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チャプター1 ⑧

「――帰れないよ?」


 鈴の裏拳を顔面に受けたとあって、片頬が蜂刺されみたいに赤く腫れあがった安倍。


「え……?」


 彼が発した衝撃の一言に、俺は言葉が出てこない。

 ここは取調室(とりしらべしつ)。清潔感のある白い壁と床。長机を挟んでパイプ椅子が二つ。壁の一面には横に大きな鏡が取り付けられている。


 元の世界へ戻る(すべ)を聞き出すべく、俺が安倍と向かい合って座り、鈴とニコラス署長とアクアは大きな鏡=マジックミラーの向こう側――隣室で様子見という構図だ。極力会話に集中したいので、少しの間安倍と一対一で話させてほしいと言ったら許可してくれた。


「い、今、なんつった?」


 俺は動揺を隠せない。


「帰れないって言ったんだよお巡りさん。まさかあのタイミングで、僕と同じ映画を見ていた

奴がいるとは思わなかったよ。残念だけど、一生ここで暮らしてもらうしかないね。僕はそのつもりでこっち(、、、)へ来たんだ。ククク」


 サイド分けの銀髪に一重の目。鼻筋は外人のように高く、腫れさえ治ればイケメンな安倍が、静かに笑う。全体的に整った顔立ちだけ見ると、とても詐欺や《殺人(コロシ)》の常習犯とは思えないが、その実態は、他人への共感能力が無い悪党(サイコパス)だ。


「か、帰れないだなんて、そんな嘘、通じると思うなよ? お前がやったことじゃないか」


 俺よ、気をしっかり持つんだ。

 俺の精神は、こんな奴に後れを取るほど(やわ)じゃないぞ。


「真面目に答えないと、痛い目を見るぞ?」


 俺は語気を強めるが、安倍は動じない。


「ここから出たいなら、エンディングを迎える(、、、、、、、、、、)以外に方法はない。けどそれは叶わない。なぜなら、僕がもっと強力な意志能力(フォース・オブ・ウィル)を手に入れて、この映画の主人公を始末するからさ」


 安倍は俺を見下すように顔を仰け反らせ、ニタリと笑う。


「そうすればこの映画は成り立たず、話が進まない。つまりエンディングが無くなるんだ。だから帰れなくなるわけ。僕はこっちの世界に永住したいんだ。嘘じゃない。だって、あんな夢も希望もない現実世界にいたら、生き殺しにされるようなものじゃないか」

「エンディング? 始末する? なにを言ってるんだ? 真面目に答えろって! お前なんかに鈴がやられるわけがない!」


 この状況でも、まだ自分が有利だとでも言わんばかりに、安倍は俺に仔細(しさい)を話す。


「今はまだ無理ってだけの話さ。勘付いてるかもしれないけど、僕がここへ来るのに使ったのは、この映画でおなじみの意志能力(フォース・オブ・ウィル)だ。でも、完全なものじゃない。意志能力(フォース・オブ・ウィル)には進化性(しんかせい)ってステータスがあるのは知ってるだろう? 僕の能力はまだまだ進化する。だから今後、進化した能力によっては、あんただけ元の世界へ帰してやれるかもしれない」


 俺は耳を疑った。安倍の言うことを信じるなら、意志能力(フォース・オブ・ウィル)はフィクションだけの話じゃないってことだ。


意志能力(フォース・オブ・ウィル)が、げ、現実の世界に、実際に存在してるっていうのか⁉」

「無知な奴はほんと、見ていて滑稽だな。これまであんたらが見つけた死体あるだろ? あれこそ能力が実在する証拠だよ」


 安倍がアパートで見せた、映画の世界に入る現象。あれは、意志能力(フォース・オブ・ウィル)が実在でもしていない限り、説明がつかない。

 わかってはいるが、いざ面と向かって実在すると言われても、すんなり受け入れられない。


 俺にとって、映画は非日常感を与えてくれる娯楽であり、支えでもある。けれどもそれは、俺の根っこが現実主義だからこそ、より深く響いている節がある。

 フィクションとノンフィクションの区別がつかなくなるということは、フィクションならではのわくわく感が薄れることを意味する。俺はそれを、虚しいものに感じてしまうのだ。


