5:月夜に漂う死神
森一帯に漂うただならぬ気配をこれでもかというほど感じ取っていた。人目を避けるためだけに入ったこともない森に入ってしまったことを悔やんだ。街の灯りが届かないぐらい深い森だったから月明かりだけが頼りだった。早くここから出なければ生きて帰れるか分からない。この森には明らかに得体の知れない何かがいる。不安は確信たる恐怖へと変わり、歩くスピードを速めていった。しばらく進んでいくと少し開けた場所に辿り着いた。
ふと立ち止まって見ると地面に自分の影と向かい合う形でもう一人の人間の影が映っているではないか。そして上空から自分を射抜くような視線を感じとり、恐る恐る見上げてみると月明かりに照らされた木々の頂に重力を無視してふわりと立つ少女が佇んでいた。灰色の髪から覗いた赤く輝くその瞳は俺を獲物のように捉え、今にも襲いかかろうとしている。満月に照らされた姿は幽玄な感じを放っているが底知れない狂気が満ちているように見える。そして目が合うとその女は微笑を一瞬浮かべ、蛇に睨まれた蛙のような悪寒を覚えた。まずい、間違いなくこいつは覚醒者で理由は分からないが俺を狙っている。
少女が灰色の瞬きを放つとその両腕に、彼女の背丈ほどもある死神が持っていそうな巨大な鎌を抱えていた。そして鎌を天征に向けたと同時に刃の先端から霊魂のような青白い一発の弾丸が彼めがけて飛んでいった。
「うわっ!なんのつもりなんだよお前!」
間一髪で回避した天征は森の中を駆け回り逃走を試みる。弾丸が着弾した箇所を見てみると、キーーンという耳を突く高音を発しながら白く霧立っている。彼女から紛れもない理不尽な殺意を感じとり猛ダッシュして森の奥へと逃げていく。やがて一本の木陰に身を潜めた。しかし彼女には無意味だった。
「ねえ、隠れてるつもりなの?無駄だよ。私にははっきり見えてるから」
そして少女は俺の前に降り立った。鎌を抱えながら確実に距離を詰めて歩み寄っていく姿は死神そのものだった。俺はなぜ狙われているんだ…何か恨みでもあるのか思いつめたが心当たりがない。全く理由が分からず混乱しきっていた。少女は一旦歩みを止め、最後に何か言い残すことはあるかと言わんばかりに言葉を待っているようだった。
「なんなんだよお前!理由もなく襲うとかサイコすぎるだろ!」
「あなた覚醒者でしょ。私もだけど」
「それで俺にどうしろって…」
「因子の脈動がうるさいほど響いてるから一目で分かるの」
少女が揺らした鎌の刀身に恐怖と混乱で怯えた俺の顔が映る。
「ま、待てって!とにかく落ち着け!」
「待たない。絶対逃げるでしょ」
話せば分かると思って説得しようとしたが全く無駄だった。そして少女は再び鎌を俺に向けた。よく見るとその鎌は結晶化しているようだった。恐らくこいつの力で生成されているんだろう。しかしなんで俺が覚醒者って分かったんだろう。因子の脈動って言ってたから覚醒者は見分けがついたりするのか?
「だから待て!なんで殺し合う必要があるんだよ!それか俺に恨みでもあるのか!?」
「恨みはないんだけどあんたを今のうちに摘ませてもらう」
「俺は暴れてやるつもりなんて全くないから‐」
「黙って。化け物は全部倒すって決めてるの」
初対面で物騒すぎるだろこいつ!ていうか俺はまだ覚醒者になって一日も経ってないんだぞ!いくらなんでも怪獣が襲撃してきた時とは状況が違い過ぎるし、このまま戦っても勝てる感じが全くしない。でも逃げたら間違いなく殺される!
