公爵との交渉
三週間後、公爵家の夜会が粛々と始まった。絢爛なシャンデリアが輝き、ドレスや宝石で飾り立てた貴族が集まっている。
その会場の一角で、一花は椅子に腰掛けていた。
『ダンスも踊ることができないのなら、適当に座っておけ』
一花の頭に、公爵の声が思い返される。先日、公爵は一花に見向きもせずそう呟いた。
一花は足をちらりと見る。足には包帯が巻かれているが、歩けるくらいまでには痛みは引いていた。
周りの貴族は一花を見てひそひそと話すものの、誰も一花に近づこうとはしなかった。公爵やヴィルバートは一花を見ようともせず、ほかの貴族と話している。
ぽつんと一花が座っていると、足元に影が見えた。
「三週間ぶりですね」
一花が顔を上げると、リジェクトが立っていた。
「ご機嫌よう。バレッタ嬢。怪我の具合はいかがですか?」
リジェクトは丁寧に一礼をし、笑みを浮かべて問いかける。
「はい。大分痛みも引きました」
一花は笑顔を作り、答える。
「それは何よりです」
「……そうでした。聖女様も心配していらしていました。僕に伝言を預けるほどに」
リジェクトはにやりと笑い、問いかけた。試すように一花をじろりと見る。一花はその言葉を聞いた瞬間、動きを止めた。
(……? いまのは何……?)
青紫の紫陽花の髪飾り
誰かに花を渡され、頬を染める様子
ミルクティーブロンドの髪
その女性が口から血を流し倒れ込む
そして悲鳴
その光景が脳内へと流れ込んだ。こんなこと、今までバレッタとして過ごして起こったことなど一度もなかった。
(……今のが聖女)
バレッタから聞かされた存在。バレッタが警戒していた存在。
一花は頭を抑え、そうぼんやりと思い出すものの、すぐにそれは消えてしまった。
「大丈夫ですか?」
しばらく静止した一花にリジェクトが語りかける。一花はとっさに顔を上げて笑顔をつくった。
「はい。大丈夫です」
「……そうですか。それならよかったです」
リジェクトは疑うような目つきで見る。何かを言いかけて口を開くものの、それはある声で遮られた。
「私の娘に何か用でしょうか」
威厳のある、低い声だった。公爵だ。紺色の上着を羽織り、シルバーの装飾が荘厳に輝いていた。リジェクトは公爵を見て、口を三日月にゆがめる。
「はい。怪我の具合がどうなっているのか、気になりまして」
リジェクトはにこりと笑みを浮かべる。公爵は無表情のままに、リジェクトに語りかけた。
「わざわざありがとうございます。ですが、医者からも特に問題はないと言われておりますので……」
公爵は一花を一瞥することもなく答えた。
「それなら安心ですね。それと……」
リジェクトは余裕の笑顔で公爵を見つめる。
「もう一つ話をしていまして」
「バレッタ嬢と新しい事業の構想について議論をしていたのですが、まだ僕が未熟のようで……」
「経営手腕に優れた公爵様に助言をいただけないかと、話し合っていたところなんです」
リジェクトは何を考えているかは公爵にもわからなかった。
「……そうですか。それなら、別室で話をしませんか?」
公爵はあたりを見渡す。周りの視線が集まっていた。
「新しい事業の話が誰かに聞かれたら大変ですから」
♢ ♢ ♢
「ここにお座りください」
公爵はリジェクトをソファへと案内する。リジェクトの隣には、一花の姿があった。公爵が嫌がったものの、リジェクトが連れてきたのだ。
彼女たちは公爵と対になってソファに腰をかける。
「……前置きしておきますが、この部屋は厳重な設計で作られているため、会話が漏れることはないでしょう」
ダークグレーで、少し赤色が混じったような壁色を背景に、公爵は腰を掛けた。
「それで、何が目的ですか?」
公爵はひじを膝に乗せ、手首であごを支える。リジェクトは黒い上着を整えた。
「僕の目的は教会の闇を暴くことです。そのためにあなたの力を借りたい」
公爵は無表情に反応しなかった。
「……随分と率直に話すのですね」
「公爵様は前置きの長い話がお嫌いでしょう?」
「……そうですね。では、詳しい話を聞かせてもらえませんか?」
「私が不利益を被る可能性が高い話に乗る、利益を懇切丁寧に説明していただきたい」
リジェクトは待っていたと言わんばかりに、静かに、そして尊大に口を開いた。
「……アリツィード鉱山」
公爵の手がぴくりと反応した。
「聖女の事件で、あなたが失った鉱山です」
「確か公爵家の総資産の二割程度を支えていた、重要な鉱山だとか」
「……どこからその情報を?」
公爵の黄金色の目がリジェクトを睨みつけた。リジェクトを警戒し、なめるような目つきで見る。