「あの死体はね、僕と一緒に映画を見た奴をテレビ画面に半分入らせて、そこで時間切れで出入口が閉じたらどうなるか試したんだよ。結果は見たとおり、真っ二つさ。そうやって実験と練習を重ねるうちに、能力が少しずつ進化して、性能が上がった。まだ発展途上とはいえ、結構苦労したんだぜ?」


 ニタニタ笑う安倍は俺の問いに否定をせず、手錠の()められた両手をテーブルの上で(もてあそ)びながら、自分の犯した罪を遊びの一つみたいに話した。


「取引といこう。ここから僕を逃がせ。ここに閉じ込められていたんじゃ、僕の能力はいつ進化できるかわからない。僕を逃がして、僕の能力があんたの都合に()う形で進化することを祈れ。進化できた暁には、鈴の奴を始末する前に、あんたの要望を叶えてやってもいい。そうなれば、あんたは元の世界へ戻れて、僕はこっちに留まることができるだろう?」 

「俺がそんな取引に応じると思うのか⁉ 自分の立場を(わきま)えろ!」

「真面目なお巡りさんならそう言うと思ったよ。まぁいいさ。いずれは出られることだし」


 この舐め腐った態度、腹立つ野郎だ。


「この映画の物語を最後まで進ませることができれば、本当に帰れるんだろうな?」


 安倍の無事なもう片方の頬に腫れを作ってやりたい気持ちを抑え、そう聞いた。


「これまでの実験で何度も試したから間違いない。僕たちがこの世界のどこで何をしていようと、映画のラストシーンが終わった瞬間、強制的に現実の世界に戻される。元居た場所にね」


 と、得意げに安倍。

 そうなると、すぐに現実世界に戻るというのは無理みたいだ。


「お前が何を企んでるか知らないけどな、俺が必ず、この映画を終わりまで進めてやる! そしてあのアパートに戻って、お前を改めて逮捕する!」

「いいねぇ、その挑戦的な目。覚えておくよ。いずれ決着がつくだろうから、それまでお互いにこの世界を楽しもうじゃないか。あんたの負け顔をちゃんと見たいから、それまではくたばらないでいてくれよ? この世界で死んだら、現実世界で死んだのと同じだからね?」

「鈴が言ってたが、お前はこのあと薬物検査を受け、その結果が出るまで身柄を勾留されることになっている。結果が出るまでに四日。もし陽性であればそのまま逮捕。裁判をやって判決が出るまで万世橋署(ここ)の留置室で過ごすことになるそうだ。これ以上、状況を悪くしたくなければ、妙な真似はしない方が身のためだぞ?」


 意志能力(フォース・オブ・ウィル)が実在するって話と、帰れないという事実に気圧され気味だった俺は、態度を改めて釘を刺した。


「あんたも、自分の身元が証明できない今の状況、なんとかした方がいいと思うけどね?」


 安倍の言葉に何も返せず、俺はとうとう汗だくになって部屋を出た。一度にいろいろな事が起こり過ぎて、正直パニックになりそうだった。


   ★


「お前の顔と名前を役所のデータと照合したが、すべての国でヒットしなかったのはどういうことだ?」

「今朝はなんで天井から降ってきたの?」


 署長と鈴が詰め寄ってくる。今度は俺が取り調べを受けてるみたいな構図になっていた。

 アクアの水色の糸がまた俺のおでこに引っ付いてる。ちょっとひんやりしてくすぐったい。


「全世界の住人データに俺の情報が登録されてないですって? そりゃそうですよ、別の世界から来たんだから! 天井から降ってきたのがまさに証拠! なんの前触れもなく、人が天井から現れるなんてあり得ないでしょ⁉ 【ジャンパー】じゃないんだから! 何なら俺も薬物検査します? 至って頭は正常ですけど、結果が出るまでここに閉じ込めますか?」


