チャプター1 ⑤
「ついてないわ!」
瓦礫の山を崩して躍り出る、人型のずんぐりとした木を前に、鈴がぼやいた。
あの巨人は、凶暴な性格の《脱走犯》が意志能力で変身した姿。《脱走犯》の名前はジャンベリク・デアリガズ。かつて鈴が刑務所にぶち込んだ、連続強盗犯だ!
これは非常にまずいぞ。
俺はなんてタイミングでこの世界に来ちまったんだ!
「オレ様がこの程度で降参するとでも思ったか! えぇ? 幕明ぇ! てめぇへのお礼参りは、まだ終わっちゃいねぇんだぜぇ⁉」
ズシィン! ズシィン! とコンクリートを踏みしめ、ジャンベリクがこっちへやってくる。
「無駄な抵抗はやめろ! もっとひどい目に遭うぞ⁉」
と、さきほどの野太い声の警官が警告する。あの人は鈴が勤務する万世橋警察署の署長で、
名前はニコラス・ブランカー。鈴の破天荒ぶりを熟知する、もとい頭を抱えている苦労人だ。
「うるせぇブランカァァァ! オレ様の強さはこんなもんじゃねぇ! 幕明の次はてめぇを
血祭にしてやるからそこで待っていやがれぇ!」
対するジャンベリクはまったく従う様子がない。
「危ないから、あんたは下がりなさい。また騒がしくなるわよ」
巨人から目を逸らすことなく、鈴が俺に言った。
援護しろとも、さらに応援を呼べとも言わない。巨人化したジャンベリクの戦闘能力が警官
隊よりも高いことを知っているから、一人で食い止めるつもりなんだ。
これ以上犠牲者を出さないために。
俺はこの映画の展開を知っている。このまま鈴を放っておいても、彼女は勝つ。でも、この
戦闘で鈴は、自分の身体に一生残る傷を負うことになる。
俺の仕事は阿部を捕まえて、元の世界へ連れて帰ることだ。
「…………」
俺の足が、動かない。
何を迷う必要がある? 俺よ。
警察官なら任務を全うするべきだ。警部補から任されたことをやり遂げろ。
ここは鈴に全部任せて、さっきの店の中から安倍を掘り起こして捕まえるんだ。
「お、俺も戦う!」
けど俺は、鈴の隣に立った。
女性が怪我してしまうとわかっているのに、それを放置するなんてこと、俺にはできない。
鈴が負う傷は、映画の今後の展開になにか深刻な影響があるわけじゃない。つまり、俺が介入して、鈴が無傷で勝つように計らってもいいということだ!
多分だけど。
「なにしてるの! 危ないって言ってるでしょ?」
鈴の言に、俺は首を振る。巨人との距離が十メートルまで縮まる。
危険から仲間を守るのも、大事なんだ。
「だ、大丈夫だ。俺も、異能課だから戦えるよ!」
当然、俺に意志能力なんて無いが、思わず勢いでそう言ってしまった。
鈴が目を丸くする。
「あんたも?」
「き、今日から君のところに転属になるんだよ! し、署長が知ってるはずだ」
発言に説得力を持たせるためとはいえ、とんでもない方向に進んでる気がする。
「道理で見ない顔なわけね。――いいわ。あんたの能力はどんなの?」
しまった、その質問が来るか!
