3-3 ジャミー・ビスケット
フェイ診療所を出たニコレッタとダンテは、大通りをのんびりと歩いていた。
時刻は午後の二時を少し回ったくらい。
澄んだ青空の下、花の香りを纏ったそよ風の吹く街中は、今日も観光客や旅人で賑わっていた。
パルム王国は花の国と呼ばれるほど、国土のあちこちに四季折々の花が咲き誇っている。王都であるここも、その呼び名に相応しく、いたるところに花が満ちていた。
今の季節はパステルカラーの淡い色合いの花が多い。どの季節の花もそれぞれ美しさがあって素敵だが、ニコレッタはその中でも春が一番好きだった。
(苺も美味しいですし……!)
……少々、食欲も混ざっているけれど。
それはそれとして、ニコレッタはウキウキしていた。
何せ人生で初めてのデートだ。それはもうテンションも上がっている。
浮かれてついつい出てしまう笑顔をそのままに、ニコレッタはダンテを見上げた。
――それにしても、彼は何だか浮かない顔をしている。
(そう言えば診療所を出る時くらいから、口数も減っているような)
もっと言えば、青褪めているような気もする。
フェイ診療所で仕事を終えたニコレッタが、荷物を取りに行った時は元気だったが、戻った時にはすでにこういう感じだった。
恐らくフェイトの間に何かあったのではと思いながら、ニコレッタは彼に話しかけた。
「ダンテさん。もしかして、フェイ先生と何かありましたか?」
「えっ⁉」
するとダンテの肩が分かりやすいくらいに跳ねた。当たりらしい。
「あー、はは……。いえ、ええと、特に何かあったと言うわけではないのです。ニコレッタさんをよろしくと頼まれたくらいで……」
「あらまぁ、フェイ先生ったら。どんな脅し方をされたんです?」
「…………」
何となく事情を察してそう訊くと、ダンテはすっと視線を逸らした。彼は口をぎゅっと閉じて、絶対に言いませんと態度で示してくれている。
(そこまで怖ろしいことを言われたのか、かわいそう……)
ニコレッタはダンテに同情した。
フェイは優しくて気さくで、面倒見の良い医者だ。
しかし、たまに妙な圧を放つ時がある。
特に、自分の患者や身内に悪さをしようと企んだ相手には謙虚で、彼は一切の容赦をしないのだ。
ダンテはそんな悪さをするような人間ではないので、たぶんニコレッタのためを思ってしてくれた脅しなのだろう。
「フェイ先生がすみません……」
「いえ、あの、謝罪されるようなことは何も。……でも、優しい方ですよね」
「んふふ。ええ、とっても! 見た目はちょっと胡散臭いですけどね」
そう言って、ニコレッタは人差し指をピンと立てた。
「私も出会ったばかりの頃は、ずいぶんと警戒したものです。五歳児の自分には、刺激が強過ぎました」
「昔からのお知り合いなのですね」
「ええ。うちの両親と友人で。その関係で、小さい頃から面倒を見てもらっているのです」
「つまりフェイ先生は、ニコレッタさんの身内のようなものと」
「そうですねぇ」
ダンテの言葉にニコレッタはフェイのことを考える。
フェイは親ではないし、家族でもない。
けれども友人よりも近くて、誰よりも信頼できる存在だ。
だからダンテの言った「身内のようなもの」という表現は、ぴったりな気がした。
(身内……)
心の中で呟いて、ニコレッタはちょっと嬉しくなって小さく笑う。
「さて、ところでダンテさん。これからどこへ行きましょうか?」
「はい。妹のアイデアも参考にして色々と考えたのですが……映画なんてどうです?」
「お、いいですねぇ。もうだいぶ見ていませんよ! 今、どんなのをやっているんですかねぇ」
映画と聞いてニコレッタは目を輝かせた。
王都にはシアター・パルムという名前の大きな映画館がある。ニコレッタも両親が生きていた頃に、時々連れて行ってもらったことがあった。
その時に見た映画の内容はおぼろげだが、大きなスクリーンで動く映像と、迫力のある音楽にワクワクしたのだけは、今も覚えている。
懐かしいなぁなんて思っていると、ダンテが懐から手帳を取り出して、パラパラとめくり始めた。
「確か今は……探偵レディ・ミルキーの恋と事件簿に、ヒーロー・ジャンキーのヒーロー譚、が上映されているようです」
ダンテはそう教えてくれた。どうやら事前に調べておいてくれらようだ。
「ありがとうございます、ダンテさん」
「いえ」
お礼を言うとダンテはにこっと微笑んだ。
「タイトルから察するに恋愛ミステリーとアクションですかね?」
「だと思います。ちなみに後者は、落ちぶれた大人が、子供の頃に夢見たヒーローになる物語です!」
ぐっと左手で拳を作って、ダンテが楽しそうに言った。
どうやら後者の映画にとても興味があるらしい。
「ダンテさん、その映画、お好きですか?」
「ええ。子供の頃から、原作の小説をよく読んでいまして」
「なるほど、なるほど。では、そちらにしましょうか」
「はい! ……あっ、いえ、じゃなかった。えっと、ですが今日はデートなので……前者はいかがでしょう? たぶん恋愛系の映画だと思うのです」