 皮肉交じりに弁明する俺を、署長は訝しげに、鈴は困り眉で見つめる。


「そんなにこの世界が映画だと言うなら、証拠を見せてみろ。それができたら信用して、元の世界へ帰れるようになるまで、この万世橋署で雑用をさせてやらんこともない。警察官としての技能は持っとるようだし、雑用係が嫌なら採用試験を受けさせてやってもいい」


 お、署長から耳寄りな発言があったぞ?


「なら、署長の身の上話をしましょうか? 映画の設定資料も読んだので、いろんな裏話を知ってますよ?」

「な⁉ わ、わしの何をお前が知っとるというんだ⁉」


 ここで署長が額に汗を浮かべ、狼狽えたような表情を見せる。

 鈴への気心(きごころ)がバレそうなときとか、別に(やま)しいことなんて何もしてないのに、劇中で時々見せるこの様子がかわいいって、ネットでコメントが付いてたっけ。


「あなたはいつも鈴をしかりつけてますが、実は誰よりも彼女のことを気にかけて、見守ってますよね? 親友にした約束を果たすために」


 署長の口が『あわわわ』と歪む。


「でもあなたはツンデレな性格だから、誰にもそれを打ち明けたことはない。あなたのようなキャラクターは、僕たちファンの間で大人気です」

「な、なな、なにを根拠にそんなデタラメを言うか! わしはこの街を守るために身を尽くしているだけであってだな――」

「あと、奥さんの誕生日プレゼントを買うために内緒でへそくりを貯めてましたよね? 以前、奥さんの手料理を食べに、久々に鈴があなたの家を訪れたとき、鈴にへそくりの封筒を見られて、外部に漏らすなと口止めしたことも知ってます!」


 俺の(げん)を聞いた途端、署長は血相を変えて鈴を振り向き、


「だ、誰にも言わない約束だったろうに!」

「誰にも言ってないわよ!」

「じゃあなんでスレタが知っとるんだ⁉」

「わかんないわよ!」


 二人でガミガミ言い始める。


「――ほんとうなんだね。こことは違う世界があるなんて、なんだか複雑な気分。わたし達はつくりもの(、、、、、)ってことでしょう?」


 と、アクアがどこか元気の無い声で言った。


「それを言うなら、俺も含め、誰だって神様の作り物だよ。違いは無いさ。君は俺の前に実際にこうして居るわけだし、会話もしてる。これはつまり、キャラクターにもちゃんと命が宿ってるってことだと思うんだ。大勢のスタッフとファンの愛情が注がれた映画だからな!」

「わたしも、人気あるの?」

「もちろん! 君のフィギュアは新作が出る度に即売り切れて、オークションでプレミアがつくくらい人気だよ! 人気キャラランキングでも上位の常連!」


 現実世界での評価を映画の中でキャラクター本人に話すなんて経験初めてだから、話していいものかよくわからんけど、アクアの表情がぱぁっと明るくなったので良しとしよう。


「そうなんだ! 複雑だけど、でもうれしい!」


 アクアは署長と鈴の方へ飛んでいくと、二人を宥めつつ聞いた。


「栄治を信じてあげようよ! 彼の左目の能力も気になるし、ここにいてもらった方がいいと思う! 採用試験を受けさせてみたらどう?」


 見た目が小さくて愛着のあるアクアだからか、タメ口を利く態度にもかかわらずニコラス署長は甘く、


「ええい! お前が新東京都の街を守るに足る人間か見てやる! 不適格なら即刻雑用専門にしてやるからそのつもりでいろ! おい、ピッグズ! この命知らずの新入りを見てやれ!」


 と、俺に採用試験を受けるチャンスをくれたのだった。


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