくらいありがたかった。
「ん、今日会ったら言ってみる」
自覚症状がないなら問題だし、自覚しているのならなお悪い。
手助けはいらないと言われたが、正直言って強がりではないだろうか。
「ん。……?小原、朝練は大丈夫?」
幸佑が左腕をみやり、小原へと文字盤を見せる。
しゃべりすぎた。練習開始時刻をとっくに過ぎている。
「………やべ!」
団は勢いよく立ち上がって鞄を掴み、階段をかけ降りた。
「遅刻だ、行ってくる!また昼に」
「主将が遅刻はさすがにね。いってらっしゃい」
幸佑が手をふって見送ると、あたりはしんとした。
「…………」
それにしても。
残った一人は、ポケットからぼろぼろになったお守りを取り出す。
実家が神社ゆえ、いつも持たされている自家製のお守りだ。
おそらく、昨日か今日のうちにこのような有り様になったと考えられる。
悪霊退散と仰々しくかかれているが、ご利益ははたしてあるのか。
「面白いもの持ってるね」
女の子の声は、先程まで団が座っていた場所から聞こえた。
「でも私は幽霊じゃないんだよね」
後ずさる幸佑とは裏腹に、セーラー服の少女は笑っていた。
ーー吸血鬼。
市内でも伝承が残っているだろう?
小原の耳には、姫島幸信の言葉がこびりついていた。