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赤い色は何の色か  作者: 香枝ゆき
第二章 小さな事件
10/81

2-5

 高嶺の花の中の花。中性的な美貌。公明正大才色兼備。学校でも有名な鮮美深紅が無邪気な表情で人の話を聞かない有様。団がこれを人づてで聞いたら、おまえ頭おかしいだろ、と言っていたに違いない。笑えない冗談だ。そういえばブラックジョークってどういう意味だろう、本気で。 …思考回路が鮮美にシンクロしたのだろうか、こっちまでおかしくなりそうだ。

 団は思考を持っていかれないようにしながら、からからの喉を叱咤する。

「鮮美、人の話を聞けよ。おれは昼休みあいつがあんなにびっくりした理由と、放課後なにがあったか知りたいんだ」

「…?」

 鮮美はまた透明な瞳になった。今度は彼女のまわりの空気さえ無色になった。いつも心なんて読ませないが、今度は心自体の存在が感じられない。

 でも、困惑している場合じゃない。

「別に無理に教えてくれなくて良いよ。嫌なら余計な詮索しない。ただ、おれは――!」

「うるさい」

 鮮美の笑顔は消えていた。突き刺すような波動が彼女から発せられている。真っ黒な目には、打って変わって憎悪しか映っていなかった。

「知りたがりやは大嫌い。別に知らなくても生きていけるでしょ?……余計なことしないで」

 太い低音を強調した鮮美は踵を返し、早足で家路へと急ぐ。数秒遅れて、団もその後を追った。二人はすたすたと靴音を響かせながら歩く。

 なんだこの変わりようは。いや、それもそうだが、鮮美が人に憎悪をむけるのを、初めて見た。

「ちょ、どういうことだよ」

「言葉通りの意味」

「おまえおかしいぞ?」

「自覚してるから平気」

 もうなんと言っていいかわからない。

 ペアでテニスかバドミントンやって、ラリーの練習してるときにいきなりスマッシュ打ち込まれるような言葉のキャッチボールだ。

 お互い速度は緩まない。後ろをついてくる足音に、鮮美は苛立ったらしい。

「……小原、もう帰ってくれないかな?家近いし」

「ばか言うな。今更何言ってんだ。今まで何にも言ってこなかったくせに」

「そろそろいいとこ狙うなら、受験勉強しなきゃ。こんなとこで油売ってるひまないじゃん」

 団は深呼吸しながら自己診断をする。すこし脳内の血管が切れ気味になっているようだ。確かに鮮美の言うことは当たっているが、進路希望を白紙で出すやつにそういうせりふを言われたくはない。

「俺はやりたくてやってるの。鮮美だって不審者に絡まれない日のほうが圧倒的に少ないだろ?」

 まわりは静かな住宅街。自動車も通らない。家々から洗い物のかちゃかちゃという音が時折聞こえ、おいしそうなおかずのにおいも漂う。そんな平和に見える場面でも、不審者は潜んでいる。狙われ続けた鮮美はよく知っているはずだ。

「女の子はみんなか弱いっていう発想やめてくれない?オレがなんで行き帰りに竹刀持ってるか、分からないわけじゃないだろうに。自衛くらいできるんだよ」

 団を断ち切るように、鮮美はスピードを上げた。はやく家に帰ってこもるという発想なんだろう。早足でなく駆け足だ。抜け道も隠れ場所も、登下校を供にしてきた団にとっては無意味だから。

「待てよ!」

 団はしかし追いかける。足運びが速くなり、荷物を持ったままの全力疾走が始まる。吐く息と心臓の音がうるさい。剣道部だって、走りこみはする。男子が女子に負けることもある。だけど。

 街灯の下、団は鮮美の右手首をつかんだ。

 長距離なら、団は互角かたまに負ける。短距離は負けない。

「放せ!」

 普段とはかけ離れた形相で抵抗する鮮美。これを離したらたぶんもう追いつけないと思い、団は女子相手には強くつかんだ。

「…――――っ!」

 鮮美の体が硬直する。力を入れすぎたと思ったときにはもう遅かった。団は彼女の手首の細さと、思ったより力で押さえつけられた事実を受け入れるのに時間がかかった。彼女は力いっぱい小原を振り払い、めちゃくちゃに竹刀の入った袋を振り回すと、手首を押さえた。かすかに指の痕が見える。

 彼女は暗がりに入って座り込む。荒い息をついて、震えている。

 少し離れたところから、団は声をかけられずにいた。

「いたい………よ――――」

 後姿に小さく謝った。聞こえたかはわからない。

「でもね――?」

 言いながら少女はゆっくりと振り返る。

「いたいって、あたたかいんだよ?」

 泣き笑いの表情で、そうつぶやいた。


――あとは黙ったままだった。

 明かり一つついてない家に、ぎいいという門を開ける音が響く。敷地に入るのは一人だけ。

「…今日は、ありがとう」

 その声は、団がよく知る鮮美のものだった。

「…もう、オレは大丈夫だから」

 たぶん、心配させないように、じゃなく『牽制』なんだと思う。

「――それじゃ」

 振り返ることなく、鍵を差し込んで家の中に入っていく鮮美。

 言いたいことはあった。

 泣いていたのに、家の中には人のいる気配がない。一人で大丈夫なのだろうか。一緒にいてあげたい。でもそんなのできるわけがない。ただの友達なのに。

 今駆け寄って後ろから抱きしめたとしても、独りよがりだ。鮮美に自分の気持ちを押し付けるだけ。鮮美が受け止めてくれるわけではない。やんわりと拒絶される。

 あの鮮美の変わりようだって聞きたいけど、無理だ。なにも話してくれないんだ。

 家のなかに電気が灯る。庭へと出る窓に鮮美が立ち、静かに笑ってカーテンを閉めた。

 …本当は理解したいって近づいて、彼女が弱さをみせたら付け込みたいだけなのかもしれない。

 偽善者なのか、知りたがり屋なのか。

 …わからないんだよ。自分のことも、鮮美のことも。


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