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第3話 別の意味に聞こえただけ

 カエルのぬいぐるみに憑いた霊は案の定あっという間に祓うことができ、依頼人には大層感謝された。

 怖がりのため夜中に小さな物音を立てられるだけでも寝付けなくなり、連日寝不足だったそうだ。


 第三者から見ればそうでなくても、本人にとっては大きな悩みを解決してあげられるのは僕としてもやはり嬉しい。

 そこで僕の悩みを決してくれる人も現れてくれないかなぁ、などと思ってしまうのはどストレートな現実逃避だった。


(カミングアウトが成功したのは良いけど、やっぱり隠し事がある状況は据え置きになっちゃったな……)


 困った。

 人を好きになった経験はあるが、意図的に諦めた経験はない。

 諦めるためにはまず好きな気持ちを封じ込めることから始めるべきだろうか。

 すでに現段階で『どうやるんだ?』状態だが、とりあえず意識して試してみよう。


 そう深呼吸して事務所内に入ると突然ケイが満面の笑みで僕を迎えた。

 開始一秒で白旗を上げたくなる。自覚してから弱すぎだ。


「おはよう! ほらほら、こっち来て!」

「お、おはようございます。どうしました?」


 ケイは僕の腕を引っ張っていく。軽率な接触は控えてほしいが嬉しい。

 ……やっぱり封じ込めるなんて無理じゃないか?


「布伏さん、ぬいぐるみが苦手だけど克服したいんでしょ?」

「ええ、そりゃあもう」

「そこで私も考えたのよ、身近なものに似たぬいぐるみから少しずつ慣れていくのはどうかな~って」

「身近なもの……ですか?」


 首を傾げているとケイはガサガサと小さな紙袋を取り出した。


「……というわけで、作ってみたの」

「作ってみたの!?」

「ふふふ、ぬいぐるみクリエイター花槻ケイの最新作よ。布伏さんにプレゼント!」


 ぬいぐるみだ。

 中身はぬいぐるみだ。

 しかし本心を言うなら普通に欲しい。なにせ好きな人の手作りの品だ。


 そもそも身近なものってなんなんだろう?

 ケイのぬいぐるみ……はさすがにないだろう、もし僕のぬいぐるみだったらちょっと別の意味で複雑な気持ちになりそうだ。

 そんな迷いはさておき、気遣いに感謝しながら恐る恐る紙袋を受け取る。


 中に入っていたのは、小さな犬のぬいぐるみだった。

 目元にブチ模様のある雑種犬だ。尻尾はくるんと巻いている。

 僕がそれをそうっと手の平に乗せているのを見てケイはにっこりと笑った。


「机の写真立てに犬の写真が入ってたでしょ、飼い犬なのかなって思って」

「……」

「あッ、も、もしかして嫌だった? というかこれって無断使用したことになるか。あっちゃー……サプライズにしたいからって事前確認を怠ったわ。クリエイターにあるまじき失態……!」

