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「それで、あなたの症状はなに?」
単刀直入に、養護教諭は聞いてきた。鮮美はあっさりと降伏する。
時折なにかの拍子で触発され、事件の光景がフラッシュバックし頭痛に悩まされること。ひどいときには吐いたりすること。それを彼女は淡々と告白した。
「なんでしょう。PTSDかなんかでしょうかね?診断受けてないんで」
どこか人事のような鮮美に、教師は険しい顔をした。
「すぐにどこかの病院に行きなさい。いきなり精神科へ行くのに抵抗あるなら、心療内科でも大丈夫。部活で忙しいなんて言い訳もなしよ」
鮮美は黙って首を振った。
「…一人暮らしで、資金繰りまで立派にやって、家事と両立させながら高校生してるあなたを立派だと思う。けど、これはあなたの問題よ?それに、資産が困窮しているわけではないでしょう?」
鮮美はため息をつく。柔らかに笑っていて、相対しているほうが毒気を抜かれた。
「確かに、私が私立の大学に入って院に進んでも、または医学部にいっても法曹を目指しても、極端な話人の一生分くらいは生活できる資金はありますよ。でも私は行きません。学校のカウンセリングも受けるつもりはありません。今まで薬を飲まなくてもやってこれました。先生の心遣いはありがたいですが、私は病院に行きません」
はっきりとした拒絶だった。
次の授業は選択科目。団はF市における伝説についての考察。通称F伝だった。クラスの友達に、F伝に使えそうなことが載っているから、と世界史のノートを借りようとしたら、彼はF伝のレポート地獄を知っているのでなんのためらいもなく貸してくれた。それどころか用意一式。
普段から、急ごしらえレポートのためによくお世話になっている。ただ、今回は鮮美の抜けた授業用。例の事件のことでクラスメイトが貸してくれるかは疑問だし、部活仲間とも事情聴取があるのなら接触はきついだろう。ひとまず教科書のアンダーラインもメモし、雑ながらノートの内容をルーズリーフに書いていると、チャイムが鳴った。
担当教師ががらりと入ってくる。
かつかつと、黒板に今日のテーマがチョークで書かれる。
そして、数字も。
F伝が生徒に避けられる理由は、レポート地獄ともうひとつ。膨大なテキスト購入による代金だ。
団は、授業に参加している生徒たちは、その書かれているファンタジックな内容に目を疑った。
「それで、教えてくださいよ、小原さん。どうしてあのこを追うんですか」
刑事二人の帰り道。彼らは通学路の見学も兼ねて、徒歩で移動していた。学校周辺はこの30年で大きく変わったらしいが、県道添いということもあってか、住宅地以外はまばら。公園で戯れる児童もいない。
「……出自」
小原のつぶやきに、岩砂は怪訝な顔をする。
「鮮美深紅の親は、母親が真紅、父親が香佑だ。鮮美は母方の姓。父親の姓は高亜歩」
彼は大財閥グループの名をあげる。
「そんな、首都の高層マンションとか、地方に住むとしても郊外の一等地とか、はたまた門で閉じられた町に住むような階層じゃないですか!」
小原はため息をついた。彼が岩砂に対してこの態度をとるのは、突っ込むところが違う、というとき。
「…普通に考えたら。駆け落ちだろうな。だが香佑はけっこう身辺整理とかしっかりしたみたいで、自分の実家と縁切ってるんだよ。手切れ金の話も間違っちゃいない。だったらおかしな話になってくるだろ?」
岩砂は首をかしげた。
「ったく…。なんであんなに何回も引っ越す必要がある?金があるとはいえ学齢期の子供いるんだぞ。ただのカップルだったらありだろうが、自分の趣味で家族総出で引っ越す父親、いるのか?おれは、そんなのは嘘で、なにかから逃げてたんだと思うね」
若い刑事は笑う。
「まさか…。彼の妻が犯罪者組織の一員とでも?」
「あたりだ」
真剣な面持ちに、冗談めかしたほうはひるんだ。
「高亜歩っていうのは上流階級にしては寛容なほうでな。一般家庭から嫁にいったり嫁いだりなんて珍しくない。それなのにわざわざ縁切ってるんだぞ。反対される理由はなんだ?…しかも、二人は婚姻届を出していない。事実婚だ。加えて鮮美真紅の戸籍はないしよ。子供のほうは作ってるらしいが、それだっていろいろ福利厚生に必要なものが抜けてるって話だ」
にやりと語り手は笑う。
「犯罪組織の一員っていうのはただの仮説だが、もし本当なら子供が狙われている可能性がある。子供を盾にされ犯罪グループに入れと言われ拒んだ。もしくはグループを抜けるときから命の危険があったのかもしれない。事実両親は殺されたからな。それなら狙ってきたやつらを逮捕する。犯罪組織の一員が鮮美深紅に接触してきても任意同行で引っ張る。これも狙ってる―。」
「そんなの、ただの興味本位でしょう!趣味悪いですよ。小原さん!!」
「趣味悪いもくそもない。警察もマスコミも司法従事者も!個人情報なんか調べられるだけ調べていじくりまわすんだ。プライバシーもヘチマもないよ!岩砂、そんなんだったらお前警察やめろ!」
売り言葉に買い言葉。彼はこう言い放つ。
「だったら、ただの女子高生を疑って、そのこの家庭環境を興味本位で調べるだけだったら、伝説の存在を信じるほうがまだましだ!」
同時刻。彼が啖呵をきった相手の息子は、学校で授業を受けていた。
黒板に書かれていた今日のテーマは、吸血鬼。
F市においてメジャーな伝説・伝承のひとつである。