1-1 コンフェイト
「ねぇフェイ先生。マンドラゴラって、砂糖漬けにしたら美味しいと思いませんか?」
「マンドラゴラかぁ。薬と草と砂糖を足して割らない味がするヨ、ニコレッタ」
花の国とも呼ばれるパルマ王国の王都。
その大通り沿いに経っているフェイ診療所で、医者のフェイとアルバイトのニコレッタは、呑気にそんな会話をしていた。
「ですよねぇ。あーあ」
残念そうにため息を吐いて、ニコレッタは包丁をトントンと小気味良い音を響かせながら、話題に出ていたマンドラゴラの根を角切りにしている。
マンドラゴラとは薬草の一種だ。根菜のように地面に埋まっており、キャロットと良く似た葉をしているせいで、時々間違って収穫されることがあるのだが、地面から引っこ抜くと聞いた人間が昏倒するレベルの叫び声を上げるという、大変困った性質を持っている。
そんなマンドラゴラだが薬の材料としては一級品だ。フェイ診療所でもほどほどの頻度で使用されている。
何故ほどほどかと言えば、単純にお高いからだ。
だからニコレッタは診療所の裏手にある家庭菜園で、マンドラゴラを始めとした薬草を栽培していた。
(見た目が怖いって言われているけど、見慣れるとこれがなかなか可愛いのですよね~)
薬草――その中でもとりわけマンドラゴラは栽培が難しいとされている。
その理由は、こいつらが一定の大きさまで育つと、自分で地面から這い出して逃げ回るからである。
逃げ出したマンドラゴラは自分好みの土を見つけて埋まる。それを見つけた人間が、見慣れぬ雑草が生えていると引き抜いて、悲鳴を聞いて昏倒するという事件も度々起こっていた。
そういう事情で栽培には十分な注意が必要となる薬草なのである。
手間もかかるし何より心労が募る。そんな事情で、農家さんが出荷してくれたマンドラゴラを使うのが一般的だった。
しかし前述の事情でマンドラゴラ農家は数が少ない。だからもちろん市場に出回るマンドラゴラのお値段も高い。薬としての効果は高いがコストに見合わないので、少し効果は下がっても別の薬草でいいかな……と思われがちな薬草なのである。
それをニコレッタは家庭菜園で栽培している。
マンドラゴラ好みの土を研究し、用意し、外は怖いところだよ……と諭しながらそれはもう大事に育ててみた。
その結果成功したのである。
土と肥料を研究し、マンドラゴラに優しく語りかけて機嫌を取る。そんなニコレッタを見たフェイはドン引きしていた。
「ちなみにうちの助手は、マンドラゴラの砂糖漬けで何をしようとしているのかネ?」
「ほら、マンドラゴラってお薬になるじゃないですか」
「はいはい」
「でもマンドラゴラの薬って効くけど、材料として使った時点で美味しくないじゃないですか」
「美味しくないネ。まぁ、薬って大体そういうものだヨ」
「ですよね。だから味がちょっとでもマシになったら、貴族の子供が喜んで飲むようになると思うんですよね~。そうすれば親からの需要が増える。市場でマンドラゴラが売れ出す。するとうちで栽培しているマンドラゴラを売りに出してみちゃったりした時に……」
目にラルム硬貨を浮かべながら言えば、フェイが呆れた顔になった。
「あまりにも夢がないからびっくりだヨ……」
「あら、いやだ。夢でお腹は膨れませんよ、先生? 夢とお金は両方とも大事です。片方だけでは天秤だって釣り合いを取ってはくれませんもの」
「んっふっふ。その通りだネェ。お金があればいい薬も、いい機材も買える。実に素晴らしい事だヨ。でも需要と供給のバランスが崩れると、届けたい人に薬が届けられなくなるから僕としてはノー」
結局反対されてしまったが、いい点として挙げた内容は実に医者らしい言葉だった。
他国からやってきたこの医者は、見た目も言動も胡散臭いが常に患者第一の人だ。困っている人を見ると放っておけない。だからニコレッタのことも心配して雇ってくれたのだ。
フェイ先生は優しいなぁ、なんてニコレッタが微笑んでいると、
「でもネ、ニコレッタがマンドラゴラを栽培してくれているから、材料費が抑えられて感謝しているヨ。ありがとネ!」
フェイはそう言ってウィンクした。お役に立てて何よりである。
「ありがとうは私の方ですよ。フェイ先生が雇ってくれているおかげで、生活がぐっと楽になっておりますもの」
「おや、それはよかったヨ!」
そんなやり取りをしている内に、ニコレッタはマンドラゴラを切り終え、干し網の中に並べた。ここから数日乾燥させて、乳鉢で粉末にすれば薬の材料の完成である。
「これでよし! フェイ先生、出来ました」
「ありがと~。じゃ、それでは今日のお仕事はこれで大丈夫だヨ」
「あら、いいんですか? ちょっとお時間、早いですよ?」
「ニコレッタはいつも頑張ってくれているからネ。たまにはいーヨ!」
フェイは丸眼鏡を指で軽く押し上げてそう笑った。
頑張りを評価してもらえるのは嬉しいものである。