「資金の流れを見れば明白ですよ」
「頭がいいようで。どこで勉強をなさったのですか?」
公爵は
「さあ? 僕の天性がこれだったようで」
リジェクトは人差し指を頭に指した。
「……そうですか。それで、教会の闇を暴いて鉱山の権利を取り戻せると言いたいのですか?」
「はい。それと、令嬢の信用回復も」
公爵の眉がぴくりと反応する。リジェクトは一花を横目に見た。
「令嬢と結婚をするという約束を先日のパーティでいたしました。僕は公爵家の支援を受けたいんです」
公爵は目を見開いた。そして、一花を鋭い視線で睨む。しかし一花は一切身じろぎせずに手をふとももに置いていた。
「……なるほど、話はわかりました。ですがそれは、現状夢物語でしかありません。私があなたたちに力を貸して、被る不利益のほうが大きいです」
「僕たちが失敗しようとも、あなたに損害は出ないようにいたします。いくらでも理由付けは出来ますから」
「王室の権力を使われ、認証せざるを得なかったとか、独断で水面下に行動されたとかね……」
「なんなら、僕を処刑してもいいんですよ?」
リジェクトはくすくすと笑う。腹の中が読めなかった。
「…………」
(鷹の爪を隠していたか)
(……面白い)
公爵は顔を下に向け、しばらくしたあと顔をあげた。
「わかりました。協力しましょう」
その言葉を聞いてリジェクトは笑みを浮かべ、一花を見る。
「ですが、条件があります」
「期間は一年です。もし失敗した場合は第二王子様に責任を負ってもらうことにします」
「そして……」
「バレッタ」
公爵は一花を見る。
「同様に失敗したとき、お前を処刑する」
公爵は冷ややかにそう言い放った。そこには、邪魔者を消せる大義ができたと、内心喜んでいる姿があった。
それを聞いたリジェクトは目を見開く。
(自分の子供にここまでするのか……?)
せいぜい修道院に送る程度だと思っていたリジェクトは冷や汗を浮かべる。公爵のバレッタをみる目はどこまでも冷たく、軽蔑に塗れていた。
それでも、一花はまっすぐと公爵を見つめていた。公爵はそれに若干たじろぐ。
(……一年以内……義務の失敗は、葉山の失敗と同じ……責任をとって、死ぬ義務がある……)
「わかりました」
リジェクトはさらに目を見開いた。
一花の手が雪のように冷たくなっていたことは、彼にはわからなかった。
公爵はしばらく静止したものの、ふーっとため息をついた。
「取引成立ですね」
「ですが……」
公爵は一花を一瞥する。
「最後に、第二王子様に重要なお話があります」
「バレッタ、お前は外に出ていろ」
「はい」
一花は静かに立ち上がり、ドアから出ていった。
「……それで、お話とは」
リジェクトは怪訝そうな、だけれどもそれを隠した作り笑いを浮かべた。
「忠告しておきます。あれに、情を持たないことですね」
「……あれって、バレッタ嬢のことですか? それまたなぜですか?」
「あれは魔女です。欲望に身を委ね、人を破滅へと導く、そんな存在です。あれはその血を受け継いでいるのです」
「……何を言いたいのか話が見えません。あいにく僕は論拠のないものは信じない性分ですので」
「……まあ構いません。いずれわかる話ですから」
「あなたはこの世界に情を持ち込みすぎてると見受けられましたので、忠告をしただけです」
「……そんなことはありませんよ」
リジェクトは眉をぴくりと動かす。公爵は目を細めた。
「……いつかそれが、自分を追い詰めることをお忘れなく」
「話は以上です」
公爵に催促され、リジェクトは立ち上がり、ドアから出ていった。厳重に閉められた木製のドアの先には、一花が立っている。
「……戻りましょうか」
「はい」
作り笑いを浮かべるリジェクトに、にこにこと一花は笑みを浮かべる。その様子に、リジェクトは拳を握った。
公爵家の誰もいない廊下。夕日が沈み、窓の外には紫色の景色が広がっていた。
歩いているとき、ぽつりとリジェクトが口にする。
「……絶対に、そうならないよう説得はしますので」
リジェクトは笑みを浮かべて答えた。一花は思わず口を開けて、リジェクトを見る。
一花は、リジェクトの横顔を見続けていた。
(説得……?)
一花には、彼の言っていることが理解できなかった。
義務を果たすことが彼女の存在意義。義務を果たせず死ぬことは、存在意義の否定。彼女にとって死ぬことは何ら不自然なことではなかった。
(……変なひと……)
ドレスのカサカサと乾いた音が鳴る。スカートの宝石がまだ沈みきっていない夕日にキラキラと輝いていた。




