4-1 ハニーケーキ
空の端が夕焼けの色に染まり始めた頃。
ロイヤルパークで、他愛もないおしゃべりを楽しんだニコレッタは、ダンテに家まで送り届けてもらっていた。
その場で解散でもニコレッタは大丈夫だったのだが、
「家まで送ります。何があるか分かりませんから」
とダンテに真剣な顔で言われてしまったので、お言葉に甘えることにしたのだ。
本当に真面目で良い人だ。ニコレッタが感心している間に、我が家へと到着した。
パティスリー・シュガーポットの白壁も、橙色に染まって見える。
「送ってくださってありがとうございました、ダンテさん。……あ、そうだ。良かったら、少しお茶を飲んでいきませんか?」
時間的には迷惑かもしれないが、ずっと話をしていたのでニコレッタは喉が渇いた。
屋台で買ったオレンジジュースも、あっという間に飲み終わってしまっていたので、ダンテもそうかなと思ったのだ。
するとダンテは嬉しそうに笑って頷く。
「きみとお話をするのが楽しくて、少々喉が渇いていたのでありがたいです」
「ではどうぞ。一緒にハニーケーキはいかがですか?」
「いただきますっ!」
ハニーケーキの名前を出したとたんに、ダンテの目が輝いた。
先日、彼らに食べてもらった時もそうだったが、本当にハニーケーキが好きなのだろう。
自分の作ったお菓子を喜んでもらえるのは何よりも嬉しい。
そんなことを思いながら、ニコレッタはダンテを店の中へと招き入れた。
*
ダンテを先日と同じく居住スペースへ案内し、今朝焼いたハニーケーキを紅茶と一緒に出すと、彼はサッとフォークを手に、にこにこしながら食べ始めた。
「甘くて美味しい」
普段と違いほわっとした雰囲気で、幸せそうに呟くダンテ。
こういうところは、本当にかわいい人だとニコレッタは思いながら、紅茶を飲んだ。
「ニコレッタさんはお菓子作りがお上手ですね。美味しいです!」
「んっふふふ。いや~、それほどでも~」
ダンテに褒められて、ニコレッタが嬉しくなっていると、
「ニコレッタさんがお菓子作りを始めたきっかけって、やっぱりこの店ですか?」
と彼から尋ねられた。
「そうですねぇ。……このお店ね、ジャンニーニ家が最初に作ったお菓子の店なんです。両親も、頻繁に様子を見にやってきて、従業員たちと一緒にお菓子を作って。それを見ていたら、私もやりたくなっちゃいまして。そこで最初に作ったのがコンフェイトでした」
宝箱から大切な記憶を取り出すように話し、、ニコレッタは柔らかく微笑む。
すると真正面からニコレッタを見ていたダンテが、驚いたように目と口を開けた。
「それでね、食べたら美味しくって! 自分で頑張って作ったからというのも、あるんでしょうね。その日から、作るのも大好きになりました。そしてついたあだ名が砂糖菓子令嬢です。なかなかイカしていません?」
茶目っ気たっぷりにニコレッタが言うと、ダンテはハッと我に返って「そうですね」と頷いた。
あだ名の由来の一つには、お菓子を食べ過ぎたせいでふくよかだったから――というのもあるのだが、そこはさすがのニコレッタもちょっと気にしているので、言うのはやめておいた。
「私ね、このあだ名を気に入っているんです。自分の歩いている人生が、砂糖菓子みたいだって思えるから」
「砂糖菓子ほど、人生は甘くないのでは」
「おや、現実的。ですがご安心を。私が甘くしますから」
「ニコレッタさん自身が?」
「そうです。誰かが作らなきゃ、砂糖菓子は生まれません。私は私の人生を、砂糖菓子みたいに甘くしたいのです」
ニコレッタは胸に手を当てて堂々と、そう宣言する。
「辛いものが好きな人は辛くすればいいし、苦いものが好きな人は苦くすればいい。だけど私は甘くしたい。私が食べて行く私の人生は、砂糖菓子みたいに甘い方がいい」
人生には辛いことがたくさんあるなんて、ニコレッタは百も承知だった。
幸せなことばかりがあるわけじゃない。
世の中の不幸が全部自分に集まったのではないかと、泣きながら思う日もあることを、ニコレッタは身をもって知っている。
だからこそ、ニコレッタは強くそう思うのだ。
「私は砂糖菓子みたいに甘い人生を作ります。だって私の人生です」
「……もしも、失敗したら?」
おずおずと、ダンテは言った。
「人の手が作るものですもん、そりゃあ失敗だってしますよ。お菓子作りだって、失敗の連続です。その時は、失敗しちゃったなって飲み込んで、また新しく作ります」
ニコレッタは一度だけ目を閉じて、瞼の裏にたくさんのお菓子を思い浮かべる。
「私は美味しいものが好きです。甘いものが好きです。私は私の人生を、私の好きで選択して行きたい」
お菓子作りは意外と難しい。
ほんのちょっとの匙加減で焦げたり、思うように膨らまなかったりする。ニコレッタもお菓子作りは好きだし得意だが、今だって失敗することはあるのだ。
だから楽しい。だから頑張れる。
ニコレッタは、自分の人生を楽しんで頑張りたいから、好きを集めて作っていくのだ。
そう話し終えると、ダンテは呆けた顔をしていた。
呆れられてしまったかなとニコレッタが思っていると彼は、
「……私は」
とぽつりと呟いた。
「……私はハニーケーキが好きです。ハチミツたっぷりの。甘くて、美味しくて。亡くなった母が私たちに良く作ってくれた」
そう言いながらダンテは胸に手を当てた。
そこにはラウラとお揃いのペンダントが、照明と夕焼けの光に照らされて、キラキラと輝いている。
「大好きで美味しくて。だから……だから本当は、母の作ったものではないハニーケーキを食べるのが、少しだけ怖かったのです。あの味を忘れてしまうかもしれないから」
彼の言葉を聞いてニコレッタは、テーブルの上のハニーケーキを見た。
――そうだったんだ。
心の中でそう呟く。
ダンテに初めてハニーケーキを出した時、彼は戸惑った様子だった。
その理由が、今、ようやく分かった。想い出の味を忘れてしまうかもしれないと、彼は不安になったのだ。
思わず背筋が冷たくなった。知らないとは言え、申し訳ないことをしてしまったと、ニコレッタが後悔していると、
「でも、杞憂でした」
ダンテはふわりと微笑んだ。
「あの味を、私はまだちゃんと覚えている。きみの作るハニーケーキが美味しくて、母のそれとはまた違う味だったから。だから私はとても安心したのです」
「……それじゃあ今度チャレンジしてみませんか? ダンテさんのお母様のハニーケーキ」
「え?」
「ダンテさんに、そこまで言わせるハニーケーキです。これでも私、菓子職人ですよ。気になりますので! 二人で一緒に作って、ラウラさんにも食べてもらいましょう!」
「……はいっ!」
ニコレッタがそう提案すると、ダンテは嬉しそうに何度も何度も頷いた。
それから彼は自分の前のハニーケーキを見て、
「……私は、そういう人生を歩みたい、のかもしれません。ハニーケーキを一緒に作って、一緒に食べられる人生を」
「いいですね。素敵ですよ、ダンテさん。では手始めに、今度のお休みに練習しましょう! いつかの出会いのために!」
ニコレッタが両手の拳をぐっと握って言えば、ダンテはちょっとだけ驚いたような、それでいて残念そうな、何だか変な顔になった。
だがそれは一瞬で、
「そう……ですね! では次のお休みに!」
と言って笑ったのだった。




