5-1 バナナオレ
それはとある日の午後のことだった。
同僚から休日の交代を頼まれたダンテは、快く了承したものの、特にやることも思いつかず街を散歩していた。
ここしばらくは、外出するたびに緊張していたが、ニコレッタと婚約してからは穏やかな気分で過ごせるようになった。
(ニコレッタさんのおかげだな……)
彼女の笑顔を思い浮かべながら、ダンテがそう思っていると、
「ちょっとちょっと、おにーさん! そこ行くおにーさん!」
陽気な声に呼び止められた。
振り返るとそこには、色鮮やかなオウムを肩に乗せた褐色肌の青年が、屋台からにこにこと手を振っている。
その屋台は、果実のジュースを販売している屋台のようだ。
それを見てダンテは、先日、ロイヤルパークに出ていた屋台を思い出した。
「おにーさん。バナナオレどう? 美味しいよ~?」
「バナナオレ! オイシーヨ!」
店主の言葉を、肩のオウムがかわいらしく繰り返す。
ぱたぱたと羽ばたきながら宣伝するオウムに、ダンテもつられて笑顔になった。
面白い客引きである。興味が湧いたダンテは、屋台へ近付いた。
「バナナオレですか?」
「そう! 甘くて美味しいよ。女の子にも大人気! どう?」
「女の子にも大人気……」
ぴくりとダンテは反応した。甘くて美味しいものはダンテも好きだが、もしかしてお菓子好きなニコレッタも、こういうのは好きなんじゃないだろうかと思ったのだ。
今日は確か、フェイ診療所でアルバイトをしていると聞いたので、ちょっとだけ立ち寄って、差し入れをしてもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、店主の青年が、口に手を当ててニヤニヤと楽しげに笑う。
「おやおやおや~? おにーさん、もしかして、意中の子でも思い浮かべた?」
「いっ、意中⁉ あっ、いや、えっと……ま、まぁ、その……婚約者の事を……」
ダンテはしどろもどろにそう答える。
ニコレッタに失礼だからと、なるべく意識しないようにしているのだが、第三者からツッコミを入れられると、どうにも挙動不審になってしまう。
しかし嘘でもないので、ダンテがちょっと照れつつそう答えると、
「へ~? その様子だと仲が良さそうだ。これから会いに行くの? お土産にどう? ちょっと飲んでみて」
青年から、バナナオレが注がれた試飲用の紙コップを差し出された。
(うん……?)
ちょうどその時、紙コップを持った青年の手首が、水色にキラリと光って見えた。
妖精石だ。澄んだ水色の妖精石が、手首の内側に埋まっている。
意外と妖精石持ちに出会うものだなと思いながら、ダンテは「いただいて良いのですか?」と尋ねた。
「うん! 美味しくなかったら、婚約者さんに渡せないでしょ? センスがないって振られちゃったら困るもんね~?」
「コマル! コマル!」
店主とオウムの言葉に、ダンテは「うっ」と軽く仰け反った。
ニコレッタとの婚約は契約のようなものだ。
だから、振られるということは――よほどのことがなければない、と思う。
しかし、それでもそこをつつかれると、やっぱり気になってしまう。何せダンテは妹からも「ノンデリなところがある」と指摘されたばかりだ。
万が一、自分のデリカシーのなさで振られてしまったら……。
――嫌だ。それだけは、何だかとても嫌だ。
そう考えて、ダンテはぶるりと体を震わせた。
「そ、それでは遠慮なく……」
ダンテはおずおずと手を伸ばし、紙コップを受け取った。
そして、まずは匂いをかぐ。これは職業病のようなものだ。任務によっては、毒見の役割を担うこともあるので、こうしてチェックをするのが癖になっているのである。
(……大丈夫そうだな。甘い、良い香りがする)
うん、と頷いて、ダンテはそのまま、バナナオレをひと口飲んだ。
とろりとした甘さと、ミルクのまろやかさが美味しい。
ほう、とダンテは息を吐いた。これは良さそうだ。
そう思った、その瞬間。
――店主の手首の妖精石が、ふわりと光を放った、気がした。
*
その頃、フェイ診療所には、一人の患者が予防接種を受けにやってきていた。
「はい、これでいいヨ、リナちゃん」
「ありがとうございますー……。うう、注射怖かったよー……」
リナと呼ばれた少女は、しおしおになってため息を吐く。
「小さい頃から、キミは本当に注射が苦手だネ」
「いくつになったって、怖いものは怖いんですよぉ」
「人間の方が怖いヨ」
「急に真面目なトーンになるの、やめてもらえます?」
フェイとリナのそんなやり取りが聞こえて来て、ニコレッタは「んふふ」と思わず笑う。
注射が苦手な彼女の気持ちは、ニコレッタにも良く分かる。自分だって小さな頃は注射が苦手だった。
今は妖精石の件で、注射よりもっと怖いことをした後なので、あれと比べたらへっちゃらになってしまったが。
リナの様子に懐かしさを感じながら、ニコレッタは彼女に小さなお菓子の包みを差し出した。
「はい、そんなリナさんに、頑張ったご褒美です。バナナマフィンをどうぞ!」
するとリナの顔がパッと輝いて、嬉しそうに両手で受け取ってくれた。
「やったー! バナナマフィン! ニコレッタさん大好き!」
「僕と対応が違うんだケド?」
「注射怖いですもん。注射先生」
「僕イコール注射ヤメテ!?」
ぎょっとするフェイ。
しかしリナはそんな彼をさらっと無視して、さっそく包みを開けてバナナマフィンを食べ始めた。診療所内にバナナの甘い香りがふんわりと広がる。
「ん~! ニコレッタさんのお菓子、美味し~!」
「んふふ、それは良かった! 良いバナナが手に入ったんですよねぇ」
「いいナ~。ニコレッタ、後で僕にもちょうだいネ!」
「もちろんですとも!」
本日のおやつとして持って来たマフィンだ。当然フェイの分も用意している。
そんな会話をしていると、リナがふと思い出したように「そう言えば」と呟いた。
「バナナで思い出したけど、大通りに、バナナの屋台がたまに出ているって知っている? そこのバナナオレが美味しいの! 一緒にね、オウムちゃんもいるんだよ!」
「へぇ~、いいですねぇ。私、初めて聞きました。フェイ先生は知っていました?」
「ン~……まぁ、噂はちらっと聞いたケド、行ったことはないネ」
するとフェイは、どこか含むような雰囲気でそう言った。
おや、とニコレッタは目を瞬く。何か変な噂話でも聞いたのだろうかと、ニコレッタが思っていると、
「……ところでリナちゃん。ブレスレットは、どうしたんダイ?」
フェイはリナにそう尋ねた。
ニコレッタが彼女の右手首に目を向けると、確かに彼女がいつもつけている、黄色の石のブレスレットがない。
「実はね、昨日どこかで落としちゃったの。お気に入りだったのに、も~、ショックでぇ~……!」
「それは悲しい……。私も探してみますよ。見つけたら、お預かりしておきますね」
「ま、僕もついでに見ておくヨ」
「ニコレッタさんもフェイ先生も優しい……! ありがとー!」
リナは嬉しそうに笑うと、バナナマフィンの最後のひとかけらを食べ終えて立ち上がる。
それから支払いを済ませると「またねー!」と言って診療所を出て行った。
ニコレッタとフェイは手を振って見送っていると、
「失礼、今は大丈夫でしょうか?」
今度は、彼女と入れ替わりにダンテが入ってきた。




