チャプター1 ⑪
男は、鈴に対して絶対に言ってはいけないことを言ってしまった。
『まな板』『ぺちゃパイ』といった、鈴の胸に言及する行為は命取り。
「お前の胸は無いって言ったんだよ!」
俺は心の中で手を合わせる。
ピキィ!
鈴の額に血管が浮かび上がる音がして――、
「Never!」
鈴の鉄拳が男の顔にめり込み、
「Never! Never! Never!!」
連続回し蹴りが男の姿勢を崩壊させ、藁のように壁へと吹き飛ばした。
「んぇッ!」
男は壁に背を打ち付け、悲鳴と共に頽れるが、鈴はそんな彼の胸倉を掴み、軽々持ち上げる。
俺は横からその光景を見守るしかない。
鈴は笑顔だ。
「わたし、まな板に見えてもね、けっこう鍛えてるの。甘く見ないほうが身のためよ?」
「はひぃ……」
鈴の殺気にあてられたか、男は白目を剥いて気絶。
「まったく。素直に言えばいいのに」
男を降ろして両手を叩きながら、鈴は俺を振り向いた。
「固まっちゃって、どうしたのよ? そんなに銃が恐かった?」
鈴のほうがもっと恐かったとは言えず、
「鈴に任せちまったのが、不甲斐なくてな」
俺は本心を述べた。
確かに、キレた鈴は恐い。でも今回は、俺が受け持った職務質問。それを鈴にやらせてしまったのはつまり、俺がまだ力量不足ということだ。
「誰だって、慣れない内はうまくいかないわよ。そのために相棒で動くわけでしょ?」
鈴が俺の背中をバシンと叩く。
「いって!」
「シャキっとする! この男が何か隠してないか調べるわよ!」
ひりひりする背中の痛みで、俺は目が覚めた気分になる。
鈴についていくと決めたんだ。この程度のことでいちいち凹んでなんかいられない!
「了解!」
俺は気を失った男の服をまさぐる。足首にナイフが隠してある以外、特に怪しいものは無い。
「さっき、ボスって言ってたのを鑑みるに、こいつは下っ端だな。あまり信用されてないのか、重要そうな物は持ってない」
「こっちのやつは、重要かもよ?」
俺が振り向くと、堤防の方まで調べていた鈴が大きめのボストンバッグと、細長いケースを持ってきた。
他に人影は無く、恐らくは男が持ち込んでいたのであろうそのバッグを開けてみると、ロケットランチャーの弾頭と思しきものが二発、ビニールで包装された状態で入っていた。
細長いケースの方には、ロケットランチャーの砲身。
俺も鈴も、額に汗を浮かべる。
「こ、こいつは、いったいどこから入手したんだ⁉」
「すぐそこが川だから、小型ボートとか?」
「川を映した監視カメラってあるかな?」
「署に戻って確認しないと、なんとも言えないわ」
鈴と顔を見合わせる俺は、記憶を辿る。
映画の中で鈴たちが追っている犯罪組織は巨額の資金を集めて、大きな動きを見せようとしている。仮にこの男が組織の下っ端なら、この武器は、組織に届けられる予定のものではなかろうか?
なぜなら、今後鈴が繰り広げることになるカーアクションのシーンで、その組織のメンバーがロケットランチャーを使う場面があるからだ。
映画の本編では描かれない下っ端の仕事が、ここで繰り広げられていたということかも!
「とはいえ、お手柄よ、栄治。あんたの観察眼が優れていたおかげで、密輸品を回収できたわけだからね。入手先も、この男から聞き出せばいいわ」
鈴が俺の肩に手を置いた。
「あ、ああ」
でも待てよ? ここでロケットランチャーを押収したら、映画のシーンに狂いが出たりしないか?
俺がそんな懸念を抱いた、ちょうどそのときだった。
大型のエンジン音と、タイヤが鳴く甲高い音が聞こえ、俺たちは揃って通りの方を振り向く。
二人で乗ってきたパトカーのすぐ真横に停まるかたちで、ミニバンが現れたところだった。
「全員どこかに失せろ! 動画撮ったらぶっ殺すぞ!」
そのミニバンから飛び出した男の怒声と銃声が聞こえ、次いで女性の悲鳴が響き渡る。
「な、なんだいあんたたち!」
逃げ惑う人たちの喧騒に混じって、居酒屋のおばあさんの声。
「うるせぇ! 死にたくなけりゃ引っ込んでろ! 見世物じゃねぇぞ!」
「ひいい!」
どうやらおばあさんも退避したらしい。
《観客視点発動》
ここで、再び俺の能力【観客視点】が発動した。
鈴が気絶させた男の通話シーンが、俺の左目で再生される。
『すぐ近くまで来てるんだろ? だったら早いとこ頼む。見つかる前に運び出さねぇと――』
『人数? たぶん、二人だけだ。男と女――』
『――車で道を塞げ。合図したらぶっ放すんだ』
再生終了。
そうして俺の脳内で、とある推測が組み上がる。
「鈴、まずいぞ! この男の仲間が来た!」
「なんでわかるの⁉」
「電話で男がそんな感じのことを話してたんだ。今の銃声といい、間違いない!」
俺たちは壁を背に隣合わせになり、路地の脇に置かれた室外機の影に身を隠す。
鈴の髪色は葡萄酒色で、黒髪の俺より目立つ。ライトで照らされたら見つかるかもしれないが、今はこうするしかない。
「おい、いるか⁉ サツの姿が無いうちにずらかるぞ!」
と、男の声が路地に響いて、白い光が差し込む。
やべぇ! ライトだ!