「それに長く開けていると、その分キミを目当てに来る患者さんが、診療時間を過ぎても入ってきちゃうからネ。フェイ診療所の天使サン?」
「うっ!」
喜んでいたら不本意なあだ名で急に呼ばれて、ニコレッタは胸を押えて数歩後ずさった。
ニコレッタは医者ではないが、受付や事務作業も行っているため、患者と顔を合わせる機会が多い。
そして診療所にやって来る病人や怪我人は、その怪我や病気が原因でそれなりに心が弱っている。
そこへ明るく朗らに接するニコレッタの笑顔を摂取すると、コロリと堕ちてしまう――らしい。
本人にそのつもりはなくても、ニコレッタのファンを公言する者はそれなりに多い。フェイ診療所の天使なんて呼び名も、彼らが言い出したものだ。髪の色が銀色なのも、それに拍車をかけているらしい。
(気持ちは嬉しいのですが、さすがにその呼び方はやめて欲しい……)
天使なんて神聖なものと並べられると、居たたまれない気持ちになってしまうのだ。
だからニコレッタがいる時は、愚痴などを聞いてほしい者たちもやってくるのである。
しかし、彼らの中には一定のルールが存在する。
「フェイ先生の診療の邪魔をしない」
「ニコレッタの邪魔をしない」
その二つを厳守することが徹底されていて、彼らが診療所内で大騒ぎをすることはこれまでに一度もなかった。差し入れも持って来てくれるのでニコレッタとしても嬉しい。
しかし、それが長引くと診療所を閉めることができなくなる。
そのためフェイは、ニコレッタの仕事の状況を確認して、仕事を終われそうなタイミングで声をかけてくれているのである。
――それにしても。
「そのあだ名、何とかなりませんかねぇ。不相応過ぎて胃が痛いです……」
「ん~? まぁ、他が良いなら、いくつか聞いたことがあるケド」
「えっ、どんなですか?」
「フェイ診療所の聖女、診療所の女神、あとは……」
「うぐぅ……! 悪化しているぅ……!」
ニコレッタは唸った。とんでもなく居たたまれない。
「私はここで普通に働いているだけですよぉ……」
「その普通が皆にとって嬉しいんだヨ。何ならニコレッタのおかげで、貴族への偏見がちょっと薄れましたって話もあるからネ」
「……そうですか。それは何より」
フェイの言葉にニコレッタは軽く目を見張った後、ふふ、と微笑む。
そんな話をしながら、ニコレッタは包丁とまな板を洗って片付ける。
「先生、片付け終わりました」
「ありがと。……ところでニコレッタ。仕事中、腕の方に痛みはないカネ?」
するとフェイが、ニコレッタの左腕を見て気遣うようにそう言った。
つられてニコレッタも自分の腕を見る。それから「もちろんですとも!」とにこっと笑って、腕を軽く持ち上げ、ぐるぐると回してみせた。
「何も痛くありませんよ! ほら、この通り!」
「そっか、それならよかったヨ。だけど、痛むようならすぐに言うコト。いいネ?」
「はーい! ……あ、そうだ、フェイ先生。コンフェイトいります?」
「欲しい、欲しい」
話のついでにそう聞けば、フェイはこくこく頷いて両手の手のひらをニコレッタの前に差し出してきた。
ニコレッタは「では!」と元気に言って、鞄からコンフェイトのビンを取り出して、彼の手のひらの上にコロコロと出す。
薄桃色、白色、黄色――淡い色をしたコンフェイトが、星のようにフェイの手のひらの上で転がった。
これはニコレッタが作ったものだ。ニコレッタは昔からお菓子作りが好きで、診療所にも差し入れとして持って来ているのだ。
「君のコンフェイトもお菓子も美味しくて大好き。患者さん達にも好評なんだよネ」
「うふふ、嬉しいですねぇ。あ、それなら、あだ名をあっちで呼んでくれても良いのに」
「あっち?」
「ほら、砂糖菓子令嬢です」
子供の頃から、お菓子を食べるのが好きだったニコレッタは、貴族の子供たちから良くそう呼ばれていた。
お菓子ばかりを食べていたせいで、ふくよかな体型であったためだ。砂糖菓子令嬢とは、それを揶揄されてついたあだ名である。
けれどもニコレッタは気に入っていた。
だって大好きなお菓子が入ったあだ名だったから。
「うーん、それさぁ……確かにいい意味もあるけれど、基本的に悪い意味で使われることが多かったでショ。ゴシップ紙が面白おかしく騒ぎ立てたせいで、平民でも知っているからネ」
「当時の号、すごく売り上げ良かったって聞きましたねぇ。どうせなら売り上げの何パーか欲しかったですよ」
「ニコ」
「半分冗談です。ま、でもね、砂糖菓子令嬢は私にとって誉め言葉なのですよ」
「……まぁ、君が嫌でないなら、いいけどネ」
「ふふ。それじゃあ、先生。また明日!」
「うん、また明日ネ!」
挨拶を交わしてニコレッタは診療所を出る。
ニコレッタこと、ニコレッタ・ジャンニーニ。
フェイ診療所のアルバイトで、お菓子が大好きな砂糖菓子令嬢。
そして――詐欺師に騙されて没落したジャンニーニ家の元ご令嬢である。