8-2 キャロットケーキ
キャロットケーキはパルマ王国ではメジャーなお菓子の一つだ。
生地にすりおろしたキャロットを入れるまでは一緒だが、店によってはスパイスを工夫したり、ドライフルーツやナッツを入れたりと色々と違いが出る。
では、パティスリー・シュガーポットはどうかと言えば、ここではオレンジの果汁にドライフルーツを入れて作っていたりする。
「むっ、ダンテ、あなた包丁の使い方が上手いわね」
「剣が短くなったようなものですから」
「ずるいわ! 私も剣術の練習をしようかしら……」
料理をしていると、ダンテとカルロッタは穏やかな雰囲気で会話するようになった。
もちろん始めたばかりの頃は、ダンテの表情は強張っていた。しかし今はすっかり落ち着いた様子だ。
これはカルロッタが、ダンテに迫る事もなく料理に集中しているからだろう。
そんな二人を見て、いい傾向なんじゃないかな、とニコレッタは思った。よく顔を合わせる相手に嫌な気持ちを抱いたままでは、精神的な負担が大きい。心穏やかに過ごせるのならば、それが一番である。
「そう言えば……」
ふっと、ニコレッタは呟いた。
もしもこのままダンテとカルロッタの関係がいい方向へと変化したら、もしかしたら自分はお役御免になるのだろうか。
そう考えたら何だか無性に寂しくなってしまった。一時的な婚約を自分から提案しておいて、さすがに勝手すぎる感情である。
とりあえず、ぐっと飲み込んで蓋をしておこうと思いつつ、ニコレッタは出来上がった生地を型に流し込んで、オーブンの中へと入れた。
「あとはこれを五十分焼きます」
「あら。結構長いのね。焦げてしまわないの?」
「オーブンの温度によっては焦げもしますし、生焼けの場合もありますねぇ」
そう言いながら扉を閉める。そしてオーブンにはめ込まれている赤色と無色透明な妖精石に指で触れ、順番に魔力をゆっくりと注ぐ。
すると妖精石は淡く光を放ち始めた。
このオーブンは妖精石を用いて作られた魔法具だ。赤色の妖精石で火力を、無色透明な妖精石で焼き時間を指定する。
魔力を注げば動くため、魔法が苦手なニコレッタでも使える代物だ。
しかし、だからと言って簡単に扱えるものでもなく、注いだ魔力量で焼き加減がまったく違ってしまうので、慣れと経験が必要になってくる。
「これは……純度が高く、美しい妖精石ですね」
するとダンテが妖精石を見て感心した様子でそう言った。
ニニコレッタは「んふふ」と笑って胸を張る。
「そうでしょう? これね、うちのご先祖様の妖精石なんですよ。自分達が死んだら妖精石を役立ててくれって言って。それで作られたのがこのオーブンです。他の店舗にも同系統のオーブンはありますけど、ジャンニーニの妖精石はここにあるものだけなんです」
「なるほど……とても素敵です。ずっとニコレッタさんと店を守ってくれているんですね」
ダンテにそう言われて、ニコレッタは思わず目を瞬いて「守る……」と呟いた。
頭の中に、ふっと、自分をここへ放り込んだ叔父の顔が浮かぶ。
ニコレッタから何もかもを奪って、それでもこの店だけは残して消えた叔父。
そう言えば叔父も妖精石のオーブンの事は知っているはずだ。なのにどうしてこの店だけは手を付けなかったのだろうとニコレッタは今更ながら思った。
ダンテの言う通り、この妖精石は純度が高く、売ればかなりの金額になるだろう。しかし叔父はそれをせず、この店だけはニコレッタに残した。
叔父が何を考えてそうしたのかニコレッタは知らないし、知りたくもないが、ダンテの言葉で何となく『もしかしたら』が浮かんでしまった。
「…………」
生きる事に必死で、怒りと落胆と寂しさの感情が強くて、そんな事を考えている暇もなかった。
ニコレッタは叔父が嫌いだ。
だけれども、こうなる前は嫌いではなかった。ちゃらちゃらして軽くて、ニコレッタの好きなお菓子を持って遊びに来てくれてくれた楽しい叔父さん――それがこうなる前の叔父だったのだ。
胸の中に、ちょっとだけ苦くて複雑な感情が広がる。
「……そうですね!」
その気持ちを誤魔化すようにニコレッタは笑う。
ダンテが軽く目を見開いたので、もしかしたら少しばかり歪な笑みになってしまったかもしれない。