「うわっ、まぶし!」
しまった! 思わずライトの方を見ちまった俺は、ライトの眩しさに声まで漏らす始末。
「ちょっと栄治⁉ なにやってんのよ!」
声を潜めながら器用に叫ぶ鈴。
「そこにいるのは誰だ⁉」
男は、俺たちが仲間じゃないと気付いたのか、怒気を含んだ声を飛ばす。
「両手を上げてゆっくり出てこい! そのあたりに、俺たちの大事な荷物があるんだ」
これじゃまるで俺たちが密輸犯で、しょっ引かれそうになってるみたいじゃないか!
「――探し物はこれかしら?」
俺は鈴の声に振り向いて、目を見開いた。
鈴はいつの間にか装弾済みのロケットランチャーを構えており、今まさにトリガーを引くところだった。
「うおお⁉」
「なにいいいいいいいいいいいいい⁉」
俺が慌てて身を伏せ、敵の悲鳴が重なる。
パシュ! という、蒸気が噴き出すような音がして、鈴の構えたロケット弾が発射された!
真後ろに。
「え?」
唖然とする鈴の声が漏れ、俺たちの後方数メートルのところにある堤防が爆砕。
またしてもしまった! 鈴は格闘のスペシャリストだけど、射撃はありえないくらい下手くそなんだった!
「ちょ⁉ なにやってんだよ鈴!」
「し、しょうがないでしょ⁉ わたしにだって苦手なことがあるのよ!」
「舐めたマネしてんじゃねぇぞ!」
男の怒声と銃声が飛んできて、俺たちが盾にしてる室外機がバチバチと異様な音を立てる。
次の瞬間、銃弾が室外機を貫通。
俺たちの身体にぶち当たる!
「いててて!」
鈴のコーティングのおかげでハチの巣になるのは免れるが、弾が着弾した部位に強烈な痛みが走る。
「どりゃあああ!」
鈴が雄叫びを上げ、持っていたロケットランチャーを敵目掛けてぶん投げた。
男は暗がりから飛んできたランチャーへの対応が遅れ、それを顔面にもらい受け、そのまま転倒。
「びびった……心臓が三回は止まった気分だぜ……」
足に思うように力が入らず、ふらふらと立ち上がる俺。
「このくらいの銃撃戦なんて珍しくもないから、今のうちに慣れておきなさい?」
路地の男と、後から駆け付けた仲間の男、その両方をそれぞれの肩に担いで、鈴が言った。
「それはそうかもしれないけどさ、鈴。堤防のこと、署長になんて説明する気だ?」
じわじわと、器物破損をやらかした現実が物言わず俺たちを包み込む。
「そ、そこはほら、おばあさん達を助けたわけだし、敵もとっ捕まえたし、きっと署長も許してくれるわよ!」
★
「マクレェエエエエエエエエエエエエエエエエエエン‼」
ガシャアアアアアアアアアアアアアアアン‼
署長室。
本日二枚目の窓ガラスが爆ぜ割れた。
日常的に割れるもんだからストックがあるらしく、俺たちがパトロールに出る頃には新品の窓ガラスが取り付けられていたのに、ものの一時間ほどでお釈迦になった。
「ロケランを真後ろにぶっ放すバカがあるか! お前らはこの街と警察に恨みでもあるのか⁉ 家族とか恋人をムショにぶち込まれでもしたのか⁉ その復讐か⁉ だったらお前らもぶち込んで会わせてやる! お前らは危機管理が〇△□※!」
署長は怒りを爆発させるあまり、呂律が追い付いてない。
あと、【お前】じゃなくて【お前ら】になってる。俺、巻き込まれてる。
バディを組んだからには連帯責任てこと?
「ドジの栄治にポンの鈴め! お前ら今日はもう帰れ! 顔も見たくないわ! 頭を冷やしてこい! 今度なにかぶっ壊したらバッジを没収するから覚悟しろ!」
ドジの栄治に、ポンの鈴。ポンはポンコツのポンか。なんてこった。