「そ、そうではなくて」


 我に返り、はっとした僕はケイに向かって首を横に振る。


「あの子はマシュまるっていうんです、尻尾がふわふわだったんで」

「あら、可愛い名前」

「でも、ええと……マシュ丸は去年死んだんです。……怖いというより懐かしくて、人形にこんな気持ちを抱けたのは久しぶりですよ」


 ――マシュ丸は家から連れてきた雑種犬だった。

 いつも共に寝起きし、僕が悪夢を見て怯えていたら寄り添ってくれる優しい子だ。

 独り立ちした時も金銭に余裕はなかったけれど、癒しがないとやってられないと考えて両親と話し合った上で連れてきたのだ。

 普段は事務所の隣にある準備室で暮らしていた。散歩も楽しかった。


 しかし去年の春頃に体を患い、入院もさせたがあっという間に亡くなってしまった。先天性の病だが初期の段階では症状もなくわかりにくいものだったらしい。

 環境の変化が原因ではなかったのは救いだったけれど、やっぱりすぐに気づいてあげられなかったのは悔しかった。たくさん後悔した。


「早く生まれ変われることを祈ってたからですかね、霊としても見かけなかったんで良かったと思う反面、寂しくもあったんで……なんだかもう一度会えたみたいで嬉しいです」

「布伏さん……じゃあその子のこと、大切にしてね。布伏さんの幸せを願って作ったから!」

「ありがとうございます、大切にします」


 ぬいぐるみに触れた指先から広がる恐怖はある。

 しかしケイが作ってくれたこと、マシュ丸を模っていることは思いのほか効いた。


 それを実感しながら思う。

 やっぱり諦めるのは無理じゃないかこれ? と。


     ***


 その依頼が舞い込んだのはそれから一ヶ月ほど経ってからだった。


 どうやら猫探しの依頼者が困っている友人にうちを紹介してくれたらしい。

 人の繋がりとは不思議なものだ。


 曰く、とある心霊スポットに肝試しに行ってから友人のひとりが行方不明になってしまったという。

 失踪する直前に電話で「帰る」とだけ言っていた。

 なんとなく「それは家じゃなくてあの心霊スポットな気がして……」と依頼人は落ち込み、そのスポットの確認をしてきてほしいと言う。


 なんとなくそんな気がするというだけで再び心霊スポットに赴くのは怖いだろう。

 だから依頼に至る気持ちもわかる。

 よって、その依頼を受けた僕とケイは件の心霊スポット――他県にある廃ビルを訪れていた。


 幸いにも管理会社は健在で、事前に中に入る許可も得ることができた。

 この辺りは可能な限りしっかりとしておかないと商売にならない、とケイに語ると真剣な顔でメモしていたので、にやけそうになる自分の頬をつねっておく。

 まったく、油断も隙もない。


 廃ビルの廊下を歩きながらケイは辺りを見回した。


「それにしても雰囲気あるわね……怖くはないけど」

「怖くないんですか?」

「出会った時もソロだったでしょ。ひとりで色んな心霊スポットを行脚してたから慣れちゃったの」


 ……ケイの目標は未だに知らない。

 なんとなく訊ねるのが憚られたのだ。訊くタイミングを逃したともいう。

 しかし、この流れなら訊ねられるだろうか。


 そう口を開きかけたところで、廊下の奥から気配がした。


 落描きだらけの壁に黒い人型のシルエットが見える。

 目を凝らしてみればそれは本当に人間の後ろ姿だった。

 失踪した人物の特徴として聞いていたニット帽を被っているのを確認し、声をかけようとしたところで――その男性がこちらを向く。


 目が、右と左を同時に見ている。

 口は憤怒しているかのように引き結ばれ、山のようになった上唇に押し上げられた鼻には無数のしわが刻まれていた。

 だというのに眉は力なく下がっており、顔は土気色をしている。


 一目で異常だとわかるのに姿勢だけは常人のそれで、まるで弾かれたように走り出すと一瞬で僕の目の前に迫った。


「ッ……こ、の野郎!」


 思わず声が出る。

 ケイの前では汚い言葉を使わないようにしていたのに最悪だ。


 その気持ちをぬいぐるみに込めてぶつけようとしたが、男性はがくんっと脱力して避けると今度はケイに向かっていった。まるで操り人形のような動きだ。

 ケイの腕を引き、距離を取るべく手近な部屋へと入ろうとしたが――ドアノブが動かない。


 直感でわかった。

