チャプター1 ⑥
同時に奇妙なことが起きた。俺が左目で観ている世界――その動きが、|ゆっくり(、、、、)になった!
凄まじい速度で攻防を繰り広げていた鈴と木の巨人の挙動を、今は全部鮮明に捉えることができる。
鈴の右手側から木の根が襲い掛かる。だが彼女は左上方から振り下ろされた別の木の根に対応中で気付いていない。あのままでは喰らってしまう!
すべてがスローに見える今こそ、彼女を助けるんだ!
俺は目眩の不快さに耐えながら、鈴の身体を自分の方へ引き寄せる。今の俺は超高速で脳や神経が働き、思考と反応の速度が増している状態と言える。
俺が鈴を引き寄せた瞬間、世界の動きが通常に戻り、たった今鈴の顔があった場所を木の巨人の根っこが空振る。
俺は鈴を引っ張り寄せた勢いのまま横っ飛びに身を投げ、追撃を避けるべく距離を取る。
今の一撃こそ、鈴に一生残る傷を負わせるものだった。
木の巨人の足は文字通り木の根っこ。つまり人間みたいに速く走ったりできない。だから奴の攻撃範囲から出てしまえば時間が稼げる。
「大丈夫か⁉」
「――うん、礼を言うわ。今の動き、あんたの能力?」
不覚を取ったのが恥ずかしいのか、俺の腕の中で頬を赤らめる鈴。
「あ、ああ、そうさ」
理屈はわからんが、どうやら俺にも何らかの能力が発現していると考えるのが妥当だ。
「わたしのスピードでも遅れちゃったのに、やるわね!」
眉を開いた鈴と共に、俺は木の巨人と睨み合う。
「それなりに動ける野郎を相棒につけたらしいが、オレ様が勝つことに変わりはねぇ。まとめ
てぶっ潰してやる!」
と、木の巨人は無数に生やした木の根をくねらせ、数多の方向から攻撃するべく構える。
俺は右目を瞑って、視界を左目だけに限定。どうにか目眩を抑える。
俺がいることで鈴の足を引っ張ってしまっている分、俺がこの左目の能力で鈴をカバーすれば善戦できるはずだ。
「わたしがあいつの攻撃を弾くから、あんたは不意打ちに警戒して」
鈴は耳打ちして、俺の肩に触れる。すると、俺の肩から全身にかけてが銀色をした膜で覆われ、次の瞬間にはそれが透明になり、服や肌に馴染んた。
これは、鈴の意志能力=【|わたしの信念は揺るがない《アイアン・フィスト》】によって、俺の身体の表面がコーティングされた状態。
鈴の能力ならではの、身体の動きに合わせて伸縮する特殊な金属の膜で、身体の表面を覆って防御力を高めたわけだ。
「くたばりやがれぇええええええええええ!」
木の巨人は言うが早いか、木の根をかなりの速度で一斉に伸ばしてきた。
「どりゃあああああああ!」
気迫と共に、鈴が銀に光る拳を打ちまくる。
鈴の拳の一撃は砲弾並みの威力を誇る。故に一発撃つごとに衝撃でコーティングが剥がれるから、その都度再コーティングを掛けており、鈴が打撃のラッシュを打つと、拳が銀に光って見える。
拳と根がぶつかり合い、激しい熱波が巻き起こる。ビリビリとした衝撃が地から伝わり、膨
大な運動エネルギーが絶えず生じて暴れまわる。
俺の左目が捉える視界が再びスローになる。この現象は俺の任意ではなく、自動的に発動するようだ。
まさに今、鈴の足元から木の根が飛び出したところだった。鈴の足を狙っているらしい根が、
ゆっくりと伸びていく。
俺はすかさずその根っこに飛び掛かり、鈴の足に絡みつく前に捕まえる――はずが、俺の方が捕まった。途端、《スロー再生》も解除。
「うわああああああ!」
しまった! 今度は俺が悲鳴を上げることに!
「っ⁉」
俺の悲鳴に思わず振り向いた鈴を、木の根がここぞとばかりに多方から襲う。
「――くっ⁉」
銀の拳や蹴りで次々に迎撃する鈴も、全部は捌き切れず、とうとう手足を縛られてしまう。
「ゲハハハハハハ! オレ様の力を見たかぁ!」
木の巨人が勝ち誇ったようにゲラゲラ笑う。
くそ! このままじゃ鈴も俺もやられてしまう!
俺はこの映画本来の展開を思い出す。
確か、鈴を縛り上げた木の巨人は、これで念願だったお礼参りを果たせると慢心し、鈴の身体の特徴をバカにするひどい発言をするんだ。
胸についての。
だが、俺が介入していることで会話が変化してしまい、なかなか本来の台詞を言わない。誘
導しなくては! 鈴には悪いが、奴が台詞を言うよう仕向けなければ!