鎌がまた青白い光を纏い、少女が鎌を軽く振ったと直後に放たれた斬撃が俺を襲う。斬撃の大部分は木に直撃した。だが奇妙なことに気が倒れる音がしない。その木を見てみると断面から青白い火花を散らしながら塵となって徐々に崩壊していった。こいつの攻撃は物体を単に物理的に切断するのではなく存在自体を葬り去るのか?理解した刹那、俺の背筋は凍り付いた。死と少女の殺意に対する恐怖のあまり俺は再び走り出す。
「だから逃げても無駄なのに」
彼女の声が聞こえたが耳にする余裕もなかった。しばらくして左腕に奇妙な感覚が襲っていることに気づいた。あの時に彼女が放った斬撃を避けきれず喰らってしまっていたのだ。俺は興奮のあまり斬られたたことに気づかなかった。傷口を見ると俺はまたしても恐怖に包まれた。なんだこれ…斬られたところがじわじわ崩れていってる!?傷口は血が出ることすら許さず、周辺の細胞が青白い火花を散らしながら分子結合が消滅していくように塵となって崩壊を始めている。興奮が冷めていくと共に強烈な脱力感と自身の存在が削られていく感覚に襲われる。まるで自分が死んだことすら気づけないように。終わった…逃げ切れたとしてもこのまま消えてしまう。なんとかして戦うしかないのか?怪獣と戦った時に力が使えたんだから今ここで使わなきゃおかしいだろ!でも力の出し方が分かんねえ。あぁクソっ!こんなところで死にたくない!
「いい加減にして。あんたはもうここで終わり」
少女の鎌が天征を正確に捉え振り下ろされた瞬間、天征の周囲にあの時と同じ白銀の光の幕が展開した。光の幕は天征を守り青白い刃を見事に逸らした。彼女は予想外だったようで不意打ちを打たれたような驚きを隠せずどうしてこうなったのか硬直している。
「え、なに今の?ちゃんと狙ったはずなのに当たってない…」
斬られてない?自分の両手を見てみると怪獣と戦った時と同じ光が俺の体を包んでいることが分かった。絶対絶命の極限のタイミングでようやく力が使えるようになったのだ。どうやら結晶が強い感情や意思、生存願望に反応することで力を引き出せるみたいだ。怪獣の時もそうだった。さっきまで体を襲っていた消失感はかなり薄れてきている。そして俺はこいつの隙を見逃さず拳に力を込めて横一直線に飛ぶように狙いを定め、反撃を試みる。
(当たれ!)
しかし、見事に避けられてしまった。
「…ふーん、まだ動けたんだ。その程度じゃ私には届かない」
少女はそう言い放つと同時に瞳から光が消え、底から湧き上がるような深い憎悪で満ちていく。彼女は自分の攻撃が当たらなかったことではなく、格下だと思っていた化け物に反撃のチャンスを与えてしまったことに対して激しく怒りを表しているようだ。
「もういい。本気であんたを消してやる」
彼女の姿が消えたと思ったら青白い閃光が爆発的に増していき、鎌が彼女ごと残像を置き去りにして四方八方から襲い掛かる。本気を出しやがった。俺の視界はもはや彼女の姿を捉えることができない。目に焼き付くのは振りかざされる鎌の軌跡だけだ。纏う光は猛攻を防ぎきれず、防御や回避もままならないまま体の各所を削られていく。体が少しずつ消えていくのが分かる。
…死ぬ…
「そこら辺の覚醒者ならとっくに死んでるわ。あんたは今までで一番しぶとかった。でも今度こそこれで終わりだから!」
少女がとどめの一撃にと天征の首筋を切り裂こうと刃が触れ、肉体の崩壊が始まろうとしていた。天征は立ち尽くしたまま意識を失ってしまった。だがその瞬間、彼の心臓の鼓動が少女にも聞こえるほど大きく響きわたる。
「…なに?」
彼女は心音に気を取られたと思えば、獲物だった相手からいつの間にか離れていることに気付いた。斬りかかった瞬間、物理的に押し返されていたのだ。
「どうして?」
何が起こったのか理解する間も無いまま、もう一度鎌に意識を集中させて今度こそ獲物を葬ろうと天征に詰め寄る。鎌が再び斬りかかる瞬間、少女が発している青白い光を遥かに上回るほど輝く白銀の光が天征を覆い尽くした。彼女も負けじと力を強めるが、天征はあろうことか素手で鎌の刃を掴んで彼女の動きを封じている。意識を失った天征を動かしているのは体中に駆け巡る血液だった。斬撃を与えた箇所は光に覆われていて傷が塞がるどころか再生しきっているようだった。
「嘘でしょ!?触った時点で消滅していくはずなのに…こいつ、ただの化け物じゃない!」
それだけではなかった。白銀の光は彼の全身を覆っているだけではなく、眼窩までもが白銀に染まっているのだ。その表情は先程まで恐怖で怯えきっていたはずなのに一切の感情が消え、本能的で冷徹なオーラを放っている。次の瞬間、天征は彼女の鎌をへし折った。
バキイィィンンッッッ!!!
