チャプター3 ④
「彼はこの中にいる」
翼から元に戻ったジャケットを羽織り、何事もないかのように鴉が言った。本人は慣れているから当然かもしれないが、俺は一瞬にして長距離を移動した経験なんてないから、未だに実感が湧かない。目の前の光景は幻じゃないよな?
「幻じゃない。本物だ」
考えを読まれた。
他人を自分の命令に従わせたと思ったら、翼を出して空間跳躍みたいなこともやってのけるうえに、感情まで読み取る。謎多き鴉の一番の謎、――それは能力の正体だ。
「あんたの能力って、一体何なんだ?」
「それは極秘扱いだ。基本的に、一人の人間が発現する能力は一つだけだが、他人から継承したり、特殊な適正を持つ者は必ずしもそうではない、とだけ言っておく」
さすがに教えてくれはしないが、能力を複数持っているかもしれないことはわかった。
俺も発現するなら空間跳躍がよかった。便利だし酔わないし。
休館日なのか、博物館の周囲に人影はない。これはチャンスだ。人目を気にせず動ける。
鴉の能力で詰所の管理人に協力を仰ぎ、閉館中の管内へと入った俺たちは、地上三階分はあろうかという高さを誇る、宮殿的なドーム状の中央展示ホールにやってきた。ここは床から天井までが吹き抜けになっており、広大な空間が強調されている。
ホールの中央には、電話ボックスほどあるガラス張りの展示ケースが置かれ、一枚の青黒い古びたマントが金属製のマネキンに着せる形で展示されていた。
「あれが勇者のマント、だよな?」
「ああ。アメリカで回収されたものだ。あのマントに継承者の意志が宿っている」
俺の確認に、鴉は首肯した。
この青黒いマントは、百年前に勇者本人が魔王討伐の旅で着用していたもので、世界を救った英雄の形見ということで展示されている。そしてこのマントに、件の【継承者】の意志が宿っているらしい。
勇者と魔王の戦いはこの日本で行われたはずだけど、マントはどうしてアメリカにあったんだろうか?
「話しかけてみろ。意志能力を持つ者だけが、彼と対話できる」
俺は展示ケースに一歩近づく。ホール内にいるのは俺と鴉だけなのを確認してから、マントに話しかけた。
「き、聞こえるか?」
『ああ、聞こえてる。実体が無い状態で聞こえてるって表現が妥当かどうかは知らねぇがな』
と、どこからともなく声が聞こえた。独特のイントネーションがあるダミ声だが、違和感な
くすらすらと聞き取れる。
《観客視点発動》
このタイミングで俺の左目に変化。能力発動だ。
そのおかげで、マントの後ろに、背後霊みたいにしてうっすらと浮かぶおっさんの姿が見えるようになった。
坊主頭で、タンクトップの白シャツに、履き古したデニムに素足という姿。
「あんたは⁉ ま、まさか、あんたが、勇者の剣の、継承者なのか⁉」
おっさんは頷く。
『ああ。その感じだと、俺が見えてるみたいだな』
俺は思わず声を上げた。本来ならパート2で鈴がここに来て、継承者に話し掛けるのだが、その際、継承者の姿は見えず、声しか聞こえないはずの場面だ。
だから継承者の正体が誰なのか、映画のパート2を見たファンの間で憶測こそ飛ぶものの、はっきりしていなかった。それがまさか、彼だったのか!
『俺はニューヨーク市警でこき使われてた、ただの警部補だ』
彼の名はJ・マクレーン。とある事件現場で発見された幼い鈴を、養子として引き取り育てた男。鈴の義理の父親だ!
「俺は磨田栄治。日本の千葉――いや、今は新東京都で警察官をやってる者だ。あんたの噂を聞いたことがある。会えて光栄だよ」
警察手帳を見せつつ自己紹介。
『俺に話しかけてくる奴なんざ、ここ数年いやしなかった。鴉、お前さんの入れ知恵か? なにしに来た?』
「【剣】を狙っている奴らがいてな。あんたならそんな連中に継承なんてしないのは勿論わかっている。だが、相手の能力が未知数な分、何が起きるかわからない。あんたが攻撃される可能性だってある。だから、先にこちらで【剣】を引き取らせてほしい。そうすれば、あんたに危険が及ぶことはないはずだ」
と、鴉。彼にはマクレーンの姿までは見えないのか、目を合わせての会話ではなく、周囲を警戒しながら声だけ聞かせている感じだ。
『狙ってるぅ? 目ん玉飛び出しちまうような別嬪さんなら大歓迎ってもんだが、どうせまたわけのわからねぇ荒っぽい連中が控えてるんだろ? 全員ホモかってんだ! 俺が災難に遭うときはいつもそうだ! まさかとは思うが、また勇者の野郎が噛んでるんじゃねぇだろうな⁉ 俺と刺し違えてもしぶとく隠れてやがる、あのクソタレが!』
と、早口で捲し立てるマクレーン。彼がここで【剣】の守り人みたいなことを始めたのは殉職してすぐだろうから、もう十年以上経つ。愚痴も溜まるわけだ。
「今回は勇者じゃない。どうも【剣】の在処がわかる能力者が現れたらしくてな。その能力に目をつけた犯罪者たちが手を組んで、もうすぐここにやってくるという話だ」