 これは劣化や建付けの問題ではなく、この男性の中にいる『なにか』の仕業だ。


「久しぶりに厄介な相手ですね……!」

「えっ、なに、もしかして閉じ込められたの!?」

「ケイも感じましたか。そのまさかです」


 これだけ強い力を持っているとなると分が悪い。

 少し作戦を練ったほうが良さそうだ。


 男性が再び迫ってくる前にケイの手を引き、距離を稼ぐべく二階へと向かう。

 昼だというのに暗い室内は懐中電灯無しではちょっとした瓦礫であったとしても躓いてしまいそうなほどだった。


 一ヵ所だけ初めからドアの壊れている部屋を見つけた僕はそこへ飛び込む。


「霊は憑りついた人間を再びここへ呼び寄せて餓死させていたみたいですね」


 十年前、このビルでホームレスが餓死した。

 それが心霊スポットとして扱われるようになった理由であり、そして拍車をかけたのが数年おきに年齢も性別も出身地も異なる餓死者がここで見つかったことだ。


 事件が続いた影響か、来年には本格的に取り壊されることになっている。

 その原因があの霊だったわけだ。


「道連れタイプはしつこい上に犠牲者が多いほど力が増しています。……予想はできたのに見誤りました。巻き込んですみません」

「いや、留守番しててって言われても無理やりついてっただろうし気にしないでよ」

「あっけらかんと……!」


 それより、とケイは僕を見上げる。


「あれって肉体に入ってるから壁を透けてきたりしないのよね? ここに罠でも張って待ち構えちゃう?」

「強かですね……ええ、そのつもりでした。出入口を見張る形でぬいぐるみたちを配置します」


 ケイは存外除霊師に向いているのかもしれない。

 彼女にこれだけ覚悟があるなら僕も応えなくては。


 ぬいぐるみを部屋に散開させ、壊れたドアを見張らせる。

 一斉にこれだけ動かすのは消耗が激しいが致し方ない。あと視覚的にとてつもなく怖い光景になるが、背に腹は代えられないだろう。


 しばらく待っていると周囲の空気がズンと重くなった。

 威圧感というより眠気を誘うタイプの圧だ。

 このまま瞼を下げればくっついたまま開けられなくなり、胡乱な意識のまま眠りに落ちることは目に見えていた。


「眠気で判断力を鈍らせるつもりみたいですね。小癪な……」

「眠いけど眠っちゃダメなんて、室内なのに雪山で遭難してるみたいね」


 ケイは頭を何度か振り、そして僕の袖を掴むと「で、じつは」と苦笑いした。


「昨晩、深夜番組を見てて夜更かしをしたせいかめちゃくちゃ効いてるの……」

「仕事の前日になにをしてるんです!?」

「昼間なら大丈夫なレベルだったのよ、ごめん!」


 見咎められるほど過度に夜更かしをしていたわけではないらしい。

 それでもわざわざ口にしたのは罪悪感があるのと、なにか喋っていないと起きていられないからだろうか。


 僕はしばし考え、そしてケイをちらりと見て言った。


「……なら、寝ないように話をしてもらえますか」

「話? うんうん、する」

「ケイの目標っていうのは一体なんなんです?」


 ――訊ねるならここしかないと思った。

 少しズルいが、もし話したくないならはぐらかすのも頭を使うので眠気に抗う一手になる。

 ただちょっと嫌われちゃうかもな、と思っているとケイは迷いなく話し始めた。


「私、子供の頃から人形を作るのが好きだったの」

「……ハイスペックですね」

「あはは、始めた頃は簡単なものばかりだったけどね。……それで、初めて作った女の子の人形を学校に持ってったんだけど、いじめっ子に取られちゃって」


 当時はまだここまで活発な性格ではなかったケイはなかなか返してと言えなかったという。

 そしてようやく勇気を出していじめっ子に直談判に行ったが、そこでとんでもないことを言い返された。

 なんと当時流行っていた『ひとりかくれんぼ』にぬいぐるみを使用したらどこかへ消えてしまったのだという。


 ひとりかくれんぼとは人形を使った呪術めいた遊びだ。


 僕たち除霊師の間でも一般人が行なうにはちょっと危険な儀式かも、と話題に上っていた。それを子供が見様見真似で行なうなんて恐ろしい。

 ケイは眉根を寄せる。


「そこでね、思ったの。きっとぬいぐるみは悪霊に取られたに違いない! 探してあげなきゃ! って。そこで探すには除霊師になって色んな霊に接する機会を増やすべきだと考えて、色々と調べ回ったのよ」