轟音と共に彼女の鎌が光の粒子となって白銀の火花を放ちながら砕け散った。
「え?」
彼女は鎌を破壊されたことで思考がフリーズしてしまった。その隙を天征は見逃さず渾身の力で彼女に一撃を与えた。光に操られるままに死神への反撃が決まった。両者における魂の格の違いが如実に表れた瞬間だった。
「ぎゃあっ!?」
殴り飛ばされた彼女はしばらく宙を突き抜け、飛行機が胴体着陸するかのように地面に打ち付けられた。彼女の瞳から次第に憎悪を孕んだ狂気が消えていき、次第に理性が復活していく。打ち付けられた影響で意識が朦朧とし、戦意を完全に失った彼女は逆に自分が狩られる側になってしまったことに気づいた。しばらくすると前方から化け物の少年がゆっくりと、しかし確実に歩み寄っていく足音が聞こえ、光が近づく度に彼の姿が視界にくっきりと映っていく。彼女は無意識に死を受け入れようとしていた。
(負けたんだ…私も、殺される……あんな力、見たことない…)
やがて天征は自身を追い詰めた死神に接近しきったところで立ち止まった。白銀の眼窩から覗くその視線は彼女が抵抗するのかどうか様子を見ているようだった。彼の瞳に映った彼女はもはや憎悪と殺意に支配された死神ではなく死を受け入れるしかない傷ついた少女だった。
(もう力が出ない…)
「…早く殺して…」
負けを認めた彼女が首を差し出したのと同時に天征を操っていた光がふっと消えた。その瞬間、天征は意識を失い膝から崩れ落ちて彼女の胸に倒れ込んだ。彼女の鎌の一撃を喰らった時点で彼は限界をとっくに超えていたのだった。
「……あ、……」
予想外の事態に彼女は動揺を隠せない。あれほどまでに追い詰めた自分に縋るように倒れ込んできた少年は体温がしっかり感じられ、どこか穏やかな波動が伝わってきた。彼の銀髪は穏やかな月光のようだった。彼女を縛っていた覚醒者は討伐すべき化け物という固定観念は完全に崩れ去った。自分が戦った相手は化け物などではなく死を待つはずの運命に抗い続けた一人の少年だった。
(私……この人を殺そうとしたのに…。なんで……)
「……よかっ、た…」
(この人は最初から殺すつもりなんてなかったんだ……化け物は私の方だ…)
少女が自身の非を悔いて、震える手で彼の背中に触れようとしたところ、消え入るような声で安堵した天征は極限状態から解放されてそのまま深い眠りに落ちてしまった。
「ねえ、大丈夫?さっきは本当にごめんなさい。…あれ、寝てるの?」
一人残された少女はこの状況に困惑した。倒れ込んでいる少年をそっと退けて残った力を振り絞ってなんとか立ち上がる。そのまま帰ろうかと思ったが、殺さず命を助けてくれたからそのままにしておくことはできなかった。眠りに落ちた彼の表情はどこか自分と同じような感じがした。
「よいしょっと……まだ、私が、動けるうちに…」
少女は白銀の戦士を背負うと、ゆっくり歩きながら森を出ていった。




