チャプター2 ⑨
まずいぞ。【グリーン・ホーネット】の持続性はジャンベリクの【巨木の行進】以上だ。彼女を相手に息切れを狙うのは厳しい。
俺は立て続けに襲い来る木の根を躱しながら、集ってくる蜂を叩き落とす。
「このもやし野郎、俺の攻撃を見切りやがる!」
視界はスローだが、体感的にそう見えているだけで、時間そのものがスローになっているわけではない。だから音声は少し後になってから通常の早さで聞こえてくる。
「なかなかやるお巡りさんね」
と、セイヴ。
いいぞ、ジャンベリクを翻弄できている。このままもう少し近づいて、鈴を壁から引っ張り出せるといいんだが!
俺がそう画策していたときだった。
「ククク。僕も入れてくれよ、お巡りさん」
背後から聞き覚えのある声がして、俺は思わず振り返ってしまう。
「安倍⁉」
通路に安倍十吾が立っていた。
ジャンベリクが暴れた拍子にぶっ壊れた二つの留置室。その片方は安倍が留置されていた部屋か!
「なるほどねぇ。悪党を捕まえるヒーロー気取りで立ち回ってるわけか。楽しそうでいいね」
この状況下にも拘わらず、安倍は心底愉快そうに話す。
「よそ見してんじゃねぇ!」
ジャンベリクの怒声と共に、俺は木の根に身体をさらわれ、今度こそ壁に叩きつけられた。
「ぐぁあッ!」
鈴のコーティングのおかげでダメージは軽減されているはずだが、俺は全身を襲った衝撃と痛みに耐え切れず、壁に背をもたれてへたり込む。
ちくしょう! 安倍め、なんてタイミングで現れやがる!
「ククク。いいぞ、ジャンベリク。そこのツインテールの女もやっちまえよ。彼女はBARでの騒動で体力を消耗しているだろうから、今がチャンスだ」
含み笑いを漏らしながら、安倍はジャンベリクたちの方へ近づいていく。
「鈴を殺せと言われたら、タダだって喜んでやるぜぇ! まずは拳でいたぶってやるぅ!」
安倍が何者かなどお構いなしに、ジャンベリクは鈴へ向き直る。
俺を壁に叩きつけた木の腕を一旦収縮させ、元の人間の腕に変えると、ボクサーみたいに拳を構えた。
「待ってジャンベリク。そこのお兄さん、あなたは何者なのかしら?」
イケメンな安倍の、見透かしたような発言と只者ならぬ雰囲気に興味を持ったのか、セイヴが尋ねる。
「僕は君と同じ、意志能力使いだよ。自分の能力で世界をより良い方向に変えてやろうって言うのに、そこのお巡りさんに邪魔されて、ここに閉じ込められていたんだ。出してもらったお礼に、もし困っているなら力になるよ?」
「あなたの意志能力は、どんなことができるの?」
「未来を見通すことができる。この世界でこれから起こることがわかるんだ」
安倍の言を聞いたセイヴの目が細められる。
安倍の言うことはハッタリだ! そいつの能力は映画の世界に入ること!
と叫んでやりたいが、胸が痛くてまだ声が出せない。
「未来のことなら、なんでもわかるの?」
「なんでもとはいかないけど、君の身の回りに起こる出来事ならある程度わかる」
「未来が見えているなら、あなたはどうして捕まったの?」
セイヴの冴えて潤いのある声が、次第に冷気を帯びるかの如く低められる。
「ここにいれば、君に会えると思ったからさ」
嘘つけ! 鈴の裏拳で吹っ飛んでしょっ引かれたからだろ!
「ハッタリだとは思えないけど、まだ信用するほどでもないわね」
セイヴの殺気じみた気配は、十代の少女が放つものじゃない。
汗を浮かべる俺だが、一方で安倍は尚も平然としている。
「【ヴァーデン・アイル・アクティング】の在処を知ってる。と言ったら?」
安倍は勝ち誇ったような得意顔で言い、セイヴの目が僅かに見開かれた。
ここでその名前を出してきたか!
「もし嘘だったら命をもらうけど、いい?」
「僕は君にだけは嘘をつかないよ。本当のことさ」
用心深いセイヴは、顔色一つ変えない安倍を訝しむように睨んでいたが、
「……いいわ。ついてくれば話くらいは聞いてあげる」
そう言って悠然と歩き出した。
俺たちが下ってきた階段の方へ。
【想征剣】は、勇者が扱ったとされる、剣の姿形をした意志能力のこと。かつての【魔王討伐大戦】に、鍛冶職人であり意志能力使いでもある名工=アイルによって生み出されたという。
【想征剣】は、意志能力使いでその名前を知らぬ者はいないほど歴史的に有名な能力で、疑似継承はいわば、【想征剣】の能力の一部たけを使用可能とする廉価版。設定資料には、この【想征剣・疑似継承】であっても、最強の意志能力の一角とまで書かれていた。
さすがのセイヴもその名は無視できないみたいだ。
俺が今いる世界は【フォース・オブ・ウィル】の第一作目。件の【想征剣・疑似継承】が登場するのはもっと後になってからだというのに、安倍め、ストーリー展開を無視して無双する気か!
「どぉりゃああああッ‼」
ここで鈴が渾身の怪力を見せ、完全に嵌まっていた壁を砕いて脱出した。
「いいぞ幕明ぇえええええええ! そう来なくっちゃなぁああああああああ‼」
血走った目で雄叫びを上げるジャンベリクへ、鈴は銀の拳を打ち出す。
【能力名=|わたしの信念は揺るがない《アイアン・フィスト》】
・攻撃性=6
・安定性=9
・持続性=6
・継承性=10(MAX)
・進化性=4
・影響範囲=2
鈴のステータスも設定資料の通り。数字だけを見ると攻撃性能はジャンベリクに劣っているが、鈴が努力で身に着けた腕っぷしの強さと天性の運動神経が、彼女の戦闘力を底上げして、結果的に互角かそれ以上の立ち回りを可能にしている。
継承性が最高値なのも強みだ。そのおかげで、鈴は触れたものに自身の【アイアン・コーテ
ィング】を施すことができるわけだからな。
だが、壁に激突してめり込んだダメージが残っているのか、今の鈴はいつもよりも打撃のキレが悪い。
「俺様の勝ちだぁああああああああああああああああああああああああああ‼」
「きゃっ!」
俺がどうやって援護しようかと考える間に、ジャンベリクの拳が鈴の腹部を捉え、鈴は衝撃で俺の方へと吹っ飛ばされた。
「うぉっと⁉」
俺は咄嗟に、どうにか鈴をキャッチするが、反動に耐え切れず背中から倒れた衝撃で、発動中だった左目の能力が切れてしまった。
むにゅん。
しかも良いことに、いや悪いことに、倒れた拍子に鈴を抱える俺の手の位置がズレて、彼女の胸を掴んでしまった。
「どこ触ってんのよ!」
「す、済まん! 不可抗力だぶぅッ⁉」
このタイミングでおキレなさった鈴の肘打ちが俺の腹部に食い込んだ。
俺はこの瞬間、鈴の【アイアン・コーティング】が解けていることに気付いた。今朝から今まで戦いっぱなしで、エネルギーを使い果たしたんだ!
「しぶとい野郎だぜぇ!」
そう叫んだジャンベリクの木の腕が、頭上から振り下ろされる!




