3-7
「ということで、このとき支配者たちは――」
日本史の授業。担当教師は膨大な板書をすることで有名。確か黒板前面に書くのを3回…。
小原は必死になってシャーペンを動かす。そういえば、鮮美はまだ戻っていないようだ。世界史も進むの早いんだよなあ…。大丈夫かあいつ。
その階下。日当たりがいい保健室で、応接室組と養護教諭が向かい合っていた。
「…ストレスからくる発作ですね。……今まで保健室にこのような症状で来たことはありませんが。しばらく話を聞くのは控えてもらえますか」
30代の養護教諭は、微笑みながらも退かずに言い放った。
「それはできません。彼女はこの事件の重要参考人です。それに、話の聞き方が適正であったかどうかは、先生方も見聞きしているのだから、どうだったか心得ているはずだ」
応接室にいた教師たちは押し黙る。恫喝や暴力など、なかった。彼は穏やかに雑談していたという体だったのだ。
「私はこの仕事についてから、血をみたことはほとんどないです。ですからあまりいえませんが。刑事さんたちは遺体をみる機会が多いのかしら?そんなあなたたちは、女子高生がご両親が殺されているのを見て、同級生の遺体を見て、なにも感じなかったとお思いで?」
先にひいたのは、岩砂だった。
「小原さん…」
その言葉に、教師が顔を上げる。
「…引っかかってはいたが、剣道部主将の…?」
小原は黙って肯定した。
「あなた、恥ずかしくないんですか?息子さんと同じ年頃の子です。空白の時間があるのかは知りませんが、とにかくお引取りください」
小原刑事は、踵をかえす。
「……また来ますよ」
扉を開けて退室した彼を、岩砂は慌てて追う。彼はせわしげながら、室内に残っている人物たちに軽く礼をすると、静かに扉を閉めた。
彼らが廊下で奏でる音に思いを馳せながら、養護教諭はにっこりと微笑む。
「では先生方も」
戸惑う彼らを扉のほうにいざないながら、柔らかな口調は崩さない。
「ここは私一人で大丈夫です。ですから、どうぞお仕事のほうに」
やんわりと全員を追い出してしまうと、ベッドを区切っているカーテンを開ける。
「……全員出たわよ。気分はどうかしら?」
鮮美は反射する光をまぶしそうにして、顔をしかめる。
「さっきよりはましですけど…最悪です」
来訪者用玄関。小原はそこで革靴を履き終えたところだった。
「待ってくださいよ、小原さん!」
彼は少しだけ、革靴を履くのに手間取る若手刑事を見やる。
「どうしてあのこにそこまでこだわるんですか?所内でも通り魔の線が強いでしょう?」
「…お前はばかか」
言い捨てると、小原はすたすたと歩き出した。
「ちょ、どういう意味ですか?」
それに追いついた岩砂はタバコにオイルライターで火をつける先輩を見る。
「…鮮美深紅。今でこそ剣道部だが、中学時代はフェンシングやってたそうだ。…小学校のときは、居合いだと。京都はそういうのを教えてくれるとこ探せばあるしな。筋よかったら中学でも外部で続けていてもおかしくない」
「…なんの関係があるんですか?」
タバコの煙をふかして、灰が落ちる。
「鑑識によると、被害者は真一文字に斬られていたらしい。致命傷はそこ。さぞ出血しただろうな。…考えても見ろよ。被害者の傷はすっぱりと一撃。切断面も滑らか。こんなことできる武器って、限られてくるんじゃないか?」
「で、ですがそれだけで居合い経験者を疑うなんて…」
「もちろんこんなの仮定だ。仮定の過程を何パターンもつくって地道に調べる。初動捜査が通り魔目線だろうがなんだろうが、疑わしきは捜査だ。疑わしきは罰せずなんて題目言うのはそれから」
岩砂は、押し黙った。
「…ま、別の理由もあるんだけどな」
「え?」
聞こうとした彼の肩を、一人の人間が掴む。
「ちょっとあんたたち」
淡い水色のつなぎ姿。
「校内禁煙。校内っていうのは、校門入ってからの敷地含んでるからね」
小原はそそくさと、校門に走った。