3-6
小原刑事を鮮美は無視した。
「先生、もう行っていいですか?授業です」
「質問に答えてください鮮美さん。あと先生方、彼女は公認欠席でお願いします」
鮮美はふてぶてしい顔をした。
「ま、まあ…。授業がさぼれてよかったじゃないですか」
空気を和らげるかのような岩砂の発言に、小原刑事以外は目を細める。
「…あんた、ここどこだと思ってるの?」
「おまえ、社会人か?」
「…学びなおしたら?」
ぐさぐさと何かが刺さっている岩砂は、少し涙目だった。
ため息をついて、生徒が口を開く。
「…ここは単位制なんです。週1しかない授業もあるし、ノート借りに行くのも大変なんですけど」
「人と関わっていたらノートくらいどうにかなるんじゃないか」
鮮美の不服申し立てに、鋭く切り替えす40代の刑事。二の句が告げない鮮美に、立て続けに攻撃する。
「転校続きだったら人と仲良くなることなんて造作ないことだろうに。それとも離れるのが嫌だからわざとつくらなかったのかな?でも君は学校で有名なのだから寄ってくる人は多いだろう?」
下手に切り替えしたら、自分がダメージをより多く受ける。
鮮美は無視を決め込んだ。
「…まあいいよ。独り言だ。…本題。岩砂、書いてくれ」
岩砂は、ノートパソコンをかばんから取り出すと、準備を始めた。
…世代間ギャップなのか。とにかく岩砂は、準備を終えたらしい。アイコンタクトのあと、刑事は口を開いた。
「…一昨日の昼休み、被害者、東村君とトラブル。
放課後。…大体15時40頃。東村君と二人で話す。同席した生徒、教師はなし。
そこから空白で…、煙草を吸っていた教師が被害者を見たのが16時ごろ。
やはり空白…。19時に同じ部活の男子生徒と教室で会い、そこから一緒に帰宅。
23時。自宅近くのコンビニに行く途中、被害者が家と家どうしの隙間、かろうじて道といえるほどの場所で被害者を発見。110番通報。
23時18分。東村君の死亡確認。
要約するとこうなるが。不自然なことがぼこぼこと…。
まず、どうしてトラブルになった?」
「東村君たちが私を遊びに誘いました。私は断り、彼に逆切れされました」
「聞く限りでは正当防衛だね。…そのとき被害者が不意に君を恐れたと、他のクラスの人が言ってるんだけど、どうして?」
「わかりません」
刑事は無言だった。
「ふうん…君がにらみでもしてびびったのかな。じゃあ放課後君たちは何を話していたの?」
「言いたくありません」
「被害者が帰った後君はなにをしていた?」
「教室にいました」
「証言できる人は?」
「いません」
「どうして夜遅い時間に一人でコンビニに行ったの」
「一人暮らしで、明日のご飯がないことに夜になってから気づきました。朝練もあるので、前日に買っておかないと時間的余裕がないものですから」
「それにしても現場は通らないよね?なんで?」
「なんとなくです」
両者は一歩も引かない。目に見えない戦いの火花に、二人と記録者以外は目線だけを動かして見守る。
「君はうろたえることなくコンビニ店員に電話を借りて、平静に通報したそうだね。とても女子高生とは思えないな」
鮮美はそこで息を吐いた。
「…死体は、見たことありますから。けれど私はその場は大丈夫ですが、あとになってくるんですよ。吐き気が」
鮮美はそこで刑事の占めているネクタイを不意に見る。
赤を基調とした、ストライプ。
壁は、赤。椅子は、赤。あのときも、赤。
鮮美はこの場から逃げようとして、立ち上がりかけてよろけた。
床に倒れる女子生徒。
ほんの一瞬のことで、学校側は面食らっている。
「おい、どうした?」
「鮮美さん!?」
「保健の先生、はやく!」
うるさい。外野は黙れ。
鮮美が目を閉じると、まぶたの裏に映るものがある。
黒い視界のなかに、濃厚な液体が見える。
忘れられないにおいが鼻腔をくすぐる。
「う…をぇ―――」
壁も床も椅子も敵だ。
うるさい足音が頭に響く。
結局あまり食べなかった昼ごはん。
胃液が鮮美の口から垂れる。
夜に咲く彼岸花、いつもの信号。暗い路地裏、秘密。銀色の光。
真っ赤な液体、流れて暖かく。愛おしくて辛い。
笑顔、唇がつりあがる。にやり、自分、笑う。笑え
歪む、悲鳴、泣け、泣くよ。
「――――!」
鮮美はただひとり、立ち上がらないままの小原刑事を見た。
冷たく鋭い眼光に、鮮美は射抜かれる。
それに動じないように、睨み返し、だが頭痛がきて、起き上がりかけた鮮美はがくりと倒れる。
確かめるように自分の右手を軽く握り、左手でスラックスのポケットをかき回す。
それは確かにあった。けど、なにもできない。
赤は存在するだけで哀しくて、逃げられない。
いつまでも追いかけてきて、解放してくれ。
いや、自分がすがっていて、離れられないだけ。
だから、赤は嫌いだ。