元気に頷いたダンテだったが、直ぐにハッとしてそう言い直した。
婚約者同士のデートと言うことで、気を遣ってくれているようだ。
ニコレッタはタイトルを聞いて、どちらも面白そうだなと思っていた。そしてホラー作品以外なら何でも歓迎だ。
だからダンテが好きな方を見てもらって構わないのだが、こうして婚約者同士で見る映画と気にしてくれたのだ。ならば、そちらを選ぶべきだろう。
ニコレッタはしっかりと頷いた。
「では、それで行きましょうか! 次の機会にもう片方を見ましょう!」
「そうしましょう」
ニコレッタの提案にダンテも笑って頷いてくれた。
そんな話をしながら映画館を目指して歩いていると、
「おやぁ、ニコレッタさんじゃありませんか」
「……!」
――ニコレッタが会いたくない人物の、上位に入る男から声をかけられた。
とたんにニコレッタの顔から表情がごっそり抜け落ちる。
あまりに急激な変化だったため、ダンテがぎょっとした顔になった。
「ニコレッタさん?」
「すみません、ダンテさん。ちょっとお時間いただきます」
ニコレッタは短くそう言うと、直ぐに笑顔を張り付けて、声の方へと顔を向ける。
視線の先に立っていたのは、茶色のスーツ姿の四十代前半くらいの男だ。身綺麗な金髪に緑色の目、首からは使い込まれたカメラを提げている。
どこかくたびれた雰囲気を纏っている彼はフランクと言って、ニコレッタが大嫌いなゴシップ紙の記者だ。
「ニコレッタさん、お知り合いですか?」
「ええ、あまりいい意味での知り合いではないですけどね」
「なるほど」
ニコレッタの返事を聞くと、ダンテは軽く頷いて、スッと表情を引き締めた。
とたんに彼の雰囲気ピリッと引き締まる。
ダンテはそのままフランクに警戒するような視線を向けた。
――ああ、騎士だ。
その様子を見てニコレッタはそう思った。
そうしている間にフランクはこちらへ近付いてくる。
「こんにちは! いや~驚きましたよ。ニコレッタさんが、ダンテ・アルジェントさんと一緒にいるなんて。どういう風の吹き回し? 二人はお付き合いしているの?」
挨拶もそこそこに、フランクは不躾な質問をぶつけてくる。
ニコレッタは辟易とした顔になった。
「失礼ですよ、フランクさん。昔からあなたは本当に変わりませんね」
「あっはっは。そりゃすみませんね。これでもフレンドリーな記者って評判なんですが」
「まぁ、ご冗談を。フレンドリーどころか、取材の方法が最悪だって悪評がたたって、皆から取材拒否されているって話じゃないですか?」
ニコレッタが上品にころころ笑ってみせれば、フランクは「うっ」と言葉に詰まった。
しかし彼はそれでも諦めず、引き攣った笑顔を浮かべて話を続ける。
「嫌われようとも、真実のために取材をするのが、ジャーナリズムってもんですよ」
「ジャーナリズム? これまたとんだ自信家だわ。あなたがやっているのは、真実を知らせることではなく、ただの演出家気取りでしょう」
「なっ」
「――おっと、失礼。演出家の方に失礼でしたね」
ニコレッタは澄ました顔でとどめを刺した。
社交界デビューする前に没落したものの、ニコレッタだって一応は貴族だ。記者相手に後れをとるわけにはいかない。
嫌味の応酬に負けたフランクは、不快そうに顔を顰める。
それから何か思いついたように、口元だけで笑みを浮かべた。
「……なるほど。妖精石と一緒に、お人好しな呑気さもどこかへ売り飛ばしたと」
「妖精石……?」
ダンテがフランクに聞こえないくらいの小さな声でそう呟いた。
ニコレッタは僅かに目を細めたが、それ以上の反応をしない。
するとフランクは面白くなさそうに肩をすくめて、
「……まぁ、いいや。また面白いネタがあったら、取材にお邪魔しますので、よろしくお願いしますよ~」
なんて言って、ニコレッタたちに背を向けて、手をひらひら振って離れて行った。
「……はぁ」
フランクの姿が見えなくなるとニコレッタはため息を吐いた。
それからダンテの顔を見上げる。
「……失礼しました、ダンテさん。気分の悪くなるものをお見せしてしまいました」
「いえ、お気になさらず。ああいう手合いは時々見かけますから。それよりもニコレッタさんが毅然と対応なさっていたので、いい意味で驚きました」
「んふふ。恰好良かったですか?」
「はい」
ちょっとお道化て見せると、ダンテは真面目な顔で頷いてくれた。きっと気を遣ってではなく本心なのだろう。
ニコレッタは表情をふっと和らげる。
(ただ、妖精石の話をされるとは思いませんでしたね。さすがに何も説明しないのは……無理か)
心の中でそう呟きながら、ニコレッタは左腕をそっと撫でる。
そして一度目を閉じてからダンテに向かって、
「ちょっと公園にでも寄りませんか?」
と提案した。すると彼は理由も訊かずに「喜んで」と頷いてくれた。
本当に良い人だ。
ふふ、とニコレッタは微笑んで、ダンテと共に近くの公園へと向かったのだった。