「いやほんとハイスペックですね」


 普通は思いついても実行できないだろう。


「で、一念発起して除霊師を目指したんだけど、どうしてもなり方がわからなくって心霊スポット行脚をしてたってわけ。趣味の人形作りをしながら。ウチってそこそこ裕福だから今までのお小遣いも全部貯金してあったし、人形の売り上げもあったから色んなところへ行けたわ」

「ハイスペックでアグレッシブですね」


 そこで布伏さんに出会ったの、とケイは微笑む。

 話している間はずっと険しい表情だったが、その瞬間だけ目つきが柔らかくなり、ついつい見入ってしまった。

 警戒しなきゃいけない状況なのにとんでもないことだが仕方ない。


「こういうのって最初に話しておくべきだったんだろうけど、ごめんね、怒られるかなと思って」

「ああ……確かにひとりでそういう場所を歩き回るのは感心しませんね。霊だけでなく生身の人間がいても危ないですし」

「だよね……」

「あの時に出会えて良かったですよ」


 そう思ったままを言うとケイが固まった。

 目線がこちらに向いた気配がしたが、すぐに下を向いてしまう。


「な、なんです?」

「いやその、別の意味に聞こえただけ」

「別の? ……!」


 その時だ。

 出入口の向こうから足音がした。


 ついに来たらしい。圧迫感も強まり、もはや蛇の腹の中にでもいるかのようだ。

 僕は呼吸を整えてケイを守るように立ちながら出入口を警戒する。

 そして――男性が部屋へと入ってくるなり、待機させていたぬいぐるみを一斉にけしかけた。


 人間の肉体から追い出す念をこれでもかと込めたぬいぐるみたちだ。

 話し合いを目的としていないので、相手に与える衝撃は相当のものになるはず。


 全身に群がられた男性はたたらを踏んだが、そのまま前へと進む。


 ――それがまるでこちらへ向かってくるぬいぐるみの塊に見えてしまい、一瞬怖気づいた。失敗だ。自分の作り出したものに怯えてどうする。

 そう喝を入れながら気を取り直したが、ニット帽に縋りついていたぬいぐるみが帽子ごと落ちてしまった。


 顔が露になる。

 少し前まで左右を向いていた目は、両眼とも僕を見ていた。


 そんな目と視線が合った瞬間のことだ。

 男性は限界まで首を伸ばして僕に近寄る。首の関節がゴキゴキと鳴る音が鮮明に聞こえるほど間近だ。


「布伏さん!」


 切羽詰まったケイの声が聞こえたと同時に、霊が僕の肉体を奪おうとしていることに気がついた。

 次の犠牲者に決めたわけだ。

 視線を媒介にこちらの頭の中へなにかがずるりと入ってくる。

 その感覚はトラウマの記憶――かつて、ぬいぐるみに取り憑いていた悪霊が体の中に入ってきた時の感覚とそっくりだった。


 吐き気がする。

 憑依のせいなのかトラウマのせいなのかもうわからない。

 僕の制御下から外れたぬいぐるみたちがバラバラと床に散らばる。ケイの声が遠い。このままでは全て僕の中に入ってしまう。


 そう思った時、犬の吠える声がした。


「マ、マシュ丸……」


 ケイが作ったマシュ丸のぬいぐるみだ。

 実戦には投入せず、カバンの中に潜ませていた。つまり御守り代わりだった。


 そんなマシュ丸のぬいぐるみが吠えながら悪霊に体当たりをする。


 悪霊はその衝撃で僕の中から引き抜かれ、所在なさげに漂い始めた。

 再び僕へ入ろうと機会を窺っているが、唸り続けるマシュ丸に怯えているようだ。


 咳き込みながらそれを確認し、僕は最後の力を振り絞ってぬいぐるみを操った。

 悪霊は今もまだほとんど肉体の外に出ている。

 今なら肉体の中に潜んでいた時よりもダイレクトにぶつけることができるはず。


 精神を掻き回されたせいで視界が歪む。

 ぬいぐるみたちがちゃんと当たったかどうかさえ確認できない。

 ついに立っていられなくなり、意識を手放した瞬間――マシュ丸のぬいぐるみに重なって、本物のマシュ丸の姿が見えた気がした。

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