『悪いが、会ったばかりの坊主においそれと継承してやれるような代物じゃねぇんだ。本音を言うとな、俺の娘にやりたいと思ってる。今はまだそのときじゃねぇが……』
ここは本来なら、シリーズパート2で鈴が訪れる場所。そこに部外者の俺が無理矢理押しかけていることもあってか、行われる会話は本来と違う。
「マクレーン。あんたは勇者と戦ったのか? 今刺し違えたって聞こえたけど……?」
思わず聞き流すところだったが、今しがたマクレーンはとんでもない発言をした。
マクレーンは鈴がまだ小学生だったころ、アメリカ史に残る大事件を追い、テログループを
丸ごととっ捕まえた際に負った怪我がもとで死んだ、という設定だったはず。それがまさか、勇者と刺し違えて死んでいたなんて初耳だ。
『ああ。かなり前になるが、カリフォルニアで戦った。奴が自分のことを勇者だと言っていただけで、本物の勇者かどうかは判別しようがねぇが、【剣】を使っていやがったのは確かだ』
「もしこの青年に【剣】を渡せないというのなら、ここで犯罪者たちと戦うことになる」
『戦うだぁ⁉ ついてないぜ。この期に及んでまだそんな面倒事が回ってくるのかい。くたばってからも狙われるなんてオチ、誰が考えやがったんだ?』
鴉の言にがっくりと項垂れ、軽快なボヤキを吐くマクレーン。
ここで大きな疑問が残る。勇者は百年前に魔王と戦い、そのときに受けた傷がもとで死んだとされている。マクレーンが生きた時代よりもずっと過去の人物だ。その勇者とマクレーンが戦った? どうなってるんだ?
「勇者は百年前の時点では死んでいない。死んだことにしておいて、裏で生き続けていたんだ。
それも日本から遠く離れたアメリカの地で、ほんの十数年前までな」
俺の考えを読み取ったか、鴉が言った。マントがアメリカで回収されたのはこれが理由か!
「まさか、不老不死とか、そういうやつなのか?」
衝撃の事実に、俺はつい聞き返した。
鴉は首を横に振る。
「確かに年は取っていなかったが、不老不死の能力を持っているのかまではわからない」
とすると、勇者が若いまま生き永らえているのは、【剣】の能力による可能性が高い。
「俺がお前の左目に注目したことには、勇者が生きていたという経緯があったからなんだ。お前が彼と何らかの関りを持っていて、能力を継いだのではないかとな」
なるほど。だから大通りで初めて会ったときに、意味深な問いを投げてきたのか。
「どうして勇者は社会の表ではなくて、裏で生きてきたんだ? 魔王を倒した英雄だぞ? コソコソする理由なんてあるのか?」
俺が言うと、鴉はふと周囲を見回した。
「その理由を話すと、更に飛躍したことを教えることになるが、敵の動きも気掛かりだ。時間が惜しい」
俺は左目に、博物館の外の景色を映すように念じてみる。すると、左目の視界が念じた通りに切り替わり、建物の正面入り口から周囲、そして建物全域を映し出した。やはり、発動のタイミングは操作できないが、発動中はある程度のコントロールが可能だ。
「まだ連中は来てない。今の続き、話してくれないか?」
鴉はマクレーンの反応を待つ。
『無暗に口外しない約束だが、お前さんが平気だと思ったんなら教えてやれ。俺もこの坊主の
ことを知る必要があるしな』
マクレーンは肩を竦めて促した。二人の間で、勇者が生きていたことは秘密にすると以前に取り決めていたのだろう。
「マクレーンが勇者に会ったとき、彼は姿こそ変わらないが、もはやかつての勇者ではなくなっていた。考え方や信念ががらりと変わって、別人のように冷酷な男になっていたんだ。彼は世界の崩壊を望んでいた。なぜそんな狂気に駆られたのかはわからないが、とにかく彼は、マクレーンの敵という立場にあった」
鴉の説明を聞いて、すぐさま気になることが出た。
「どうして勇者の姿がわかったんだ? 確か現代の資料には、勇者の外見は一切残されていな
いって話じゃなかったか?」
「表向きはそうだが、俺のような|裏(、)の人間の中には、顔を知っている者もいる。かつて勇者と共に旅をした仲間の子孫たちが存命だからな。憶測だが、勇者が自らの顔が後世に残るのを嫌い、様々な手を尽くしてまで記録を抹消した理由は、世界を滅ぼす己の計画を、他者に邪魔されないためだと考えている」
俺は言葉を失った。勇者はせいぜい、この映画の世界観をより深く壮大にするための演出役みたいなキャラクターだと思っていたのに、まさかここまで複雑な設定があったなんて!
『鴉の今の話は、事実をただ並べただけにすぎない。懸念しなくちゃならねぇのは、勇者の野郎と【剣】の行方だ。疑似継承ではなく、オリジナルの方のな』
「裏で生きていた勇者を相手にあんたは戦って、同士討ちとはいえ、倒したんだろ?」
俺の問いに、マクレーンは首を振る。