「済まない、俺はもうここまでらしい。残念だよ。きみのそのスレンダーなボディがもう見られなくなるなんて、残念の極みだ。きみのその、滑らかな|胸(、)とかもう、たまらなく最高なのに」
「この状況でいきなり何言い出すのよ⁉」
と、鈴が青ざめた表情で俺を見る。うん、絶対引かれてる。
「なぁジャンベリク、お前も考え直さないか? こんなスタイルのいいナイスバディな女性警官なんてそういないぞ? 特に、その……|胸(、)とかどうだ? 魅力的じゃないか?」
俺は鈴のドン引きの視線に耐えつつ、木の巨人に問う。
「何言ってやがる? こんな貧乳のまな板娘なんざ、オレ様にはただのサンドバックでしかねぇぜ!」
よし。作戦通り、奴にそれらしい台詞を言わせたぞ。
俺は鈴の方をチラ見する。鈴の目元に漆黒の影が差している。俺の左目に、『ゴゴゴゴゴ』と
いう擬容語が映る。
「今、なんて言った?」
と、鈴から漂うただならぬ殺気に、俺は歓喜しつつもぞくっとする。
「てめぇの胸は貧乳だって言ったんだぜぇ? 平らだよ! クソ平らぁ!」
「…………」
「おい、黙りこくってどうした? オレ様に敵わないのがわかって怖気づいたのか? お礼参
りはこれからなんだぜぇ? 存分に楽しませてもらうから覚悟しやがれ! ぺちゃパイ女ぁ!」
あの、木の巨人? なにもそこまで言ってほしいわけじゃないんだよ? だってほらもう鈴ったら凄い殺気だよ?
どうしたものかと俺が挙動不審になっていると、
「――す」
鈴が何か呟いた。
「ああ? なんつったんだ?」
自身の豹のような顔を大木の幹に浮かび上がらせたジャンベリクが、木の根で縛り上げた鈴を自身の傍まで引き寄せた。
「――ぶっ飛ばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁすッ‼」
俺が火をつけ、木の巨人のアホが大量の油を注いだ鈴の怒りが超新星爆発。
男の力でもびくともしない太さの根を一瞬で引き千切り、鈴は残存する根の一本を掴んだ。
瞬間、掴んだ木の根が銀色に染まり、その銀色が木の巨人の全身を覆った。
「な、なんだこりゃ⁉ 何をしやがったぁ⁉」
木の巨人が狼狽えたような声を出すが、鈴は答えない。
これは鈴の能力【|わたしの信念は揺るがない《アイアン・フィスト》】の底力。消耗が激しく、日にそう何回も使えないが、最大の意志で繰り出された【コーティング】は、相手の表面を防御するどころかガチガチに堅めて、身動きを封じることができる。犯人確保に向いている能力だ。
「畜生ッ! 放しやがれぇええええええええええ!」
咆哮する木の巨人。
鈴は問答無用とばかりに、目の前にあった木の巨人の顔に、銀に輝く拳を叩き込んだ。
「ぎやああああああああああああああああッ⁉」
鉄で何重にもコーティングされ、堅く威力を増した鈴の打撃を顔面にもらったジャンベリクは、先ほどの威勢が嘘のような悲鳴をあげ、ロケットみたく真上に吹っ飛んだ。
鈴の本気の一撃で、奴の根の拘束が解かれ、俺と鈴は自由の身となる。
「はひぇぇぇ⁉」
と、鈴の殺気に曝された俺が腰を抜かして見つめる先で、鈴は空から降ってくるジャンベリク目掛け、腰だめに構えた両腕を超高速で繰り出す。
「Never! Never! Never!!」
それは、鈴が敵を極限まで懲らしめるときの気迫。
「Never Never Never Never Never Never Never Never Never Never |Neveeeeeeeeeeeeer!!」
木の巨人への変身が解け、青く深い体毛、豹のような顔、筋骨隆々のライオンのような体格
という、本来の【獣人】の姿を現したジャンベリク。
彼は落下と同時に、鈴の打撃の嵐にお出迎えされ、タコ殴りにされていく。両足は一度も着地せず、鈴の打撃で宙に浮かされながら。
連続する重度の衝撃波が大地震の如く道路に亀裂を広げ、周辺の建屋のガラスを砕き、支柱を歪ませ、倒壊させていく。
「FACK OFF!!」
最後にとびきり強い一撃を受け、もはや意識も飛び失せたジャンベリクの巨体が宙を舞い、
路上の瓦礫の山に突っ込んだ。
煮え立った怒りを完全燃焼させ、肩で息をする鈴は、無傷だ。
――やった。どうにかなったな。半径五十メートル圏内の建物、戦いの衝撃波で半分倒壊しちゃったけど。
周囲から駆け付けた警察官たちが、白目を剥いたジャンベリクを拘束する。
俺は車のサイドミラーで左目の状態を見てみたが、特に異常はない。視界も通常だし、動きがゆっくりに見えるでもない。元に戻ったんだ。
推測だが、俺の左目の異能的な現象は、俺が自分に力が欲しいと強く思ったことによって、意志能力が発現したと捉えると、合点がいく。
意志能力には、強い意志を抱いた際に発現するという設定があるんだ。俺が映画の住人という扱いになったとするなら、あり得ないことではないと思われる。
自分の意志で完全にコントロールできないのが難点だが、とりあえず命名しておこう。
視界に表示された文字をそのまま拝借して、【観客視点】と。
「あんた、名前は?」
鈴が聞いてきた。
「栄治。磨田栄治だ」
「鈴よ。よろしくね、栄治」
俺は鈴と拳を突き合わせる。
これは、俺が思ってもみなかった、憧れのキャラクター・鈴との異能アクション。
その、ほんの始まりにすぎなかった。