4-7(旧:情報のやりとりは合法ですか、無条件で蔑みますか
「話してくれて、ありがとう」
団の父がそう言ったとき、団は現実に引き戻された。
父が優しい言葉をかけることは滅多にない。だから、話はもう終わりかと思って席を立とうとして、しかし目で制される。
「すみませーん」
文月が店員を呼び、追加の注文を告げている。
期待とは裏腹に、この場はもう少し続くらしい。同席者の意見も聞かず、勝手に人数分の紅茶とコーヒーを頼んでいたが、今回は砂糖とミルクをつけていたので、刑事二人は文句をいうつもりはないようだ。
「アッサム、ダージリン、アールグレイ、どれがいい?」
この横文字は、まるで呪文か?
「アッサムで」
「おっけい、じゃあ私はアールグレイね」
女性二人のやりとりからすると、どうも紅茶の種類であるらしい。ほどなく注文の品が運ばれてきた。
テーブルにつき1つのミルクポッドを文月が素早く奪い取り、鮮美に渡してやる。適量を入れると文月はコップのふちすれすれまでミルクをいれ、団に渡した。どうにか残りを注ぎ込むと、目の前で父が口をあんぐりあけていた。
コーヒーにミルク派だろうが知るか。文句があるなら母に言え。
「……渋い顔をしてコーヒーを飲んでいるかたがた」
誰が渋い顔をさせたんだろう、という突っ込みをしたかったけれど、我慢した。鮮美も静観を決め込んでいる。
「鮮美さんに聞きたいことはもうないのかしら?」
ずずず、という音を発した後、父は息をはく。
「ある」
同じく渋い顔でコーヒーを飲んでいた岩砂が、ノートパソコンから目を離した。
「今日、ついさっきね、事件が起きた。君たち二人が様子を見にきたマンション。あそこで、北藤高校の生徒が突き落とされた。死因は失血死」
控えめの声で状況を説明すると、岩砂は目を伏せる。
「――これに見覚えはないかな」
岩砂はかばんからジプロックにいれられた文房具を出した。
大振りのカッターには劣化したセロハンテープで、劣化した紙がはりつけられている。紙には鮮美という判がおされていた。
がちゃん、という音は鮮美の席から聞こえた。紅茶を飲もうとしてカップを持ち上げ、失敗したのだ。テーブルの上には衝撃で紅茶の一部が飛び散っていた。
鮮美は落ち着きなくスラックスのポケットをまさぐり、動きをとめる。
「これは君のもの、ということで間違いはないのかな」
岩砂の問いに、鮮美は小さくうなずいた。
「これが事件現場に落ちていたんだけど、知っていることを教えてくれない?」
頭の中がぐるぐるとした。知っているもなにも、という鮮美の声が、どこか遠くで響いている。
「これは、母が使っていたものです。衝動的に、腕を切ったのがこのカッターで、以来、私はこれを持ち歩いていました」
パソコンのキーボードをカタカタと打つ音が聞こえる。
「でも、なぜそれが事件現場にあったのかは、わかりません。今日も制服のポケットに入れていたのに、いつのまにかなくなっている。どうして、私にも、わかりません……!」
ああ、なにを考えていたんだ。
この状況でなによりもつらいのは、俺よりも鮮美のほうじゃないか。
「俺は、鮮美が教室に戻ってきた後、一緒に帰ってきた。鮮美を疑ってるなら筋違いだと思う」
ゆっくりとそう告げると、岩砂はちらりと父を見た。
「……事情聴取のあと保健室に行って、そこからは?」
「吐き気がしたので、トイレにこもって、そのあと、教室に戻りました」
「目撃者は」
「いません」
沈黙がおり、父は一気にコーヒーを飲み干した。
「最後に聞きたい」
鮮美も紅茶を飲み、続きをうながす。
「君は武道系の部活に入っているが、人を殺すことは可能か?」
空気がびりりと震えた。
父は、この人は鮮美を殺人者だと決め付けているのだろうか。
残っている紅茶をかけてやろうかと思った。それくらい本気だった。
けれど、鮮美が団の腕を掴んで、痛いくらいに掴んだので止めた。
それを鮮美は望まない。
彼女の視線はオトナを見据えたままだった。
「人を殺すことは可能です。しかし、やってみたいとは思いません」
両者は目を逸らさずにいたが、やがて、父は目を逸らした。
「わかった。機会があれば、君の得意なもので手合わせを願いたいものだ」
「小原さんの得物は」
「竹刀だ。射撃はそこまで得意ではなくてね。君は?」
「竹刀か模造刀でお願いしたいところです。小原くんのお父さんなら、剣道の腕もかなりのものなのでしょうね」
鮮美が微笑むと、父はもう行くようにうながした。
「団、ちゃんと送っていくのよ」
言われなくても送っていく。そう憎まれ口をたたくとあとが面倒になりそうだったので、わかったというふうにジェスチャーをして、その喫茶店を出た。
文月がボイスレコーダーのスイッチを切る。ふう、と息をはくと、3人は一様に顔を見合わせた。
「居合いを真剣で行うというのは…」
「流派によって違うが、模造刀で行うところも、真剣で行うところもある」
「彼女の流派がわからない以上、家に真剣があってもおかしくないわね。連続殺人事件の凶器、日本刀じゃないの?」
警察関係者は一様に無言を貫いた。
「文月、くれぐれも」
「丈、わかってる。書かないわ」
手をふると、文月は喫茶店をあとにした。
席には刑事が2人残される。
「岩砂、藤和高校から気になる情報がでてきたんだ。剣道部の1年生が鍵を差しっぱなしにしていたところ、自転車がなくなったらしい。オレンジ色の、今では生産が終了している型だ。それがなくなったが、3,40分ほどしたら元の場所においていたということだ」
「……奇遇ですね、事件現場で、オレンジの自転車、僕もみました。いつのまにかなくなっていましたけど」
「藤和高校から事件現場まで、自転車をとばせば往復で10分だな?」
「十分犯行が可能ですね」
「……そうだな」
小原丈は、空席となった向かいの席を見て、息子のまなざしと、参考人の表情を思い返していた。