「いくぜぇええええええええええ!」
俺が返答に詰まったそのとき、唐突に俺と鈴の足元で亀裂が生じ、ジャンベリクの太い木の根が飛び出してきた。
「離れて!」
鈴は叫ぶと同時、俺を突き飛ばす。そのおかげで木の根を躱した俺は、受け身を取ってすぐさま起き上がる。
だが、俺を庇ったせいで反応に遅れた鈴が木の根に捕まり、身動きを封じられてしまった。
「だ、大丈夫か⁉」
思わす鈴の名前を口にしそうになるが、どうにか堪えた。
「わたしは平気よ! もしできるなら、巨人の本体を攻撃して!」
木の根に持ち上げられた鈴の声が、頭上から響く。
「ジャンベリク! 彼女を放せ!」
俺はホルスターから拳銃を引き抜き、木の巨人目掛けて発砲。
しかし、相手は大木だ。銃弾を受けてもビクともしない。
「この期に及んでまだオレに銃を撃ってくる野郎がいやがるとはなぁ! 学習能力が無ぇのか? ああん?」
ジャンベリクの不敵な笑い声。過去の度重なる強盗行為で、奴は警官から何度も発砲を食ら
うが、その都度ビクともしない巨体で返り討ちにしてきた。
「お前に銃が効かないのは知ってるさ」
俺が銃を撃ったのは、ジャンベリクの意識を俺の方へ逸らすためだ。
俺は頭上を見遣る。ちょうど今、鈴が意志能力を発動し、持ち前の怪力と相まって見事に木の根を引き千切ったところだった。
意志能力は、意志の力に左右される。能力を操る者の意志が他の物事に気を取られれば、その能力自体に揺らぎ(、、、)が生じる。能力の効果が弱まったりするんだ。
ジャンベリクの意識が俺の方に少し逸れて、根っこの力が緩んだとしても、大抵の人間は脱出できない。けど、怪力の鈴となれば話は別。
ジャンベリクは俺の行動に気を取られた。つまり、鈴を木の根で縛り上げるという意志が揺
らいだということ。その隙を見逃す鈴ではない。
この映画を何度も見て、各登場人物の意志能力を把握している俺なら、相手の能力に合わせて立ち回ることで、自分に能力が無くてもどうにか戦えそうだ。
「ナイスよ!」
路上にぴょんと降りた鈴に、俺は映画俳優みたいにかっこよく微笑もうとした。が、瞬間、再び伸びてきた木の根に叩かれ、俺は竹とんぼみたいに横回転して吹っ飛んだ。そして、さきほど背中からぶつかった乗用車の反対側に激突。
「ぶえッ⁉」
衝撃で意識が飛ばなかったのは幸いだが、視界がぐるぐる回り、平衡感覚が麻痺。俺を呼ぶ鈴の声が遠く響いて聞こえる。
すみません調子に乗りました。やっぱり能力無しじゃキツイです。
この意識が朦朧とする感覚――見覚えがある。
有名な戦争映画【プライベート・ライアン】でミラー大尉が時折体験した、周囲の世界が漠然と自分を置き去りにして、聞いている音や見ている光景がすべて遠い出来事のように刻々と過ぎ去る感覚。あれに似ていた。
それだけじゃない。身体中が痛い。全身の臓器と血管を振り回されたような、今まで生きて
きて味わったことのないほどの激痛が俺を襲う。
――う、動けない! これじゃ、ただ単に鈴の足を引っ張ったようなものじゃないか!
「【|わたしの信念は揺るがない《アイアン・フィスト》】!」
俺を守るようにして立つ鈴が自身の能力名を叫び、銀に煌めく拳を繰り出した。
そして、次々に迫りくる木の根を爆風の如く打ち飛ばす。
このままでは映画のシナリオ通り、鈴はどこかで身体に深い傷を負ってしまう。
俺に、今の状況を打開できる能力があれば……!
「雑魚を庇って本気が出せねぇか? 幕明ぇ!」
「あんたをどう料理するか、考えてるだけよ!」
敵の挑発に強がりを返す鈴だが、防戦一方になっているのは新米の俺が見てもわかる。
俺は歯を食いしばる。
立て! 立つんだ俺! 鈴に加勢しろ! 千葉県警の意地を、意志を、見せろ!
「う、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺の左目に異変が起きたのは、自身に鞭打つ思いで雄叫びを上げたときだった。
《観客視点発動》
左目にだけ、今自分が見ているものとは違う映像が映り込んだのだ。
まるで、両目を開けたまま、左目に万華鏡を添えたみたいに、右目には、今自分が見ている光景
が、左目には他の光景が|観(、)えるのだ。
それは、本来であれば自分の立ち位置からは見えないはずのものが見える状態。小説で言うところの三人称視点。映画で言うならカメラ視点。
俺に言わせれば、まるで映画を見る観客の視点だけど、め、目眩がする!
左右の目から得る情報に相違があると、遠近感がわかりづらいうえに、頭がクラクラする。
ここは一旦、右目を閉じて視界の情報を半分にし、左目から観える光景に意識を集中。
左目に何が起きているのかわからんが、パトカーで築いたバリケードに隠れている警察官たちの、鈴に加勢できずもどかしがる表情が見える。
次いで、木の巨人の身体がドアップで見えた。
念じるだけで、左目の視点をズームしたり、上下、左右に動かせるようだ。まるで映画を撮
影するカメラみたいに。
左目を軽く擦ってみたが、一向に視界はカメラ視点のまま。
鈴と木の巨人の激闘を見極め、隙あらば加勢しようにも、二人の動作が素早すぎて追うのがやっとだ。
全身の痛みは少し引いたものの、未だ攻め倦ねる俺。そこで再び変化が起きた。
《スロー再生開始》
「――え⁉」
俺は思わず声を上げた。今度は《スロー再生開始》なる文字が、それこそヘッドアップディ
スプレイみたいに左目の視界に表示されたのだ。